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根岸英一さん、若者を、化学を、未来を語る――総合工学振興会座談会

総合工学振興会座談会

 2010年のノーベル化学賞を受けた根岸英一さんを化学界の有力研究者たちが囲む座談会が東京で開かれた。企画・主催は、根岸さんの母校、東京大学工学部のOBを中心とする財団法人総合工学振興会。化学を志す若者は国際舞台に躍り出よというメッセージから、根岸さんの受賞研究の原点に日本初のノーベル化学賞受賞者福井謙一さんの理論があった、という話まで、幅広く奥行きのある談論で盛り上がった。座談会のほぼ全容を採録する。

[出席]

根岸英一・米国パデュー大学特別教授(北海道大学触媒化学研究センター特別招聘教授)

御園生誠・東京大学名誉教授

鯉沼秀臣・東京工業大学名誉教授(総合工学振興会理事)

北森武彦・東京大学工学部長・大学院工学系研究科長

水野哲孝・東京大学大学院工学系研究科教授(総合工学振興会理事)

高橋保・北海道大学触媒化学研究センター教授(総合工学振興会理事/根岸研究室出身)

尾関章・朝日新聞編集委員 

[司会]   

吉田邦夫・東京大学名誉教授・総合工学振興会理事長

(2010年11月26日、東京都内のホテルで収録。写真は葛谷晋吾撮影。総合工学振興会側が起こした座談会の記録をもとに一部を省き、わかりにくいところなどを補ってまとめた)

吉田 本日はお忙しいところお越しくださいましてありがとうございます。このたびは根岸英一先生、鈴木章先生がノーベル賞受賞ということで日本中が沸き返ることとなりました。

 なにしろ毎日のように不景気な話、学生の就職率が悪いという話、なによりも日本政府が国家ビジョンを失くしていまして、将来の見通しも明らかでないまま国際社会の中に日本の存在感がひたすら失われていくということに対して我々は失望感を毎日抱いているなかで、非常にうれしいニュースだったわけです。

 根岸、鈴木両先生の業績に関しましては、日本の科学分野では周知のことでしたが、立派な仕事を国際的にもっと認知してもらうことが必要で、ノーベル賞選考委員の方ばかりでなく、広く他分野の方々にも、これを知っていただくことが大切であるとモスクワ、ドイツ・アーヘン、フランス・リヨンなどでクロスカップリングを中心にしたシンポジウムを開くという話がありました。その費用負担の要請を受けて、財団法人総合工学振興会が、5年間に亘ってささやかですが、援助をして参りました。その結果が、こんどの快挙に結びついたとすれば、受賞の0.5%ぐらいは貢献したのではないかとうれしく思っています。 それで根岸先生から御礼を言いたいとのお話をいただき名誉でもあったのですが、財団の理事に化学の専門家がたくさんいますので、先生を囲んで勉強できる座談会をしたいと申し上げて、ご承諾を頂き今日の運びとなりました。せっかくの機会ですので、外部から、御園生先生、北森先生にもお声を掛けて出席していただくことができました。楽しい座談会にしたいと思います。

根岸 高橋さんを通して、Cシンポジウムについても絶大なるご援助をいただきまして、ありがとうございます。これが、クロスカップリングを世界にPRするうえで大きな効果があったと私は確信しています。どうもありがとうございました。

吉田 それでは座談会に移りたいと思います。根岸先生が今年受賞され、一昨年に下村脩先生(化学賞)、南部陽一郎先生(物理学賞)が受賞されて、実はアメリカにおられる先生方が受賞されたということで、海外で研究するということの有用性というのが非常に取り上げられるようになりました。今度の受賞にあたって、根岸先生は「若者よ、海外に出よ」ということを言われまして、なにかにつけて新聞などにとり上げられるようになっています。

 そのときに、今の若者が内向きであるか、海外に出ていく留学生の数も減っている、だらしないという、もっぱら非難が必ずついてまわるんですが、根岸先生が1963年でしたか、ドクターをとられ、日本に戻られて、また66年に向こうに渡られた。

 その当時を考えますと、「パパは何でも知っている」というテレビドラマを見ても生活水準の差はものすごい。ヨーロッパやアメリカに対して、ものすごい憧れがあったわけです。それが今は完全に消えていますよね。そのことをもう少し言ってあげないと。そのうえでなぜ海外に出ないといけないのかを言ってあげないと、私はただただ若者を非難するだけではいけないのではないのかと思っているわけです。

根岸英一さん

根岸 そうですね。非難というのは、あまりプラスにはなっていかないですよね。非難をいったん抑えてですね、もっとプラスにつながるようなことに、人生を長く通ってこられた方の経験からおいしい話になるようにもっていくというやり方もあると思うんですね。

 私がつくづく考えているのは、化学の研究もスポーツや芸術の世界と変わりがないんだ、と。若い人でもスポーツをみればすぐわかるわけですね。やはり舞台は世界。オリンピックであり、ワールドカップであり、好きで好きで野球やってそれがうまくなれば、やっぱりめざすは日本のプロ野球から次はメジャーリーグだと。

 松井であり、松坂であり、その前にイチローがいましたが、そのようなことなんだよ、と。科学の分野でも、好きでやるんだったら少し世界を舞台でプレーしたらどうですかと、啓蒙する必要があるかもしれませんね。だめだというのは、いったん禁句にして。

吉田 メジャーリーグを考えますと、日本の野球と比べると断然に上なんですよ。給料も断然違うわけです。今は、向こうでポスドクの給料を考えるとですね、たぶん日本の大学で助教をしているほうが、1ドル100円で考えてもいいのではないでしょうか。

 給料の格差もない、あるいは日本のほうがいいんじゃないかという話になりますよね。野球なんかに比べても海外のインセンティブが失われているところがあるのではないのかと思います。

根岸 もう一つの点は、なにも日本が悪いんじゃないということですね。日本も一流の研究大国だと思います。ですから海外から日本に来るということもあるかもしれませんしね。いろいろな分野で日本の先生のところで研鑽することがベストであれば、そういうこともあるだろうし、だけどもすべての分野でそうだとはなかなか言いがたいでしょうね。

御園生 だからやっぱり、出ればよいという話ではないでしょうね。お互いに行き来があって、自分の得意のところ、やりたいところへ行ってどんどんやればよいのであって。日本の研究室でも、ハイレベルで、(人材を)集めているところが、多くはないけれどありますからね。

根岸 世界を舞台に。日本はその世界の中のひとつと。日本だけを選択するわけではない。

御園生 自分のやりたいことをどこでやるのがいいかですが、我々の時代は、行って修行しなければ始まらなかった時代だったけれど、今は必ずしもそうではない。しかし、どこがいいかを知るには出かけて肌で知ることは必要だと思います。

根岸 そういうことを考えていきますと、やはり世界語を習得するということが、ひとつの大きな関門になると思いますね。今でいいますと、どうしても英語だと。ドイツ語もあるかもしれませんが、Angewandte(ドイツの化学誌Angewandte Chemie)も英語版のほうが圧倒的に読まれているわけでしょう。そういう時代ですからね。ですから今の世界語、英語、英語といっていうと英語だけが高いところにあるみたいな感じがしますけれど、英語というよりも世界語。私は、世界共通語は英語ではなくてブロークンイングリッシュということだと。世界共通語で研究をするようにしましょうと。そうなってくると、いろいろ日本から出る必要性が出てくるんですよね。

 学者としてやっていくには、研究者としてやっていくには、やっぱり今の段階では英語で書ける、英語で話せる、英語で聞ける。ま、英語で読めるというのは誰でもできるでしょうがね。

御園生誠さん

御園生 向こうに行ってわかったこと、刺激をうけたことはあると思うんです。私はアメリカの田舎の大学に行ったので、アカデミックに勉強することはなかったんですが、田舎の大学でも西洋のサイエンスの歴史がそれなりにある。あと、ライフスタイルやウェイ・オブ・シンキングの違う人たちがいるというのを知ることもずいぶんありますね。

 先生、向こうに行って、いちばん、これが今の若い人に大事なことだと学ばれたことは何ですか。

根岸 私は、東大の先生方がここにおられるんですからね、あまり言うと語弊があるんですが、(東大では)歌を歌ったりして、うつつをぬかしていましたんですね。勉強しなかったんですね。勉強しないまま卒業させていただけたということに、不満を感じますね。

 ですからね。アメリカに行ったときには、ウヒャー、これは勉強しなおそう、と思ったんですね。帝人に行ったらこれをやりなさいと言われて、誰か教えてくれるんですかと聞いたら、君がやるんだよと言われて。これは困ったなあということになったんですね。東大に戻ろうと思ったんですけどね。授業料が要るではないですか。払う授業料がないんですよ。それでフルブライトの全額支給ですよね。ただですよ。一銭も払わないでいいんですよね。

 行きましたら向こうの大学院のカリキュラムが充実しているのにはびっくりしましたね。今はどうか知りませんよ。たとえばクールソンの量子化学、本当に微に入り細に入り、これでもかこれでもかとわかるように説明する。きわめてしばしばクイズとかいって、あれで量子化学を習いましたよね。それまでは量子化学って何だろうでなあ。クールソンを読んでもわからん、と。それは一例ですけどね。

御園生 基礎をきちんとたたき込むというところは圧倒的に違いますよね。

根岸 当時はね。今は知りませんけどね。

吉田 先生は競争が必要だといっておられますよね。それに関して言えば、森嶋通夫という先生がおられて、ロンドン大のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授をされまして、ノーベル経済学賞をもらうのは日本ではこの人であると言われていたのですが、残念ながらもらうことなく亡くなられました。この先生が『なぜ日本は没落するか』(岩波書店)という非常に厳しいタイトルの本を残された。

 なにを言っているかというと、日本の大学は本当に競争がない。大学さえ選ばなければ、全入時代というのですけれど全員どこかに入れる状況。大学のうち半分は定員が満ちていない状況というひどい状況で、非常に教育レベルが下がっている。森嶋先生、ロンドンにおられながら(日本に)ときどき来て講義されていて、学生のあまりのレベルの低さに嘆かれまして。こんなに競争のない、みんながお友だちになっているような社会の中では日本は没落すると。このままでいくと、日本は新産業もなにも生む力を出せないであろうと。失業時代がくるぞと書いている。で、現実に失業時代がやってきている。

根岸 やっぱり競争というのは必要ですよね。いい意味のね。オリンピックだって競争じゃないですか。それでみんな楽しんで盛り上がっているわけですからね。競争が悪いということになったら若者からかなりのインセンティブをとってしまう、ということになりますよね。だいたい若者は、競争が好きな人種だと思いますよ。

鯉沼秀臣さん

鯉沼 日本の教育はなるべく競争はしないと。

根岸 だから、ゆとり教育というもののどこからどういう概念が出てきたのか知りませんが、そこらへんに問題がありはしませんかね。

鯉沼 日本が没落するかどうかは別として、なぜ没落し始めているかというのは、やっぱり海外に若い人が出ないということと関連していると思います。僕は御園生先生や吉田先生みたいなまじめな人ではなかったですが、ドクターを出てすぐに留学しました。僕は、卒論は恥ずかしながら根岸先生と同じ研究室の後輩なんで、0.3%くらいの関係はあるかもしれません。大学院は鶴田禎二先生のところで高分子を。鶴田先生に助手のポストができるまでアメリカに行ってきませんかと言っていただき、他人まかせで、遊びに行くつもりで行ってきたんです。

 向こうに行ってすぐに気がついたのは、研究室は10カ国ぐらいの人が来ていてとてもインターナショナルということでした。アメリカ人に言われたのは、日本人は留学に来ても2年くらいで99%日本に帰るのに、中国人、インド人や韓国人は99%帰らない。なんでなんだと。アメリカに行けば、最先端の設備や教育システムが充実しているので、先端の研究技術や情報を身につけることができた。で、それを日本に持ち帰って日本の経済成長にかなりの貢献をしたと思うんです。僕自身は貢献しなかったけれど。それを見ていた台湾と韓国がまずこの手があったかと、向こうでがんばっていた人がだんだん帰るようになってきて、経済的にも台湾、韓国が出てきた。さらに、中国が日本の真似をして向こうでがんばっている人を呼び戻そうと言う形で追いついてきている。

 日本が没落しているというよりは、周りが伸びてきて、日本人なにするものぞという勢いになっている。一方、日本人は向こうにいっても経済的に恵まれるわけでもないし、変にしごかれるより生ぬるい日本にいたほうがいいよという状況に陥っているのではないかという気がするんです。これをどうすればよいか。

高橋 実際に、私が20年前に根岸先生のところに留学していたときは日本の企業から研究に何人も来ていましたが、最近、根岸先生のところをおじゃますると中国人の留学生が多いですね。昔のように日本人が毎年来るというのはなくなっていますね。

尾関 企業からも少なくなっていますか?

根岸 企業からも少なくなっていますね。

水野哲孝さん

水野 だいぶ前にアメリカに来ている日本人のポスドクのランキングみたいなものがあって、昔はトップだったけどだいぶ落ちてきたと聞いています。あ、そうなのかなあと。

根岸 私も、私自身のスタンダードは下げたくないと思うものですから、相手の人がここにいたら、自分はこれだけ言うよと、と言っているんです。だけど、あまり言うもんだから1年もたないで帰る人も続出したりしましてね。

吉田私が向こうに行って一緒に勉強していた学生が、世界中に散らばっていったんですよね。私自身が、ドクターの学生を育てあげてポスドクとして送り出した先はそのときの友だちですよね。もし彼らがいなかったら、世界に送り出すことはできませんでした。国際会議を日本で開催することができたのも、そういう人間関係ですよね。ですから本当に、外国に出て勉強するということの必要性を否定することはできないと思いますね。

御園生 インターナショナルにプレーしなければやっていけないですね。

鯉沼 僕自身はアメリカに行ってね、たいしたことないなと思ったんです。はっきり言って、アメリカもこのレベルかと。そういうことで遊んで帰ってきたんですが。逆にある意味でアメリカも追いつき、追い越せるレベルであるなと。

吉田 それは年代による差があるね。私は向こうで残らないかといわれて、本当にどうしようかと悩みに悩んで帰りたくないと思いましたからね。設備なんかやっぱり。仕事さえやっていれば、どんどん大事にしてくれる。

尾関 息抜きの質問をしますけれど、さきほど一番最初に、スポーツや芸術にたとえていらっしゃったですよね。イチローと松井も出てきました。根岸先生ご自身は、ご自分をイチロータイプと思っていますか、松井タイプだと思っていますか。

根岸 私はイチロータイプですね。

尾関 それは、どういうところがですか。

根岸 いやあ、帝人に3年で戻りまして、よし、なにかひとつやってやるぞと、基本パテントもいくつかとりましてね。これはスパンデックスというんですが、それでいいものもできました。それで最初数人だったんですけれど、10人になり、まあ私のグループとしてはそれだけだったんですけれど、それからだんだんいろいろな問題が出てくると、こちらのグループとかあちらのグループとか……最終的には30人40人でやるようになったんですよね。所長さんも製品を抱えて世界を回ってというような段階までいきまして、これはまあ3塁くらい回ったかなというところで、最終的にやっぱり重役会議で「時期尚早」というような言葉でボツになった。

 そうするとやっぱり会社の研究というのは、学会でコツコツ1本1本単打ということではいかんと。ホームランか三振かと。そういうふうに思いました。あれが私にとっては、学界を選ぶか企業での研究を選ぶか、ターニングポイントになりましたね。私はもうイチロー主義でいくと。

尾関章

尾関 つまりそのホームランを打たなくても自分は単打を打ち続けるという。

根岸 そういう気持ちになりましたね。

尾関 ルックスがイチローと言うことではなくてね(笑)。それとですね、外国に日本人がどんどん行かなくなったというお話は、日本のアカデミズム自体がもう少し国際化したらいいのではないのということでもありますよね。

根岸 そうですよね。

尾関 私どものオピニオン面というページで、京都大学の佐藤文隆さんという理論物理学者が、まったくそのことを言っておられます。日本の研究のトップレベルのところに外国人がどんどん来たならば、それがその日本の科学を刺激するんじゃないかと。

根岸 そうですよね。一番のキーポイントは語学の問題です。今の世界語は英語。向こうから来る人も日本語も学びたいでしょうが、それはそれとしてやはり英語でいろいろな研究のディスカッションとかを。まあ発表はだいたい、みな英語でやりますよね。学会などでそういうような場が増えれば来やすいですよ。

尾関 もし先生が、アメリカの学生に日本に行って少し勉強してきたらと言うとしたら、日本にはこういう魅力があるよ、だから行ったらいいよというものが何かありますか。

根岸 それはやっぱり、食べ物はおいしいよ。温泉もあるし、山あり谷ありで日本はすばらしい国だよということなんでしょうけれども(笑)。

尾関 学問として、研究としては、なかなか。

根岸 でもそういう研究レベル、そうですね、いろいろいいところがありますよ。高橋研かな(笑)。

鯉沼 僕は必ずしも人を増やせば良いということではないと思っていますよ。グローバリゼーションというととにかく日本から外へいきましょうと、それから外から受け入れましょうと。2、3年前のデータですが、日本に来ている留学生がどれくらいいるかというと12万人。そのうち、中国人が一番多くて8万人。

根岸 中国は大きいから不思議ではないですけれどね。

鯉沼 次は韓国で、1万5千人くらいで、その下は下がって。国立の研究所で大きなプロジェクトをやるとき、ポスドクを雇おうとするとね、もうアプライするのは中国人がズーと上から並ぶんです。いわゆる数値評価をすると上位、その順番で採っちゃうと中国人ばかりになっちゃうんです。それがいいのか悪いのか。アメリカでも事情は同じで、最先端の研究に使っているお金はアメリカ人が出すけれどそれを体を使って、装置を使って、身につけているのは中国人なんですよ。これがじわじわときいてきていて、今の状況のひとつの原因になっていて日本が相対的に落ち込んでいる理由になっているのではないかなという気がしていますね。

 スタンフォードに行っている西先生、東芝から行った先生ですが、彼がよく言っているのは研究開発というのは四つのステージで考えるべきだと。

根岸 四つ?

鯉沼 ええ。で、まずシーズの段階のノンコンペティティブ(非競争的)なステージ、つまり競争にもなにもなっていないステージ。それからひょっとしたら役に立つかなというプレコンペティティブ(前競争的)なステージが次にあって、コンペティティブ(競争的)なステージがあって、工業化まで行くとこれはポストコンペティティブ(後競争的)になると。で、プレコンペティティブとコンペティティブなところの境目をはっきりさせてですね、アメリカなんかでもその前まではどこの国の人でも共同研究をやりましょうと。コンペティティブなステージになったら国としての戦略を考えたうえで、どういう人を採るのかというところを考えざるを得ないなと。むやみに人を増やせばよいということではない。その辺の分類をしたうえでの人材計画を考えるべきであろうと。

根岸 かなり産業的ですね。

吉田 基礎研究というのは違いますよね。

根岸 基礎研究でも最終的には危険性というのはありますよね。だけど危険性を恐れていたら。

鯉沼 現実問題として経済が元気であるかどうか。というのは国としての力にかなり反映していますからね。ある程度そこを考えざるを得ない。

吉田 ここでちょっと話題を変えて、クロスカップリングについてお聞きしたいんですけれど。クロスカップリングの分野を調べますと、とにかく根岸カップリング、鈴木カップリングなどなど、日本人の名前がついたものが、ものすごく出てきますよね。日本人がこの分野で3人ノーベル賞を独占してもおかしくないくらいです。どうしてこの分野で、日本はこんなに充実しているんですか。

根岸 やっぱり盛り上がりだと思いますね。

吉田 それはすぐれた先達がおられたということでしょうか。

根岸 そうですよね。私はね、近畿……なんといいましたかね。

高橋 近畿化学協会。

根岸 終戦後、近畿地方にパイオニアがいっぱいいたと思いますね。世界に冠たる方々ですよ。日の目を見なかったかどうかは知りませんけれど、その次の世代が結局ガンバったんということになるんですね。ノーベル賞をおとりになってもなんら不思議のない方がねおられますよ。

御園生 関西におられた私の先生の年にあたるくらいの人たちですよね。

根岸 そうですよね。

御園生 そうそうたる人たちで、厳しく批判する。

根岸 関東よりは関西の方が活発でしたよ。

御園生 発表でも前の人のをきちんと引用して、自分の何が新しいかを言わないととがめる先生が結構いましたね。

根岸 私なんかもずいぶん言っていましたね。

尾関 それは、繊維産業などがあって関西ということでしょうか。

根岸 産業から来ているとは思いませんね。

御園生 京都、大阪の大学に多くおられたんではないでしょうか。

根岸 私なんかは福井先生、京都の影響っていう言い方はおかしいですけれど、いわゆるフロンティアオービタルセオリー(フロンティア軌道理論)ですよね。いわゆるクァンタムケミストリー(量子化学)とかね、結局はそういうところをやられている。

尾関 福井先生がノーベル賞を取ったとき、私は京都支局のまだ若い記者だったんですが、最初に福井邸に行きましてその話をうかがった。そのとき私が「量子力学」と言ったとたんに彼は表情が生き生きとしてきて。すごく基礎からものを考えておられたんですね。

根岸 だんだん大阪のあたりから京都のあたりを褒めにかかっているわけですけれど、東京までいかない(笑)。とにかく、私に関して言えばあそこの影響というのは莫大ですよ。

 もうひとりイギリスからシカゴに行かれたデュワーという人がいますね。われわれの分野にOMCOS(有機合成指向有機金属化学国際会議)という学会があって、そのOMCOSのロゴというのがね、デュワーのシナジスティックボンディングなんですね。あれがなんていうか福井先生のフロンティアオービタルのセオリー。要はね、酸と塩基が反応しますね。すると簡単に酸と塩基だからパチンとぶつかると思うけれど必ずしもそうではない。なぜならば電子が移りだしたら、それを引き戻そうとする力が出てきちゃうんですよね。ほとんど同じような力でね。そうするとそういうポーラリゼーションをミニマムに抑えられますからね。

 そんな簡単なことで結局それがなんになるんだと。そうするとどうしても遷移金属でないとだめであると。まあ、カルベン(メチレン基などの遊離基)ならいいですけど、カルベンというのはなかなかうまく使えませんよね。だから私はd-ブロックの遷移金属はカルベノイド(カルベンのようなもの)だと。

 カルベンというのは空軌道で電子を引っ張って、2つ持っているやつで戻すと。こう行ってこう行ける、往復ビンタを与えられると活性化エネルギーがグンと下がるんですね。そのポーラリゼーションというのは悪さしますからね。ここに酸があって、ここに塩基があって、ペアがあって、電子が塩基から酸の空軌道に移り始めますよね。そうするとこちらはマイナスにチャージされるわけですよ。こちらは電子なくなりますからプラスにチャージされるんですよ。そうすると、こう行きかけているエレクトロンペア(電子の対)を引き戻そうとするわけですよ。

 うちの理論屋さんに聞くとお前の言うとおりだと。その人ははじめ、お前何をいっているんだといっていたんですがね、あちこち調べてきて、お前の言うとおりで、酸塩基でガチンとくっつく安定化と同じくらいのマグニチュードでですね、反発の作用が働くんですね。これを私は急に気がつきまして、そしてこれが、d-ブロック遷移金属のひとつの大きないいところではないかと思います。こっちを失くして、こっちだけをプロモートしたらがんがんつきますよ。ですから30キロカロリーくらいの活性化エネルギーが10とか15くらいに下がるんですよ。

吉田 ノーベル賞にはいつもセレンディピティという言葉が出てきますよね。試薬を間違えたとかね。そういうのに相当するものが先生の研究にもありますか。

根岸 ありますよね。セレンディピティというのは必ずありますよ。ありますけどね、気がつく「もと」がなければできませんよね。運がいい人は次から次へ運がよくて、セレンディピティ(による発見)を何度も何度も経験してですね。それは、セレンディピティ(による発見)を引き寄せる基礎がある。力がある。そういうこととしか考えられないですね。

尾関 根岸先生一番のセレンディピティ体験というのはありますか。

根岸さん

根岸 いくらでも。手前味噌的ですけれども数多くありますよ。(ただ)私どもの場合は、セレンディピティというよりはキホーティックというんですかね。ドン・キホーテ的な考え方というのはありますよ。

 あのう、もうひとつは、私は玉尾(皓平)先生の仕事から影響を受けている点が多いと思います。あの当時私は、(触媒に)ニッケルではなくて銅を使ってやろうとしていたんですね。それで、私のキホーティックな考え方というのは、あのボロン(ホウ素)、まさにそののちに鈴木カップリングになったもの、をやったわけです。ボロンというのはすばらしいですね。ハイドロボレーション(ヒドロホウ素化)がね。オレフィンがあって、オレフィンにはπ-オービタル(軌道)とπ*-オービタルがあると。この二つがあるんですね。そこにボロンのオービタルがπのオービタルと相互作用しますから、電子がこちらからこういくわけですね。そう行けばボロンにくっついているボロン・ハイドロジェン(水素)の電子をもったオービタルが入りますから、ものすごい速い反応で、もう十何キロカロリーではないですか。かつ100%選択性で。ハイドロボレーションのシスアディションというのはいくら調べてもほとんど100%ですね。

 われわれがやっているカルボメタレーション(カルボメタル化)、これはチーグラー・ナッターの方からきているわけです。チーグラー・ナッターでも、私はチーグラー(ドイツの化学者カール・チーグラー)からヒントを得たというのは、二つを組み合わせるということですよね。ですから酸と酸を組み合わせるとものすごい強い酸ができるというのは、われわれはだれでも知っているわけですけれどね。水も酸だけれど、それにどの酸をくわえてもものすごく強くなると。これはやっぱり私はチーグラーからヒントを得ましたね。しかもね東大の安田講堂でね、1964年に聞いたんですよ。チーグラーは64年に安田講堂にきているんですね。63年が彼、ノーベル賞なんですよ。それでその話はドイツ語でほとんど何もわからなかった。それでも結局、アルミとチタンの組み合わせというのは何なんだと、そうするとアルミも酸で、チタンも酸なんですね。その酸と酸とをくっつけますとね、ものすごいスーパーアシッドができるんです。このスーパーアシッドの概念というのは、はっきりさせたのはオラーですよね。オラーはそれでノーベル賞をとっていますね(G・A・オラー、1994年に化学賞)。

 そういう、本当に基本的なところの原理みたいなもの、だれでも知っているはずなんだけれど、ちょっと知らなかったりというところですね。ものすごいものがいっぱい隠れていますね。これを、私はセレンディピティとは言いませんね。これはドン・キホーテ的というか、キホーティックな考え方ですね。

 だから私の場合には、ボロンですね。それから触媒かな、銅とか、最終的にはパラジウムになったわけですけれども、ニッケルとですね。これを使って、ボロンをクロスカップリングに引き込めないかと。まさに鈴木カップリングですよね。これを最初やっていたんですよ。もう何年かやりましたよ。

吉田 それでこれから先はどういうふうに発展するんですか。

根岸 それは、私もブループリントはしっかりできているんですよ。

 ですからもう、事実として過去10年間にノーベル化学賞は3回遷移金属触媒に行っているんですよ。2001年野依良治、バリー・シャープレス、ウィリアム・ノールズ、それから2006年のロバート・グラッブス、リチャード・シュロック、イブ・ショーバン、それから今回の鈴木、根岸、リチャード・ヘックと9人出ているんですよね。これはやっぱり歴史的にすごい盛り上がりではないですかね。その原理が、さっきお話しした簡単な往復ビンタです。こう行ってこう行けばその不必要なポーラリゼーションをキャンセルしながらですね、非常に低い活性化エネルギーで反応が進んでいくと。この一言に尽きるわけですよ。

 だから、これからはそれ以外のものも必要です。これもまだまだやらなければならない。まあ、半ばですよね。しかしこれからこの分野からどれくらいノーベル賞が出るかはわかりませんよ。ある程度行ったらサチュレーション(飽和)の現象になるでしょうから。あとひとつや二つ出ても不思議ではないですね。これから遷移金属の触媒というのはもっともっと考えていかないといけない。

 結局、私はいつでも周期律表しかない。いろいろ悪いものを除いて、70しか使える元素はないと。下の方はみな放射性で、あれを使うのは難しいですよね。それから本質的に毒のあるようなものはね、使ったらいかんだろうと思いますし。不活性もだめですよね。そういうのを除くと70くらいになってしまうんですね。それでひとつの基本的な考え方は、さっきも強い酸をつくるというところで言いましたけれども、二つをくっつけると、オラーの原理ですね。酸と酸をくっつけるとものすごい酸になると。これはすごい原理だと思いますね。ですから、私のところで開発したものというのは、だいたい二つ金属がいるんです。パラジウムを触媒にした、あるいはニッケルを触媒にした亜鉛やら、簡単な福井先生の原理やらなにやらでですね、ノーベル賞をとった人というのはすごいですね。あ、これは言っちゃいけない(笑)。

吉田 今度先生の業績を玉尾先生がテレビに出て解説していたときに、聞いてて気になったのは、これからまだ発展する分野があるんだと、ただ、その分野に携わる日本の研究者はほとんどいないんだと。

根岸 おやおや。

吉田 ということをもっぱらその分野に携わっているのはアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)や向こうの研究者に多くて、日本人が非常に少なくなっているんだということを言われたんですよね。

根岸 玉尾先生が言われたことは、要するに玉尾先生やらわれわれやらのアンブレラの下でやっている人の中で、日本人が少なくなっているということではないでしょうか。主流がアメリカにいますよね。ヨーロッパにも多少いますよね。それはたいした問題ではないんではないですか。それはたいした問題ではないと思いますよ。

 もっと基本的なところで見ていってですね。私はこれからやっぱりシングルエレクトロン(単電子)。ある人の言い方では、どんな反応でも1電子ずつ動いていくんだと。

 2電子動くと考えたほうがよいという反応はいっぱいあるわけですよね。いま選択的によい反応をおこなってくれているのは、ほとんど2電子移動ということですよ。これからは、やはり1電子移動に戻って考えなきゃいかんと思いますね。で、遷移金属の触媒をわれわれ化学者が捨てるということはまずないと思いますよ。どういうところに、その1電子の移動の反応が重要になってくるかというとやっぱりエネルギー問題でしょうね。いま欠けているのは、光化学に関する基礎的な研究と、それから1電子移動の遷移金属触媒をどう使うかということですね。

 もちろん、1電子の反応なんて昔からあるわけですけれどね。だからここにおられる先生方が、もうすでにご存知なら私はもうポスドクで行って習いたいと思っています。まあ、しかし私自身も考えてみたいと思いますね。

尾関 そこでも遷移金属の触媒を使った反応が大事なんですね。

根岸 大事ですよ、これはもう。

尾関 1970年ごろというのは、有機合成で付加価値の高い薬剤をつくる、お薬などをつくるということが求められて触媒化学が出てきたんだと思います。これからも、ものづくりというところで何かありますか。

根岸 あると思いますよ。こういうカーブがこういうところに来ていると思いますね。

 ですから無視することはできないと思いますね。まだまだ出るものは出して、それを活用するということは我々の研究室でもやっていますけれどね。やっぱりこういうカーブを描くんでしょう。このへんまで来ているんでしょうね(注・身ぶりで、カーブが緩やかになっていることを示しながら)。

尾関 いま光合成の話をされましたですよね。人工の光合成でも遷移金属の触媒反応はなんらかのかたちで寄与しうるのでしょうか?

根岸 なんらかどころか、それがなかったらできないんではないでしょうか。

尾関 なるほど。

根岸 クロロフィルを見て。結局いいことをしているものを、触媒として使わざるを得ないわけでしょう。そういうことをするものを周期律表の中から見つけないといけないんですね。メイングループの有機系の元素なのか、メイングループの金属なのか、d-ブロックの遷移金属なのか、f-ブロックの金属なのか、さらにもっと下のほうの。そのぐらいしかないんですよ。

 そうなると、d-ブロック遷移金属しかないんですよ。いや、そこまで言い切るとそれは神様みたいになっちゃうから、言い切ることはできないでしょうが。

尾関 じゃあ70年代はものづくりの時代だったかもしれませんが、これからはエネルギー問題にも。

根岸 こういうエネルギー問題を、一番大きな、おいしい問題としてですね。

吉田 話を変えますが、若者の理科ばなれが日本で盛んに言われていますが、アメリカでも似たような状況ですか。

根岸 そうだと思いますよ。アメリカではかなりのパーセンテージの人が、引き算がいやなんですね。引き算をしたくないんです。だから買い物に行きますとね、まず値段は12ドル。はい、12ドル、それから13、14、15、16とやって、はい、おつりは8ドルです。だけど、それと同時にですね、アメリカにいるトップの人のすごさですね。ハーバート・ブラウン(1979年にノーベル化学賞を受賞、根岸さんの恩師)先生にはいまだにかなわんなという気持ちをもっていますからねぇ。こういう人があっちこっちにいるんですね。

 アメリカに、なにか見習う必要があるだろう。ボトムアップということで、ゆとり教育でみんな仲良く勉強しましょう。それもいいとは思うんですが、トップを引き上げるという戦略は、ボトムアップよりも意外にやさしいんではないですかね。だから競争で選んできて、そういう人をなんとかこうグンと引き上げる。だいたいいつの時代も本質的に大きなことをやっているのは10%以下、いや5%以下かもしれない。そこらへんがガーッと出れば、あとが潤うというか、ついてくると思います。そういうもんじゃないかと私は想像していたんですけれどね。

鯉沼 中国や韓国はそういうかたちですよね。

根岸 あ、そうですか。出ていますか。

鯉沼 韓国はトップを引き上げようとしていますよ。

吉田 まだ出ていないでしょう。

根岸 両方やらないといけない。トップもあげる、トータルも引き上げる。

御園生 たぶん両方重要なんでしょうね。そこに行くまでの過程をなんとかしなければならないんですね。

根岸 いまの段階では、まずゆとり教育ということを聞いたら、こういうことではだめと。これを取り除くことからしないといけないでしょう。

吉田 先生から大いに言っていただかないと。アメリカでは、理科ばなれ対策を何かやっていますかね。スプートニクに負けたときは……。

根岸 あれはだいぶ理科ばなれを解消したでしょうね。私が行くちょっと前でしたが。私なんかもその影響を、いい影響が出てきたときにちょうど行った組ですからね。すばらしかったですね。

吉田 今のアメリカで何か同じようなことをやっていますか。

根岸 どうでしょうね。いろいろやってはいるんでしょうけれど。ま、とにかくいろいろなことを試してみる国であることはあるんですけれどね。私は、具体的にスプートニク後の時代のような盛り上がりはあまり感じてませんけどね。かなりアメリカも危機ではないんですか。

吉田 日本は今度のようなノーベル化学賞の受賞というのを大いにふき込んで、学生の興味をかきたようとしています。

根岸 ここ3、4日で小学校に行って中学校に行って。小さい若い方が関心をもっているように思いますけどね。その関心の持ち方がどういうアングルでもっているかわかりませんが。

御園生 低学年のほうは意外と関心をもっているんですよね。

根岸 あ、そうですか。さっきも言いましたが、トップを引き上げる。これはコスト的にも安いじゃないですか。

高橋 いま日本は、先生がこちらに来てよくおわかりのように事業仕分けといって研究費をどんどんカットする方向で来ているんですね。そのへんは先生が言われたトップを引き上げるというのと逆の方向へいっていますよね。

根岸 おやおや。

吉田 御園生先生が言っておられましたけれど、中学、高校あたりだと理科が好きだという人が多いんですけれどね。それからダメになってくる。

鯉沼 いま、受験科目がどんどん減っていて、またもとにもどす動きがありますが。

吉田 東大でも理科1類が必ずしも人気のところではない。

北森武彦さん

北森 われわれのもっているデータでは、東京大学を受験する学生はそれほど理科ばなれしてはいません。根岸先生がさきほどおっしゃったトップの学生と、そうではないアベレージの学生と、それをごっちゃに議論すると誤解や混乱が生じる。

根岸 さきほども申し上げたのは、アメリカではアベレージは低いかもしれません。そういう人たちがトップの活躍でかなり潤っている面があるんじゃないですかね。

鯉沼 ただアメリカはそれなりの待遇をしますよね。日本ではがんばってもがんばらなくっても同じような待遇ですよね。

根岸 それがいけない。これでどうやって人を呼ぶんでしょうかね。先生方は熱心なんですが、いざ政府の規定にしたがうと、これはいったい何なのと。アメリカだったら平均がここだとすると、呼ぶときは倍とかね。3倍ではないにしても、少なくとも1.5倍はね。

高橋 東大にはそういうしくみがありますよね。新聞に総長よりも給料が高いという先生が出ていましたね。

北森 あの場合には総長より高く、ある種の現給保証ですね。私は、国際競争力というよりは国際求心力というところに国際戦略を変えないといけないんじゃないかと。それは、さきほど前半にあったお話で、人を出すだけではなく来るということ。根岸先生など著名な先生をお呼びできる職場環境をつくらないといけない。

根岸 アメリカのシステムと著しく違うところは、アメリカには国立大学というのがないんですよ。それで私立か、州立か、あるいは市立ですね。州立でもかなりプライベートでオートノマス(自律的)なんですね。

 ですから(日本でも)、国立大学法人ですか、うたい文句は(いろいろ)ありましたけれども、実際には国立ということでね。もう、にっちもさっちもいかなくなったでしょう。だからもっと大学がオートノマス、本当の意味でですね。大学が中心となってやりたいようなことをできるようにしないといけないでしょう。

 たとえば、私どもの大学でも寄付金を30億ドル近く集めた。前の学長さんですね。それがどれだけうまく行っているかについて、言うだけのインフォメーションを得ていませんけれど。

尾関 日本の場合、オートノミーという意味では国立大学が法人になって、本当はもう少し自由になるかと思いきや、現実問題としては交付金をカットされるともういきなりダメージを受けるというのが実態なんですよね。だから、寄付というようなカルチャーを日本にも根付かせるのが必要なんでしょうね。まあそうしますとね、収入が安定してくるし、自分で改革もできてくる。しかし、今のシステムで一番問題となるのは、寄付が日本では非常に難しい。

根岸 寄付するメリットがない。

北森 それだけではなくて、この状況で企業が寄付行為に対して株主に説明がつかないから、寄付は否定される。少しずつ改善はされているんですが、やはり寄付に対して税金のメリットも感じていない。

根岸 それに経済の体質というのがありますよね。利子が低すぎたらそういうことが動いていかなくなってしまうんですね。

北森 個人ですね。個人がやはり大学にある程度寄付する習慣。欧米では、そのことが自分たちの誇りであるという文化があると聞いています。

根岸 まあ誇りであるということもあるんですが、寄付できる、あるいは寄付しやすい体質があるんですね。ブラウン教授は数十億円は寄付していますよね。

尾関 ブラウン先生ご自身がですか。

根岸 ええ。アルドリッチ・ボレーンという会社では、最初のうちは収入の1割を先生がもらっていたんですよ。ですから収入があるわけです。それはもちろんブラウン基金ということで来ていたんですね。今は知りませんよ。今はかなり変わってきていると思いますので。ですから、私はブラウンプロフェッサーですから基金がついているんですよ。私はそれの利子の一部で、ということですね。名前だけのもあるんですね。最近は名前だけでも付けないとなかなか引き止められない。それはネイムドプロフェッサーという。ディスティングィッシュトプロッフェッサーというときは、だいたい基金がついているんです。

高橋 基金がついているのが特別待遇教授、すなわち特待教授、名前だけで基金がついていないのが特別教授ですね。

吉田 日本の新聞を開くと、区別がわかっていないなあと思いますね。今回出した案内状は全部、ディスティングィッシュトプロッフェッサー(distinguished professor)と。

根岸 いち早くそういうことを考え出してやる。これはハーバードのクリエーションではないでしょうか。ハーバードは一番、圧倒的にもっているんですね。あそこの基金というのはですね。日本の国家予算の何分の何とかといっていましたが。

北森 3兆円と聞いていましたが。

根岸 そうかもしれない。それは何年前ですか。

北森 最近は落ちて。

根岸 あ、そうか。落ちて。そうそうそうそう。いわゆるリーマンショックのね。そうでしたね。だけど2位がエール大学ですかね。圧倒的に離していますね。

高橋 どのくらいの寄付金を集めているんですか?

北森 東大は、少し前に130億円。そういう状況ですね。桁が二つ違う。

司会・吉田邦夫さん

吉田 さきほどエネルギー問題にも寄与できるという話がありましたよね。ちょうど今、チリで落盤事故があってですね。最近、またチリが注目を浴びていますけれど。100年ほど前にチリが注目を浴びていたときがあったんですよね。チリ硝石がヨーロッパやアメリカに肥料、あるいは火薬の原料としてどんどん輸出されて、枯渇しそうになったときに、イギリスのアカデミー(王立協会)総裁のウィリアム・クルックスが、世界の化学者に緊急アピールを出して、このままで行くと肥料がなくなると。そうすると食料危機がくる。アメリカでは南部の綿花が絶滅するかもしれない。これを救えるのは化学である。空中にある窒素をなんとか使うべきである。それを考えてほしいということで、この緊急アピールを出して生まれたのが、空中窒素固定法というハーバー・ボッシュ法です。

根岸 ベルリン派ですね。(ノーベル賞を)二つとっていますよ。

吉田 フリッツ・ハーバー(1918年に化学賞)もとったし、カール・ボッシュ(1931年に化学賞)ももらったんですよね。

ちょうどいま考えてみると、日本でもですね。一つは、エネルギー問題。CO2が削減できない。25%じゃどうにもならないんじゃないか。あるいはレアアースの問題で。これも中国に首根っこを押さえられて、このままでは日本の産業が成り立たないと。だけど、どちらの問題も化学者からしてみればですね。まさにチャレンジングな話であって、なんとかできるという話になっていくんだと思うんですね。

根岸 われわれ、ここにおられる方はね。100%、それを信じるべきですよ。要するに、今おっしゃりたいことはサステイナブルでなくてはいけない。そうするとキャタリシス(触媒)。キャタリシスというと、さっきのような酸だけのキャタリシスもありますが、著しく限られます。さっき話したことですよね。そうするとやはり、d-ブロック。私はf-ブロックはあまりよく知らないんですが、f-ブロックというとメインブロックに近いじゃないですか。だからどうしても、私はd-ブロックにこだわるんですね。やはりd-ブロック遷移金属の触媒作用のすばらしさというのはまだまだ。やっぱりさっきおっしゃられたように、これを救えるのは化学者しかいない。ということを若い人にアピールして乗ってくれなかったら、もうそういう若い人は要りません。

吉田 経団連の会長が化学産業から出ている。あの人こそ最初に化学が頑張るべきであると、頑張るんなら経団連としてももっとサポートしますよと言わなければならないのに、だめだ、だめだ、としか言わない。

根岸 ハーバー・ボッシュがね農業を救ったということをね。

吉田 まさに今、化学屋に救ってほしいとアピールすべきときだと思うし。それに応えられるほどの実力が、ノーベル賞もこんなにもらえるんだし、化学にはあるんだと、私は言ってほしいんですよね。

根岸 私は若者に言って、その人たちがこの餌に食いついてこなかったらね、これは日本もおしまいですね。

尾関 レアアースのことについては、どうなんですか。やっぱりその、レアアースがエレクトロニクスでこの元素でなければダメだよと使われていると聞いているわけですけれども、そういうものも化学によってほかのアバンダントな元素をつかうことで、そういう機能をもたせることができると、そういうことになるんですか?

根岸 私はそこのところはちょっと自信をもって何か言えるわけではないですが。

鯉沼 非常に難しいのが多々あるよね。

根岸 トップレベルの化学者のなかでチームワーク的なものをどんどんつくり上げてプロモートしていくと。なるべくなら、日本あたりで独占したいですね。

御園生 d-ブロックの遷移金属といえば分子触媒ですよね。これは豊かな成果もあるし、将来もあるし。ただ、それ以外に、もうちょっとセラミックスの世界、集合体、固体との組み合わせという展開もやっている人がいるわけだけれど。

鯉沼 いやあ、まさにそれで、先生、遷移金属の触媒といったお話をされましたけれども。遷移金属の元素の世界は化学反応が起こるのはチャージ(電荷)で決まっているわけですけれども、スピンを利用する新しい化学というのが――いまは物理の方ですけれどね――電子のもう一つの機能であるスピン、それとチャージを結びつけた新しい分野が出始めているんですよ。あのへんは、これから非常におもしろくなりそうだと思うんですよ。

御園生 その分野は日本に強い人がたくさんいるので、当然伸びると思うんですけれど。広い意味で化学をとらえて。

根岸 おもしろいことはいくらでもあるような気がするよね。

鯉沼 日本がリーダーシップをとっているやつがね。

根岸 歴史的に見るといろんなベクトルがね。同じ方向に向かっていった先も、近畿の学界から盛り上がっていってね。私なんかもそういうところのおこぼれをもらって、私なりのものにしていったのかもしれませんけどね。それこそ素粒子の物理にとってもね。非常に限られたところから花咲いているわけですよね。だから、なにも全部がどうなるという必要ではないかもしれませんね。結局は人ひとりひとりのこのへんから出ているのではないですか。とどのつまりは。

吉田 出るような人をつくらないといけない。

鯉沼 脳の科学もね。韓国の釜山大学で、Cogno-mechatronics engineeringというWCU(World Class University)プログラムに関係していますが、脳を一種の電子デバイスにして、脳情報をロボットに代行させようとか。そのための材料開発もおもしろい分野です。昔は生命は物質科学では突きとめられないだろうと思ってましたが、iPS細胞が出てきて、生命も「もの」かなあと思い始めているんです。

吉田 根岸先生は、北大を根城にされるようですから、そこを中心にして新しい化学の流れができるといいですね。コアになってね。近畿にあったと同じようなものが。

高橋 根岸先生はアメリカで活動されていますから、日本に拠点がないんですよね。そういう意味では、どこかが拠点を提供するというか、私は根岸研出身ですので、私なんかが動いて、まずは北大に活動拠点をもってもらって、それから活動しやすいようにいろいろやっていただくというのがよいかと思っています。

 とくにJST(科学技術振興機構)の北澤宏一理事長のほうからJSTの特別顧問になってほしいという申し入れをしたいと、そうすると根岸先生のアメリカ-日本の往復の経費をJSTが支出できるようになると、ということで、これは非常にありがたい申し入れだと思うんですけれど。

吉田 みんなにとってね。

高橋 それから根岸先生がサバティカルというのは1年間休みをもらうということですが、サバティカルではなくて何ていいましたっけ?

根岸 いえサバティカルです。サバティカルは半年単位になっていて。

高橋 そういうことで半年くらいは日本で活動ができるということなんでしょうかね。

根岸 最近、シンガポールからだいぶ頼まれましてね。なんとなく8カ月以上来てほしいと言われて、ちょっと難しいですね。ボツになりましたね。

吉田 活発ですね。

根岸 活発ですよ。

鯉沼 じゃ、北大につくりましょう。キホーテ研究センターを。

高橋 概算要求ではクロスカップリングセンターを出しているんです。JSTのほうにお願いしているのは「クロスカップリングをスタートとする、クロスカップリングを超えた次世代の触媒化学」というものをプロジェクトとして展開したいと。で、根岸先生を研究代表者にして。

御園生 かつての近畿化学工業会みたいな場でしょうかね。

高橋 有機金属部会も近畿化学工業会の中にあるんですが、その有機金属部会が根岸先生、鈴木章先生がノーベル賞をとられたんで、学会並みのようにレベルをあげて活動しようかという機運だいぶ出ているんですね。学会にするのがよいかどうかは別にしても、そういう機運をうまく使ってですね。力をまとめていく。そのときに根岸先生にいろいろとやっていただければありがたいなと思っています。

吉田 根岸先生、先生の恩師であるブラウン先生が「小さなどんぐりを大きな木になるまで育てよ」と。日本語で紹介されるもんですから、訳がいろいろ新聞によって違うんですね。そんな言葉を残されている。パデュー大学の図書館に刻まれているんですか。

根岸 ブラウンアーカイブスという部屋があって、エクソンが1979年にブラウン先生がノーベル賞をとったときにつくってくれた。その中に、そうですね、なん個所もあるかもしれませんね。最近私がよく見ているのは、インド製の時計があるんですが、このくらいの大きさの。そこのところに書いてあります。

吉田 根岸先生もノーベル賞を受けられたんで、その言葉を受けてですね、それに続くような言葉をぜひ残していただきたい。きょうは北森先生がおられますので、東大の応用化学の図書館に残せればと。ちょっとお考えいただければとお願いしていたんですが。(色紙へのメッセージを依頼)

根岸 やはりこう、ドリームですね。

御園生 どこかの新聞にも書いてありましたね。

根岸 なにかをやろうとするときに、最初のときはドリームでしかないわけですけれども、その高いドリームを飽くことなく追い求めましょうという、あ、英語で書いたほうがいいんではないですか。

御園生 そうですね。

根岸 これからは研究分野はみんな英語でやると。

北森 ありがとうございます。ついでに、ちょっといいですか。東大の工学部ですが、学部の学生から博士までいくのが、たった6~8%しかいない。1000人、工学部の学生がいるんですが、そのうち60人か80人しか博士までいかないということですね。大問題です。

根岸 企業がほしがらないからではないんですか。

北森 キャリアパスが見えないというのも、たしかに問題ですが。でも就職率は95%くらいで高いんですね。就職率がよくないというのはほかの大学の話で。博士たちにいろいろな可能性の夢をもってもらわないと。なかなか博士にいってやろうということがなくなってしまうんで。ぜひ、まとめに、東大工学部の学部学生に博士にいってもらうようにと。

鯉沼 それは大学の先生の責任ですよ。夢をもたせるような教育をしないから。ドクターは残ったほうが得だよということを、聞かせて。ドクターまで残れば責任をもって俺が就職のめんどうをみるからと、そこまで言えば残りますよ。

高橋 残ったら不幸だよというような……。

鯉沼 そう、残ったらどうするの、私は知らんと。

北森 朝日新聞がですね、ドクターにいくと漂流すると……。

鯉沼 それは朝日新聞の責任ですよ。

北森 アベレージのところの話を報道すると、むしろ就職のよいトップの学生にも影響してしまうというのがあるんですよ。

吉田 ドクターが漂流するというところは絶対、朝日新聞に削ってもらわないと(笑)。

尾関 われわれも紙面で、博士は大学の研究者だけではなく、いろんな進む道がある、と書いたりしているんですが。

鯉沼 日本ではね、博士にいってもよいことないよと、それとなく、みんな思っていますから。大学の先生がそう思っていますからね。外国に行けば事情は違いますから。ドクターをもっている、もっていないで。

吉田 それでは時間となりましたので、先生、では英語で学生へのメッセージをお願いします。

御園生 ピエール・カルダンですか、フランスの。テレビをみていると夢を追う人はリアリストである。なぜなら夢はかならずかなうから、と言ったんですよ。非常に衝撃をうけましたね。根岸先生の言葉にも通じます。

鯉沼 きょう聞いた先生の言葉でキホーテ。

尾関 あれは基本原理を、かなりシンプルな基本原理をそれをどんどんやっていくというのがキホーテというんですか。

根岸 いや、そうではなくて、ま、それは重要なことだと思うんですが。とんでもないボロンなんていうのは元来非金属ですよね。この間、私、どこかの方とだいぶ言い合ったんです。そのあちらの方がボロンは非金属と書いているんですね。だから、ボロンを非金属と書くのは困りますと申し上げたわけです。そしたら字引にも、学校でもそう教えていると。いやとんでもないと。金属に変えてください、とお願いしたんですよね。空軌道ももっていますしね。電気陰性度も炭素よりね。

鯉沼 ボロンの固体は導電性はあるんでしょう。

根岸 ボロン自体はどうでしたかね。

鯉沼 すぐ下がアルミでしょう。

尾関 先駆的にボロンに目をつけたのが、キホーテということですか。

根岸 非常に非金属的な金属も、遷移金属の触媒をつかうとマグネとかと同じように反応していくという考えが、ドン・キホーテなんですよ。だけど、そういう考えをもちまして、で、やってみたらそこから全部いくんですよ。マグネもいくんだったら、ボロンもいく。全部いくんですよ。そういう常識はずれの考え方をもって何かやろうとするのがキホーテですよ。

吉田 こういうお話をね。教える立場からすると、学生に絶えずしないといけないんですね。決まりきった教科書に書いてあることばかり教えていると学生はなかなかドクターにいこうとしないですね。

鯉沼 先生がいい格好しいばっかりではだめですよ。えらいところを見せつけるようなかたちでは、学生はついてきませんよ。

根岸 やっぱりスポーツに戻りますが、アスリートを育てるような、あのときにはもう1対1でしょう。素質がいいのを。だから高橋さんが来られたときには朝から晩までディスカッションしていたこともありますよ。朝ディスカッションが始まってね、飯でも食おうかとね。そんなことで、いったんやめて。

高橋 3時くらいまでディスカッションが続くんですよ。で、それからディスカッションが終わってから、実験を始めるでしょ。で、4時には「結果はどうなりましたか」って来るんですよ。「まだ器具をそろえているんですよ」とは言えないから、ディスカッションの通りに進めています、と言いますけれどね。

尾関 せっかちなんですか。

高橋 何回も来ますね。どうなりましたか、どうなりましたかと。

吉田 だいたい、われわれはみんな、基本的にはせっかちですよ。

根岸 時間は貴重です。

高橋保さん

高橋 根岸先生の研究というのはオブザベーション(観察、観測)から来るんですね。一つずつの実験に対して、ディスカッションが非常に長い。で、可能性を全部挙げていくんですね。こういうことが起こるとこうだ。こうだったらこうなるだろう。もちろん起こらないで、そのうちのひとつが起こるんです。もし、ディスカッションした内容と全く違ったことが起こったら、夜中でも朝でも、電話をしてください、と。で、2年間で1回だけそういうことがあったんです。で、朝4時に根岸先生の自宅に電話をしたことがあります。ディスカッションした範囲のことと違うことが起こりましたと。このあいだ、その話をしたら覚えておられましたね。そのときの電話で私が何をいったか、根岸先生が何を答えたか。内容まで全部覚えていますと根岸先生は言われましたね。25年くらい前ですよね。

尾関 なにかすばらしい発見があったんですか。

高橋 私も考えますから、高橋さんも考えてください。9時に教授室で議論しましょう。朝4時ですから、私は急いで帰って、ビールをワーッと飲んで、寝て、9時になったら教授室に行って、またそこからディスカッションが始まるんです。根岸先生のはオブザベーションというのが基本にあって、その一つひとつの振れ幅を見ながら、そっちを固めていくというんですかね。まったく新しいということが出てきて、それがセレンディピティというのではなくて、ある程度可能性というのはいくつも予想していて、その中で触れて言ったところを追っかけていっているということですね。だからセレンディピティというイメージと根岸先生のは違っていて、オブザベーションの積み重ねで、そちらに誘導して、あるいは動いているのを自分で捕まえるというやり方ですね。

根岸 聞いているとブラウン流だなあと。

高橋 根岸先生は昔から、ブラウン先生はすごいと。ブラウン先生の教えを根岸先生は学んで、いろいろ研究に役に立てていったけれど、ブラウン先生は誰からも学んでいないんだと。自分でつくったんだと。だからブラウン先生はすごいと。そのブラウン先生に追いつこうと。でもなかなか追いつけない。で、そのときに私は、ブラウン先生はノーベル賞をもらいましたから、根岸先生もノーベル賞をもらわないとブラウン先生には追いつけないだろうなと。これはなかなか難しいだろうなと。で、今回ノーベル賞をもらいましたから、このあいだ、根岸先生に、これでブラウン先生に追いついたんではないんですかといったら、「いやまだまだ」と言っておられるんですよね。そうですよね。

鯉沼 弟子がノーベル賞をとると追いつくんではないですか?

根岸 いやあ、二人出さないといけないんだよ。

吉田 それでは、さきほどの言葉をお書きいただいて、で、みんな、まとまったところで記念写真をとりましょう。

根岸 やはりトップをもち上げるという操作というのは、かなり有効だと思いますけれどね。文科省とかあまりかかわりなくできる方法はないですかね。要するに、ボトムだとね、全国で数がものすごく多いわけでしょう。トップは数がね。

吉田 全部を押しなべて上げようとしているから、全部だめになってしまうんですよ。

北森 競争的資金というと、逆に不平等感を生んでしまうんですね。

高橋 あれも、もらったらもらったで成果を出さないと大変なことになりますよね。

水野 成果には、すぐにものになる成果と、そうではなくて、20年後にかたちになればよくって(というものとがある)。根岸先生が言われていて、あ、そうだなと思うのは、基礎が大切で、基礎がしっかり教育されているから、自分で論理的に攻めていって、そうでないことも含めて、自分の基礎をどんどん強化していって、こういう賞につながっていくんですね。ものづくりも同じであって、すぐにものにならなくって、基礎になるのは10年後、20年後にものになればよいと。

吉田 ありがとうございます。よごれちゃったら大変。いやあ本当にありがとうございます。

根岸 今日は楽しかったですよ。これはすばらしいことです。話だけで終わらずに、何かに繋がっていくといいんですね。

高橋 期待がありますよね。このなかで話が研究会に発展すると。

吉田 本当に化学の仲間なんですよ。化学でも分野は違うんですが、触媒とか、分析とか、一番泥臭い化工であるとか。

根岸 ありがとうございました。