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アメリカのワクチン接種はなぜ急速に進んだのか?

日本が学ぶべきヒント

佐藤由香里 (株)日本総合研究所 国際戦略研究所 研究員

米国で最初の新型コロナウイルスワクチンの接種者となった看護師=2020年12月14日、ニューヨーク州知事室提供

「感染最悪国」米国が一変、接種計画前倒し達成

 世界の新型コロナウイルスの感染者は、累計約1億3300万人、総死亡者は約288万人と報告されている(4月8日現在、Bloomberg集計)。その感染者の約4人に1人、また死亡者の約5人に1人が米国からの報告であり、米国は文字通り「感染最悪国」として深刻な感染被害が広がった。

 しかしこうした状況も、米ファイザー社などのワクチンが開発され、接種がスタートしたことによって、感染症との闘いにおける今後の見通しが一変した。

 バイデン政権発足以来、猛スピードでワクチン接種の前倒しを行い、就任時に掲げていた「100日間で1億回接種計画」は59日間で達成され、現在は、更に接種目標を2倍に増やし、就任100日以内で「2億回接種」と新たなゴールを掲げている。

新型コロナワクチン=ファイザー社提供
接種される新型コロナワクチン

集団免役――米国「6月に獲得」、日本は1年遅れ

 ニューヨーク・タイムズの試算によれば、このペースでいけば米国は6月中にはいわゆる「集団免役の獲得」(定義的に人口の約70~90%以上がワクチン接種を完了)を達成し、秋までには子供(12~16歳)の接種が開始される見通しである。

 事実、米国では順調なワクチン接種により事業への規制が緩和され、3月の労働市場は前月比91.6万人増(非農業部門)と、7カ月ぶりに急速に回復した。スケジュール通りにいけば、米国は経済回復に一層の拍車をかけ、今まで中国などに遅れをとっていた「ワクチン外交」等を通じて国際社会の政治・経済的な存在感を高めていくだろう。

 日本では幸い感染者の絶対的人数は圧倒的に少ないが、他方、英国の医療調査機関の調べによれば国内の集団免疫獲得時期は「2022年4月」と、米国に約1年の遅れが見込まれている。

 人口100人あたりのワクチン接種回数は、米国は51回、独18回、中国10回の一方、日本はわずか1回と大きくかけ離れている(4月8日現在、ニューヨーク・タイムズ集計)。

ワクチン接種は「国力」、日本はなぜ遅い?

 それではアメリカのワクチン接種はなぜここまで「速い」のか、分析したい。

 今日の国際社会ではワクチン接種による「集団免疫の獲得」は総合的な国力を示しているかのように捉えられており、ワクチン接種の問題は国際関係にも大きなインパクトを持つ問題となっている

 そしてこの分析から翻ってなぜ日本は「遅い」のか、という更なる問いかけや議論が深まることも期待したい。

 なお、ワクチンの開発には複雑な科学的手続き、政府規制の制約などが絡むため、各ワクチンを巡る状況は単純な尺度で測りきれない部分が大きく、またアメリカは各州によって体制が大きく異なるので全容を網羅することは困難である。したがって特色的な諸点を中心に分析していく。

米国ワクチン戦略:5つのキーポイント

 大規模なワクチン接種プログラムには、開発→製造→集団接種という3つの大きなハードルが存在する。米国がそれらを克服し、迅速に展開するにあたりキーポイントとなったのが、①被害の大きさ、②資金力と市場規模、③大規模サプライチェーンの創出、④収容・人員キャパシティ、更に⑤啓蒙活動、という5つの要素であった。

米:1億7,100万回(人口の26.5 %)、中:1億4,400万回(同5.1%)、印:8,800万回(同3.2%)英:3,700万回(同28.0%)、独:1,500万回(同9.3%)イスラエル:1,000万回(同56.3%)、日:140万回(同0.6%)。(Bloomberg 4月8日集計)(グラフ:Our World in Dateの資料を基に作成)【世界の累計ワクチン接種数の比較】米:1億7100万回(人口の26.5 %)、中:1億4400万回(5.1%)、印:8800万回(3.2%)英:3700万回(28.0%)、独:1500万回(9.3%)イスラエル:1000万回(56.3%)、日:140万回(0.6%)。Bloomberg 4月8日集計(グラフはOur World in Dateの資料を基に作成)

1)被害の大きさ

 まず米国の被害の深刻さは確実にワクチンの開発・接種のスピードを速めた。

 最近のCDC(米疾病管理予防センター)の報告によれば、2020年の米国全体の死亡率*1は前年比で15%増加し、第1次世界大戦時中のスペイン風邪の流行(1918年)以来の増加率という驚異的な数字である。

 経済的被害に関しては、2020年4月、大恐慌時代以来最悪の失業率14.7%を記録し、GDP(国内総生産)の伸び率は、2020年第2四半期(4~6月)に前期比年率マイナス32.9%と統計開始以来最大の減少幅であったと報告されている。

 更に、国家を守る安全保障面への影響に関しては、昨春以降に米軍艦船乗組員の集団感染が伝えられ、一時は事実上の「機能不全状態」に陥った。これは新型コロナが米軍の抑止力に支障をもたらし、感染が拡大するほど安保上の懸念が高まること、また国際保健上の懸念を越えた「政治的課題」になり得ることを示唆し、総じてアメリカの身体的、経済的、安保上の懸念の強い高まりは、ワクチン開発のスピードを急速に後押しする動機となった。

*1 死亡率の定義:ある集団に属する人のうち、一定期間中に死亡した人の割合。通常1年単位で算出され、「人口10万人のうち何人死亡したか」で表現される。

2)資金力と市場規模

 言うまでもなく迅速なワクチン開発には莫大な国の助成金が不可欠だが、トランプ大統領(当時)は「ワープスピード作戦」の下、約140億ドル(約1兆5千万円)もの予算を23種類のワクチン開発の関連契約に投入し、他国を圧倒した(結果、3種類のワクチンが緊急使用承認を獲得)。

 米国は従来ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)など多くの大手製薬企業が名を連ね、医薬品市場規模・研究開発(R&D)投資額でも世界一の規模を誇る。そうした安定した地盤が、米国を「ワクチン先進国」たらしめ、また迅速なワクチン開発に欠かせない要素となった。

「ワープスピード作戦」で政府の助成金が契約されたワクチンリスト。赤色に表示された3種類のワクチンが現在米国内で使用されている

新型コロナウイルスのワクチンの接種=2021年2月19日

3)大規模サプライチェーンの整備

 開発されたワクチンは大規模のサプライチェーンに乗せて一斉に対象者に届けなくてはならない。そうしたロジスティクス(物流)の面では、国民約3億人に行き亘るための①製造(manufacture)、および②配布(distribution)にかかるボトルネックを突破したことが、アメリカの最大の成果だったと言える。

 米国では、①製造キャパシティの拡大・整備は企業努力でどうにか補えるものの、②配布・配送キャパシティの整備と拡大に関しては、現場スタッフや行政(連邦・州・地方自治体)との密接な連携が求められるため、より多くの挑戦が山積した。

【①製造】例えば、モデルナ社の場合、数多くの組織と戦略的パートナシップを組むことで製造ラインの追加、機器の手配、生産の効率化、医薬品クオリティ・コントロール機能強化、数百名の人員の追加確保を行った。結果、2021年2~3月に毎月3,000万~3,500万回分のワクチンを製造、4~7月には毎月4,000万~5,000万回分製造可能な製造ラインの確保に成功している。

【②配布】トランプ政権時代には、ワクチンの配布プロセスにおいてワクチンの接種数が2週間で約210万回に留まったことに批判が相次いだ。CDCのアドバイザーは当時を振り返り、バイデン政権発足以降(2021年1月20日~)はホワイトハウス直下の新型コロナ関連供給支援チーム主導で膨大なデータを纏め、ワクチン接種に必要な機器・物資確保の援助等を開始したことがサプライチェーンの円滑化と配送の改善に大きく寄与したと述べている。米国のエキスパート達は概して、「ワクチンの種類、数量、温度管理、保管可能期間と接種場所、接種対象者情報をベースに、需要と供給のマッチメイキングを綿密かつ的確に行うことが、円滑な集団接種へのカギ」とコメントしているので、日本でもなんらかのヒントになれば良いと思う。

4)収容・人的キャパシティ

カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校の駐車場を利用した大規模なワクチン接種会場。住民たちは車で列をなして順番を待っている=2021年2月17日(Ringo Chiu/Shutterstock.com)
 地域の医療施設における慢性的な逼迫状態に鑑みると、外部施設と人員の大幅増強が集団ワクチン接種に不可欠となる。

 例えば米国だと、カリフォルニア州やニュージャージー州などのように、集団接種のために“メガサイト”と呼ばれる広大な敷地を利用し、ドライブスルー方式などで一日数千人にワクチン接種を提供する特設会場を設置する州がある。

 更に全国チェーンのドラッグストア、可動式のモバイル・ワクチンセンター、また24時間体制のセンターなどで接種が受けられる施設も充実し始めており、人員の増強・確保には、連邦政府が一時的に公的医療機関スタッフや元医師(免許失効後5年以内)、医療系学生、薬剤師、獣医師らがワクチンの注射を行えるよう特別認可するなどしている。

大リーグ・ニューヨークヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムもワクチン接種会場となった=2021年2月6日(The Curious Eye/Shutterstock.com)大リーグ・ニューヨークヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムもワクチン接種会場となった=2021年2月6日(The Curious Eye/Shutterstock.com)

5)啓蒙活動“Health communication”

 最後に、公衆衛生の観点から見ると接種対象者向けのワクチンの認知度や信用の向上は接種のスピードを高める上で極めて重要だ。

「ワクチンにまつわるデマを暴く」米Banner Health病院によるSNS啓発広告(2021年2月10日投稿)
 興味深いことに2019年、WHOが発表した「国際保健の脅威」ランキングでは「反ワクチン運動」がランクインしており、米国でも「DNAを書き換えられる」、「マイクロチップを注入され遠隔操作される」などの陰謀論まがいの悪宣伝(ディスインフォ)もあれば、「免疫力を高めれば化学薬品(ワクチン)は不要」といった「ワクチン不信」も問題視され
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