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安心して働ける社会をどうつくるか ベーシックサービスという革命/神津里季生・井手英策対談

成長を前提にしない社会ビジョン、労組のあり方、岸田政権、野党……語り尽くす

吉田貴文 論座編集部

 先行きへの不安が、日本中に広がっています。新型コロナ感染症はもとより、経済、高齢化、格差拡大などがどうなるのか、懸念は強まるばかりです。様々なことが絡まり合ったこうした不安の連鎖から、私たちはどうすれば抜け出せるのか。連合会長としての6年間、「働くことを軸とする安心社会」の実現を目ざしてきた神津里季生さんと、安心して生きられる社会をつくるため「ベーシックサービス」を提唱する井手英策さんとで語り合います。政治、経済、社会から労働組合のあり方まで、幅の広い議論をぜひ、お読みください。(司会・構成/論座編集部・吉田貴文)
井手英策(いで・えいさく) 財政社会学者 慶応大学教授
1972年、福岡県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て現職。専門は財政社会学。小田原市生活保護行政のあり方検討会座長など歴任。『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った?ベーシックサービスという革命』(小学館)『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)『幸福の増税論』(岩波書店)など著書多数。
神津里季生(こうづ りきお) 日本労働組合総連合会(連合)会長
1956年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。新日本製鐵に入社し。新日本製鐵本社労働組合執行委員、新日本製鐵労働組合連合会会長、日本基幹産業労働組合連合会中央執行委員長、日本労働組合総連合会事務局長などを経て2015年10月から21年10月まで連合会長。 法務省法制審議会委員、財務省財政制度等審議会委員など歴任。著書に『神津式 労働問題のレッスン』(毎日新聞出版)。

対談する井手英策さん(左)と神津里季生さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)

――神津さんは10月6日、6年間つとめられた連合会長を退任されます。井手さんとは雑誌『月刊連合』2016年11月号で対談されていますが、そもそもお二人が会うようになったのはいつごろからですか。

神津 2015年秋に連合会長になった後だったと思いますね。

井手 そうだと思います。僕が当時の民主党に頼まれて講演をしたのが2015年です。そこで前原誠司さん、小川淳也さんと会って政治との関わりが始まりました。その後、民主党とのつながりを強めるなかで、民主党を応援する連合との関わりもでてきて……。

神津 そう言われれば、井手さんが前原さんたちと一緒にいた時に、初めて会ったかもしれませんね。前原さん、小川さんは、井手さんが唱えていた「オール・フォー・オール」の考えに着目し、党の政策のど真ん中に据えた。この流れはよかったわけですよ。

――神津さんも「オール・フォー・オール」に共感したわけですね。

神津 ええ。

民進党大会での挨拶の後にかわした熱い握手

井手英策さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)
井手 その頃、連合の中で北欧型のユニバーサリズムへの共感が強まりつつある時期でした。「弱者救済」ではない普遍的なものに近づこうとしていた。だから、僕の主張がストンと落ちたのではないでしょうか。よく講演に呼ばれるようになりました。

神津 2017年3月に井手さんは民進党の大会で挨拶されましたね。

井手 蓮舫さんが代表のときの党大会ですね。

神津 この挨拶は出色でした。「普遍的な真理を追い求める学者が、特定の政党を応援する場に来る。これは恥ずべきことでさえあります」と語り出し、自己責任の恐怖に脅える国を変えなければいけないと熱く語った。挨拶の域を越えた素晴らしい演説でした。

――その挨拶の後、私は井手さんに会って論座に『私が学者の「一線」を超えて民進党を支援するわけ』(2017年5月16日)という記事を載せました。井手さんがお住まいの小田原市まで行き、小田原駅前の喫茶店で取材をしたのを覚えています。

井手 万雷の拍手の中で壇上から降りてきた時、会長が握手をしてくださったのですが、生半可な握手じゃない、すごい熱量を感じました。遠い存在だった神津さんが、近く感じるようになった瞬間です。

神津 そうかもしれません。あの演説には本当に感激しましたから。

目の前の問題への手当ての繰り返し

――それから4年半、いろいろなことがありました。民進党は17年秋、いわゆる「希望の党」騒動で分裂し、いまは立憲民主党と国民民主党に分かれています。一方、自公連立の安倍晋三政権は歴代最長を記録した直後の2020年9月に退陣。後を継いだ菅義偉政権はわずか1年で総辞職し、岸田文雄政権にかわります。日本は昨年来、新型コロナウイルス感染症に苦しみ、いつ終息するかは依然、不透明です。こうした日本の現状をどう見ていますか。

神津里季生さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)
神津 コロナ禍は、日本がもともと抱えていた矛盾、社会の弱さを露呈させました。私たち連合は「働くことを軸とする安心社会」という政策パッケージをもっていますが(参照 )、そこに盛り込んだことがコロナ前に実現していれば、ここまであたふたすることはなかったと思っています。

 『月間連合』の対談は2016年の秋です。安倍政権が「1億総活躍社会」を掲げていた時期で、子どもや若者の貧困が深刻化し、現役と高齢者、正規と非正規、地方と大都市の間の格差が広がるなど、生きづらくなった分断社会をどうすれば終わらせることができるかを語っています。いま読んでも、状況はあんまり変わっていませんね。

 確かに、働き方改革や教育の一部無償化など、進んでいるものもあります。たとえば働き方では、法整備が進み、われわれが長年求めてきたことが、実現したのも事実です。ただ問題はそこに通底する「考え方」、井手さんの「オール・フォー・オール」のような思想・理念がないことです。今回の自民党総裁選にしても、候補者は耳障りのいい政策を語りましたが、なぜその政策なのか、どうしてこれまで放置されてきたのかがはっきりしません。

 要は、社会の根っこにある構造的な課題を議論せず、目の前の問題をとりあえず手当てすることの繰り返しです。税財政など国の根幹にかかわる課題が先送りされていることもくわえ、いつの日かとんでもない事態に至るのではないかと、不安を感じざるを得ません。

アベノミクスの正しい総括とは

井手 政権が取り組む施策に通底する理念がないという指摘には賛成です。自民党はすっかり「理念なき政党」になっています。

井手英策さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)
 いまの流行(はや)りに、「アベノミクスは成功か失敗か」という議論があります。ただ、僕からすれば、立憲民主党やメディアの論点は明らかにズレている。本質的な論点は、アベノミクスという歴史的な“経済実験”をあそこまでやっても経済は改善しなかった。平均1%しか成長しなかったという点にあります。

 それこそがアベノミクスの総括です。裏を返せば、成長しないと生きていけない社会では、もたないことが分かった。これから必要なのは、成長を前提にしない社会をどうつくっていくのか、その道筋を議論することのはずです。

 ところが、自民党はそうした議論から背を向け、民主党、民進党が言ってきたことをつまみ食いしています。今回の総裁選で目立った、「分厚い中間層」「分配と成長の好循環」「最低保障年金」「配当課税」「介護士・保育士等の給与引き上げ」などは、いずれも民主党、民進党が言っていたことです。それを思想・理念もないまま使っています。

 他方、立憲民主党、国民民主党は、成長を前提にしない社会のビジョンを示せばいいのに、いまなお成長にこだわり、「減税をして成長を」などと言う。周回遅れで自民党が追いついてきたのに、なぜか自民党の後ろにつこうとする。どうしてこうなるか。ビジョンがないからです。相手と反対のことを言っていると、こうなってしまうのです。

――確かに、岸田さんが総裁選で掲げた主張は、民主党や民進党が掲げていた施策と親和性があるように見えますね。

井手 岸田さんが自民党政調会長だった頃(2017~20年)、岸田派の人たちが派閥の要望をつくりました。旗印は「オール・フォー・オール」ならぬ「オール・サポート・オール」。おそらくそれが基になっているであろう総裁選の施策をみても、僕の主張とほとんど同じです。

――「オール・フォー・オール」の核心はどこにあるのでしょうか。

井手 成長が前提でない社会では皆がしんどい。なので、皆を受益者にしないといけない。一方、財源については、皆で痛みを分かち合って負担しないといけない。消費税も必要ですし、お金持ちや大企業にも応分の負担をしてもらわないといけない。皆が負担し、皆が受益者になるので、「オール・フォー・オール」。一種の社会連帯ビジョンです。

組織の拡充は岩を穿つようなもの

――社会連帯と言えば、労働組合はしばしば「連帯」を口にします。

神津 先ほど、働き方改革などで一定の前進があったと言いましたが、これを根付かせるためにも労働者の「連帯」が必要だと思います。たとえば罰則付きで残業の上限時間を決めました。法的には前進なのですが、労働組合がないところで、はたして守られているのか。同一労働同一賃金といっても、何が均等なのか、何が均衡なのか、普段から労使で話し合い、制度への理解がないと成り立ちません。そこに労働組合の役割があると思います。

――ただ、労組の組織率は近年、下がる一方で、連合も苦しい状況でした。

神津里季生さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)
神津 いまやっと歯止めがかかったなというところですね。連合の組織人員はいっとき660万台まで落ちたのですが、700万までなんとか増やしました。とはいえ、組織の拡充は、それこそ岩を穿(うが)つような話です。そこで最近、言っているのは、従業員代表制をしっかりさせることに力を入れるということです。

 従業員代表制というのは、労働組合がないところで労働者の代表を選出しておく仕組みのことです。「36(サブロク)協定」や「裁量労働制」などの承認に関して、労働組合のないところは民主的な方法で従業員代表を選びましょうということになっていますが、実際には総務課長などを適当に指名しているところが、いまだに多い。それを改め、常日頃から会社と交渉する従業員代表を選ぶのです。

 以前は、「労働組合もどき」ができてよくないというのが連合の立場だったのですが、そんなことを言ってはいられない。まずは、従業員代表を決めて労働者の連帯を深め、いずれ労働組合をつくっていけばいいという方向に変わりつつあります。

日本では社会連帯の前提に義務があった

――「連帯」について、井手さんは問題意識をもたれているようですが……。

井手 労働組合の人はよく「連帯しましょう」と言いますよね。でも僕は日本の「連帯」に若干の危惧をもっています。

 実は、「社会連帯」という言葉が日本に入ってきたのは1920年代で、最初に使ったのは内務省社会局です。当時の内務省の含意は、国民が義務を果たした時に、国家は国民を助け、「社会連帯」が生まれるというものでした。社会連帯の前提に義務があったのです。その名残かどうか、日本では人々が連帯する前に果たすべき義務があり、義務を果たさない人間は連帯の輪に加えないという発想が見え隠れするのが気がかりです。

神津 その関連で思い起こすのは、生活保護の問題です。日本には生活保護を受けるのは恥だという感じが根強くあるわけです。だから、補足率が2割に満たない。

井手 勤労の義務を果たしていないとみられるのが嫌なのです。

神津 でも、人は巡り合わせで職を失うことがある。その時、国は路頭に迷わせませんというのが、成熟した国のあり方です。職業訓練をしたり、再就職のマッチングをしたりするべきです。北欧をはじめ欧州では、解雇された際に、流れる血を止める失業保険と、再雇用に向けた積極的な雇用政策が整っています。日本もそれを目指すべきだと思いますね。

対談する井手英策さん(左)と神津里季生さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)

日本社会に禍をもたらした労働の硬直性

――働きたくても働けない人がいるのは事実で、コロナでもそれが顕在化しました。その時、勤労の義務を果たしていないから、救われないということでいいのでしょうか。

井手 権利と義務の関係をひっくり返さないといけないと思いますね。つまり、義務を果たせるようにするために、権利を保障すると言うべきです。すべての人たちの権利が保障されれば、みんなが安心して勤労の義務を果たせます。義務と権利を接合しつつ、権利を強調するという政治論が必要です。

 日本で労働者の連帯が進まない理由のひとつに企業別組合があります。自分たちの利益を追求することが、労働者全体の利益にならない面がありました。本来、連合はそこを突破しようとするもののはず。企業別から企業の外に労組を開くのが連合の役割ではないでしょうか。

神津 企業別組合には、高度成長の記憶から抜け出せない社会全体の発想が影響していると思います。かつては基本的に完全雇用だったし、会社で一生懸命働くといいことがあった。経済もそれにうまくマッチして成長していった。ただ、その結果、雇用の流動性は極めて低くなりました。

 長期安定雇用が中心だった雇用のあり方が変わり始めたのは1995年、日経連が「新時代の日本的経営」を発表してからです。そこで出てきた働き方のひとつが、非正規雇用といわれるテンポラリーな形の雇用です。非正規雇用は、当時は2割だったのが今は4割になり、女性だけをみると6割になりました。

 その結果、雇用の形態が二つに分断されてしまった。そこでは、本当の意味の連帯は生まれてこない。ましてや「連帯」という言葉の背後に、まず義務を果たすことという戦前からの意識が残っているとするなら、なおさらです。

 労働力の流動性を高めるというのは、もともとわれわれの発想にはなかったのですが、どう考えてもこの硬直性が、日本の社会に禍(わざわい)をもたらしている。だからこそ、繰り返しになりますが、北欧型の労働環境が必要なのです。路頭に迷うことがなければ、転職のイニシアチブはもっと強くなるはずです。

神津里季生さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)

日本は支え合わないといけない社会に

神津 北欧型で思い出したのですが、連合は北欧の労働組合とも交流をしています。以前、現地に行ってレクチャーを受けた際、「ここはもともと人が住むようなところじゃないのです、そこに生活の場を求めざるをえなかった人たちが寄り添いながら始めた国だから、お互いにどうやって生きていくのか、負担も含めて、その仕組みをつくることが染みついているのです」と言われたことがあります。

井手 すごく大切なポイントですね。北欧は19世紀終わりまで極貧の農業小国で、多くの人間がアメリカに移住し、出生率もヨーロッパで最低だった。そんな危機的状況で、支え合って生きざるを得なかったというところに、社会民主主義の本質がありました。

 日本も今や、経済の成長率は下がり、1人あたりの所得も発展途上国の一歩手前まで落ち込み、出生率も下がり、雇用も不安定化する状況のなかで、支え合わないといけない社会になりつつある。とはいえ、すべての個人が自分の必要とするものを追求するのは無理です。全員に受益感を持ってもらったうえで、どう痛みを分かち合って負担をするかを議論するしかありません。僕が「オール・フォー・オール」にこだわるのはそのためです。

井手英策さん=2021年9月29日、東京都千代田区・連合会館(撮影・吉田貴文)

増税でサービスを給付する路線に向かう米英

――痛みを分かち合うとは、基本的に増税だと思いますが、国民は受け入れますか。

井手 コロナ禍にもかかわらず、今年4月にアメリカのバイデン政権は、就学前教育と2年制大学を無料にする提案をしました。

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