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永田町で話題の菅義偉氏の内幕暴露本に見る「政治報道の落とし穴」

内容は読み応えあり。オフレコ発言の扱い、政治家と記者の間合いをどう考えるか

星浩 政治ジャーナリスト

 1冊の暴露本が永田町で話題になっている。『孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋刊)。菅義偉首相を官房長官時代から担当していた日本テレビの柳沢高志氏が書いた。

 岸田文雄氏への対抗心をむき出しにしたり、首相として衆院の解散・総選挙に執念を見せたりする菅氏の生々しい姿が描かれていて、迫力満点の内容であるのは間違いない。ただ問題は、オフレコを前提で聞いた話を暴露したり、官房長官の記者会見では質問を控えてその後の単独取材で本音を聞き出したりといった手法の是非である。

 私もかつて、官房長官を担当し、歴代官房長官の評価などを本にまとめたことがある。その経験も踏まえて、この暴露本に見る「政治報道の落とし穴」について考えてみたい。

総裁選への出馬断念を表明し、取材に臨む菅義偉首相=2021年9月3日、首相官邸

“極秘情報”が満載された暴露本

 柳沢氏の著書には、政界関係者の多くが知らない“極秘情報”が満載されている。

 たとえば新型コロナウイルスの感染拡大で安倍晋三政権が揺らいでいた2020年6月、当時の官房長官だった菅氏は、岸田氏が首相になることについて「国のためにならない」と断言。自民党総裁選になったら、石破茂元幹事長が優勢ではないかという柳沢氏の質問に、菅氏は「俺の方が強いと思うよ。だって、業界団体は圧倒的に強いから。郵政とか住宅関係とか、そういう業界のほとんどを押さえている。そして地方議員が動くからね」と本音を漏らしたという。

 菅氏は総裁選立候補に向けた政策集づくりにも着手していた。親しい官僚らを集めて勉強会を開き、政権構想の本を出版する準備に入った。柳沢氏も勉強会のメンバーになっていたという。2020年8月、安倍氏が持病の悪化を理由に退陣を表明。菅氏の去就が注目された。菅氏は、表向きは慎重な姿勢を見せていたが、準備は着々と進められていたのだ。

  総裁選は菅、岸田、石破の3氏で争われ、菅氏が安倍氏や麻生太郎副総理・財務相らの支持を集めて圧勝。菅氏が柳沢氏に打ち明けていた作戦通りに展開した。

自民党総裁選の討論会に臨む(左から)石破茂元幹事長、菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長=2020年9月12日、東京都千代田区の日本記者クラブ

 首相に就いた菅氏は、コロナ対策としてワクチン接種の推進をはかるが、冬から感染が再び拡大。記者会見では、質問に正面から答えない場面が目立ち、国民への発信力不足が批判された。

 それでも菅首相は東京五輪・パラリンピックの開催を強行。21年9月の自民党総裁選に先駆けて衆議院を解散し、総選挙に臨むシナリオを描く。ただ、感染拡大でタイミングがつかめない。自民党の二階俊博幹事長の交代など人事を刷新したうえで解散に踏み切ることも検討したが、党内の反対で挫折。9月3日には総裁選不出馬を表明し、退陣を余儀なくされた。その間の経緯についても、柳沢氏は菅氏への直接取材をもとに詳細に記述している。

オフレコ前提の発言を書くことの是非

 権力の内部で起きていることを明らかにするのは、政治ジャーナリズムの仕事であり、キーパーソンだった菅氏の発言を暴露した内容は読み応えがある。取材対象に肉薄した柳沢氏の努力は評価に値する。しかし、冒頭で述べたように、オフレコを前提に聞いている菅氏の発言をそのまま書いた点には問題がある。

 もちろん、オフレコで聞いた話であっても、国民の知る権利に資するためには、オフレコの解除を先方に通告して公表に踏み切ることは、ジャーナリストとしての責務である。しかし、この『孤独の宰相』を出版するにあたって、オフレコ取材と知る権利との兼ね合いをどうするのか、その点の説明が不足している。

 菅氏を取材してきたジャーナリストの中には、柳沢氏と同じような情報を得ている人もいる。柳沢氏がなぜ、オフレコ情報の公表に踏み切ったのか、菅氏側にはどのように通告したのかなど、経緯を明らかにすることが不可欠である。

 取材のルールを恣意的に破ることが横行すると、取材するメディア側と政治家らの信頼関係を築くことが難しくなる。それによって、政治の内部情報が得にくくなり、ひいては国民の知る権利にこたえられなくなる。そうしたメディア全体への影響を考える必要がある。

官房長官と担当記者の間合い

 さらに深刻なのは、官房長官と担当記者との間合いである。やや長いが、これに関する本書のくだりを引用する。

 「官房長官会見で、記者は、何とか菅の口からニュースを引き出そうと、あの手この手で質問するが、菅は規定の答弁ラインから一切逸脱することはなかった。おのずと、記者の質問には直接、答えないことも多くなる。しかし、長官番記者にとってみれば、記者会見で菅の怒りを買う質問を執拗に繰り返すよりも、別の機会にサシとなって懇談取材に呼ばれる方が、メリットが大きいという思惑もある。だから、“はぐらかし”答弁を殊更、問題視することもなくなっていった。メディアと菅官房長官との打算的な関係が築かれていたともいえる。つまり、“鉄壁のガースー”は、こうした関係を前提として成立していた“幻想”のようなものだった」(215ページ)

 要するに、官房長官の記者会見で厳しい質問をすると長官に嫌われるので、会見では当たり障りのない質問をしておいて、後になって個別に取材して懇意になるというのだ。これでは、政府を代表して毎日2回行われる官房長官の記者会見は形骸化し、メディアが政府をチェックするという役割が果たせなくなってしまう。

記者会見で質問に答える菅義偉官房長官=2020年8月11日、首相官邸

官房長官の職責と記者の役割

 私は、菅官房長官側と柳沢氏を含む担当記者側の双方に問題があると思う。

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