須藤靖
2011年11月29日
有力とされた説はおおまかには二つ。宇宙膨張発見の栄誉を自分のものにしたいと考えたハッブルが圧力をかけたとする説と、ハッブルを怒らせることを恐れた英国王立天文学会月報編集部が圧力をかけたという説である。いずれの説でも、暗黙の仮定としてハッブルは悪人扱いされている。
この仮説を裏付ける根拠として示された様々な傍証はいずれも興味深く、なかには読んでいて思わず笑ってしまうほど楽しいものまである(2011年9月15日の拙稿の文献リストを参照)。そしてそれらを総合すれば、宇宙膨張を発見した科学上の偉人であるハッブルは、すべてを自分の業績にしないと気が済まず独占欲が強い卑怯で傲慢な人物に仕立て上げられる。一方で、ルメートルはベルギーのルーヴェンカトリック大学の教授であると同時にカトリック神父であったという事実もあいまって、世俗的な名誉などには全く関心のない謙虚で純粋な学者像とぴったり一致する。おかげで、上述の仮説は十分説得力をおび、全くの傍観者であるはずの我々もついつい信じこんでしまう。
このようにみてくると、この話題は決して「宇宙膨張の発見者は誰か?」という極めて限定された事例の話ではなく、世の中の普遍的な法則を示唆していることがわかる。つまり、人々は真実とは無関係に、すっきり理解しやすく、しかもどこかで溜飲を下げられるようなストーリーを待ち望んでおり、それが事実であることを願っているようだ。
科学的大発見を成し遂げたハッブルは(おそらく実像以上に)偶像視されてきた。むろんこれは人々が「英雄の登場」に惜しみない拍手を送りたいという「善意」の帰結であったはずだ。しかし一転、そのイメージが疑問視されるようになると「今まで黙っていたけれど実は……」といったタイプの逸話が氾濫し始める。さらに、そのハッブルの陰で不利益を被っていたとされるルメートルのような人まで登場してくれば、話は当然ますます盛り上がる。「汚れた英雄」というのもまた人々が好きな話題である(これは我々があまねく「悪意」を持っていることを意味しているのだろうか?)。
いずれにせよ、この構図においてはもはや真実などどうでもよく、観客はこうあってほしいというストーリー以外にはあまり興味を持たなくなってしまうわけだ。
上述の文脈の、ハッブルとルメートルを適宜二つの対立する人物・組織・概念に置き換えてみれば、驚くほど多くの社会的な話題に応用可能である(まさにぴったりの例がすぐさまいくつも思い浮かぶ。これを読んでいらっしゃる皆さんも同様であろうから、あえて具体的な名前に言及することは控えておく)。
さて、この「ハッブルか、ルメートルか」問題については、アメリカの天文学者マリオ・リビオ氏が英国科学誌NATUREの2011年11月10日号に発表した文章により真実(の一部)が明らかになった。(*1)
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