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【科学朝日】B型肝炎訴訟と医療界 (collaborate with 朝日ニュースター、12月8日放送)

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 朝日グループのジャーナリズムTV「朝日ニュースター」は、通信衛星などを利用して24時間放送しているテレビチャンネルで、ケーブルテレビ局やスカパー!などを通じて有料視聴することができます。4月から始まった新番組「科学朝日」は、高橋真理子・朝日新聞編集委員がレギュラー出演する科学トーク番組です。WEBRONZAでは、番組内容をスペシャル記事としてテキスト化してお届けします。

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ゲスト せんぽ東京高輪病院院長 与芝真彰さん

高橋:こんばんは。科学の最先端にひたる「科学朝日」。案内役の高橋真理子です。本日取り上げるテーマは、「B型肝炎訴訟と医療界」です。今年の6月28日、集団予防接種をめぐるB型肝炎訴訟で、全国の原告団・弁護団と国側が、和解に向けた基本合意書に調印いたしました。それが大きなニュースとなりました。この訴訟は、かつて予防注射の集団接種で、一人ひとり注射器を変えずに使い回しをしたために、肝炎ウイルスが子どもたちに拡まった、その責任を国に問うたものです。札幌地裁第一審判決は原告敗訴でしたけれども、札幌高裁第二審では原告一部勝訴となり、2006年の最高裁判決では原告が全面勝訴となりました。しかし、その後も国側は患者の救済にきちんとした対応をとらず、そのために全国で集団訴訟が広がっていたのでした。6月に交わされた基本合意書では、「国は、集団予防接種の際の注射器の連続使用により、B型肝炎ウイルスに感染した被害者の方々に甚大な被害を生じさせ、その被害の拡大を防止しなかったことについての責任を認め、感染被害者及びその遺族の方々に心から謝罪する」と明記されています。本日は、このB型肝炎訴訟で原告側、つまり患者側証人として証言され、逆転勝訴に大いに貢献された、せんぽ東京高輪病院院長の与芝真彰(よしば・しんしょう)さんにお越しいただきました。与芝先生、よろしくお願いいたします。

与芝:よろしくお願いいたします。

高橋:先生は、B型肝炎訴訟に証人として参加され、その決着までの道のりを、こちらの『B型肝炎訴訟 逆転勝訴の論理』に書かれています。この本では、先生の証言の論理とともに、日本の医学界の内情が非常に率直に書かれていまして、私、たいへん感銘を受けました。

与芝:ありがとうございます。

高橋:なぜこの本を書こうとお思いになったんでしょうか。

与芝:証人が別に本を書く必要もないので、最初はそのつもりはなかったんですけれども。肝臓学会の中のいろいろな会員の会話の中で、今回の原告側の勝訴は、大して根拠もなくて、この間の薬害C型肝炎もそうでしたけれども、患者救済という、そういう政治的な色彩が強くて、「あまり科学的根拠はあるものじゃない」というような言い方をする会員の方もおられるもんですから。

高橋:会員というのはお医者さまということですよね?

与芝:そうです。肝臓学会の専門医ですね。

高橋:肝臓の専門医の先生方がそういうふうにおっしゃった?

与芝:はい、そういうこともおっしゃるので。やはりそうではなくて、きちっと論理的に、国側の主張と対決をして、論理的に正しい点が認められた。その意味で、この間の高裁、札幌高裁と最高裁の判断というのはかなり、いろいろ批判もある時もありますけれども、私個人の経験からいえば、今回は非常に論理的に明確であったと。それをはっきり、本にして皆さんに理解していただきたい。特に患者さんには理解していただきたいという気持ちで書いたものであります。

高橋:わかりました。それでは、CMを挟んで詳しくお話を伺っていきます。ここでいったんCMです。

<CM>

高橋:「科学朝日」、本日のゲストはこの方、せんぽ東京高輪病院院長の与芝真彰さんです。与芝さん、よろしくお願いいたします。

与芝:よろしくお願いいたします。

高橋:本日のテーマは「B型肝炎訴訟と医学界」ということなのですが、まずは基礎編として、B型肝炎とはどういうものか、という点からお話を伺っていきたいと思います。肝炎にはA型、B型、C型、さらに日本にはあまりないというD型とかE型といったものもあるようですが、B型の特徴というのはどういうものなのでしょうか。

与芝:そうですね。

高橋:ここに一覧表が。

与芝:ここにありますけれども。まず大きく感染経路が違いますね。A型とE型は経口感染。GとTTVはあまり肝炎に大きな関係がないということで、最近はあまり話題にならなくなりましたので。

高橋:ああ、そうなんですか。

与芝:AからEを覚えておいていただければいいと思います。AとEは経口感染、口から、食べ物からうつります。それ以外のB型、C型、D型というのは、血液を介してうつります。このD型というのは、日本にはなくて、地中海沿岸から中近東に多いのですけれども、これはB型ウイルスがないと存在しえない欠陥ウイルスでして。意味としてはB型肝炎を悪化させます。初感染ですと劇症肝炎を作ったり、B型の慢性肝炎をすごく悪くしたりするというのが、これがD型の特徴ですが、幸い日本にはこれはほとんどおりません。日本人で覚えておけばいいのは、AとBとEです。Eはもともとは東南アジア、特にインド、バングラデシュ、ミャンマーの風土病と言われていましたけれども、最近、日本に固有株があるということがわかりまして。特にこれは動物から感染します。動物の肉を食べることで感染するということです。北海道に多いのですけれども、本州のほうにはそれほど多くはありませんので、まあそういった意味では、AからCまで、B、Cを覚えておけばいいということになります。このうちの問題になりますのは、B型とC型は慢性化するということですね。A型は慢性化しませんけれども、この2つは慢性化するので、慢性肝炎から肝硬変、肝がんになるという意味では、このBとCが、やはり日本では、慢性肝炎では一番重要なウイルスということになります。

高橋:このウイルスというのは、もともとはアフリカから生まれたんだそうですね?

与芝:そうですね。B型肝炎はもう明らかに。例えばいま問題を起こしているリビアとかですね。

高橋:ああ、カダフィ大佐の。

与芝:それから革命が起こっているエジプト、チュニジア。その南にサハラ砂漠という砂漠があるのですけれども、サハラ砂漠の南側にある、マリとか、ニジェールとか、チャドとか、この辺がもともとB型肝炎の発祥の地だろうと言われています。

高橋:どうしてそこが発祥だとわかるのですか?

与芝:感染している患者さんというか、キャリアの方が最も多いんですね。そこから生まれた、おそらく動物じゃないかと言われていますけれども、それが人間にうつって。次をお願いできますか?

高橋:次のスライドを見ると。

与芝:ここが原産地ですけれども。これが、ちょうどモーゼの十戒の時に出てくる、脱エジプトというか脱アフリカで、シナイ半島を通って、東南アジアの方に行くルート、それからヨーロッパに行くルートというふうに分かれて、全世界に広がっていったんですね。もともと暑いところを好むウイルスですので、熱帯地方。ここのアラスカだけはちょっと例外ですけれども、それを除けばだいたい熱帯、亜熱帯に広がっていったということです。日本は、ちょうど渡来人、おそらく大陸や南方から人が渡来してきた時に持ってきたんじゃないかと。それから南に行ったルートがオーストラリアに来まして、最初にB型肝炎のウイルスの「表面抗原」というのですけれども、「HBs抗原」といいますけれども、これが見つかったのがオーストラリアのアボリジニってご存じですね。

高橋:アボリジニ。はい。白人が入ってくる前からオーストラリア大陸に住んでいた人たちですね。

与芝:この人たちと、アメリカのニューヨークの、何回も輸血を受けた白人の間で、抗原抗体反応といいますけれども、要するに抗原が反応して抗体を作るわけです。

高橋:抗原が外からやってくる敵で、抗体は人間の側が作る。迎え撃つために作るものですね?

与芝:ええ。その間に沈降反応、要するに免疫反応が起こる、と。アボリジニと、白人の、何回も輸血を受けた人の間で起こるという発見を最初にしたブランバーグという人は文化人類学者で、人種間の血清の中にあるたんぱくが何か違うんじゃないかというので調べた。それで、最初はオーストラリア抗原と呼んでいました。本質は、アボリジニの持っていたHBs抗原、つまりHBウイルスと、何回も輸血を受けてHBs抗体を持っていた白人の間で反応が起こったということから見つかったものです。

高橋:いつごろですか。

与芝:1963年。これによってブランバーグという人は1976年にノーベル賞をもらっています。これがB型肝炎の発見の端緒ということになります。

高橋:そのB型肝炎ウイルスが体に中に入ると、どうなるのですか?

与芝:これは年齢で大きく違いまして。これはもう全世界的にそう言われていますけれども、幼児ほど、乳幼児ほど、いったん体に入ったウイルスを排除できないんですね。それは肝臓にすみ着いて、キャリア状態といって、要は肝臓にすみ着いてしまうという状態になります。だいたい5歳までで、5歳以上になりますと、自分と他の区別がつくようになる。小さい子って、私のものは私のもの、あなたのものは私のものって、そういう。

高橋:はい。友だちのものも自分のものだと思いますね。

与芝:そんなようなね。要するに自と他の区別がつきにくいんですね。

高橋:ウイルスも自分のものだと思ってしまう。

与芝:そうです。それで排除しないんですね。5歳を過ぎるとさすがに、どうも異物だということで排除していくということで、年齢でだいたい決まっていきます。ただ、ヨーロッパで流行っているゲノタイプAというのですけれども、これは大人にもすみつく。ウイルスには違うタイプ、異なったタイプがあるのです。日本はだいたいゲノタイプのCというのが一番多くて、7割がCで。

高橋:それはB型肝炎の中のA、B、C。

与芝:そうです。B型肝炎の中のCとBなんですね、日本は。これはさっき言った原則で排除されますけども、Aというのは大人でも一部慢性化するんです。ここがちょっと日本と西洋の常識の差なんですね。最近問題になっていますのは、最近の日本のB型肝炎は、そのゲノタイプAが多いんですね。大都市、東京とか大阪では半分ぐらい。これはセックスを介してうつると言われていますので、日本が非常にそういう意味で国際化したということを意味している。だから最近は、多少大人でも慢性化するんじゃないかということを危惧しているという点ですね。日本古来のものであれば、成人であれば慢性化しないという常識が、少し変わってきているというところはありますね。

高橋:感染者というのは日本でどれぐらいいるんですか?

与芝:日本は中感染国といわれ、感染率2~3%と言われていたんですね。1億人ですと200万人弱。ただ、これ急速に事情が変わってきておりまして。2%ぐらいあった感染者が、年代別でいえば、そうですね、昭和43年生まれぐらいの方というとどうなりますかね。

高橋:昭和43年生まれですか?

与芝:ええ。50歳代ですかね。もうそろそろ40歳後半ぐらい?

高橋:まだ50歳には届かない。40代前半。

与芝:その辺までは2%だったんですけど、そこから急激に下がってきておりまして、最近は特にワクチンで母児感染を阻止するようになってからはほとんどゼロに近い数字になってきています。

高橋:ゼロに近くなっている。若い人はあまりかかっていないということですね?

与芝:1986年に母児感染阻止といって、キャリアのお母さんから生まれた子に公費でワクチンを打つようになってからは、非常に下がって。それでも0.02とか0.03%ぐらいで、完全にゼロじゃないんですけど、ゼロに近い数字になってきています。だから年代別にかなり。

高橋:大きく違うということですね。

与芝:ええ、そういうことですね。

高橋:「感染者」といった時に、いったん感染してもう治っている人と、さっきおっしゃったように、肝臓の中にウイルスがずっとすみ着いている人と、もう一つ、実際に症状が出ている方。全部含めて感染者と呼ぶんですか?

与芝:抗体陽性者は既感染者といって、一応ウイルスを排除したということになっていますけれども。こう言い出すとまた詳しくなってしまうのですけれども、そういう、もう治ったと思った人の肝臓を使って――肝臓が今、足りませんから――、移植をするわけですね。そして、強い免疫抑制剤を使うと、いないと思っていた肝臓からウイルスが飛び出てくる。これを「デノボ(de novo)肝炎」というのですけど。

高橋:デノボ。

与芝:ええ。デノボ肝炎といって。要するに治ったと思った、つまり抗体は陽性ですね、その人たちの中に実は肝炎ウイルスが隠れていたというのがあるので、なかなか治癒の判定が難しくなったんですね。つまり、今までだと抗体が陽性だったら、「あ、治った」と言っていたのが、実は医学が高度になって、そういう人の肝臓を人に移植をするなんて昔はなかった事態ですね。そうなってみると、その中にウイルスがいるというのがわかってきた。なかなか、「もうこの人は治って、肝臓の中にウイルスもいませんよ」ということを断言することが、難しい時代にはなっています。ただ、キャリアという言い方をすれば、それはHBs抗原が陽性である人のことをキャリアと言っています。

高橋:抗原のほう、つまりウイルスのほうが体の中から見つかっている、その人はキャリアである、と。

与芝 そうですね。

高橋 抗体がたくさん体の中にできて、もうそのウイルスはやっつけちゃっていると判断できる人は、まあキャリアじゃない。

与芝:キャリアとは言いませんけれども、さっき言ったように、肝臓に隠れているウイルスを発見するのは難しいので、それでさっきのように、医学が進歩してくると、今まで治ったと思ったのは、必ずしもウイルスがいなくなった、排除してしまった、というふうに断言できないという。

高橋:ということがだんだんわかってきた。

与芝:新しい事態になってきているということになります。

高橋:わかりました。では、このあたりでB型肝炎訴訟のいきさつを振り返りたいと思います。国民に予防接種を義務付ける、国が義務付ける法律、予防接種法ですね、これができたのが戦後間もない1948年、昭和23年のことですね。

与芝:そうですね。

高橋:それまでは予防接種ってなかったんですか?

与芝:そうですね。あったとしても、国が強制するということはなかったんですね。事情はアメリカもそうでした。アメリカは、国が予防接種を義務付けて、全員並べてですね、集団で接種するということないんですね。アメリカの場合は、あくまでも両親の責任において、開業医で、自分で行って打つということなので。1991年に、アメリカの予防接種率が低いということがわかったとき、それは60%ぐらいでした。日本のように、ある年代まで全員打つということはアメリカではなかったんですね。それから、昭和28年にWHOから「予防接種の時に針を替えなさい」という勧告が出たんですね。アメリカはこれをかなり精密に守ったんです。なぜかというと、開業医ですから、もし感染させると、訴訟社会ですから訴訟を起こされるので。ニューヨークなんかは結構アジア人もいろいろいますね。なにせ多民族国家ですから。もし日本と同じことをやっていたらアメリカでも同じことが起こったはずなのに、アメリカはなってないというのは、その予防接種の仕方が任意であったことが大きい。それからやはり、B型肝炎というのはアメリカでは貧困層に多いんですが、その層は経済的理由で予防接種もできないということで。アジア人もヒスパニックもいるアメリカで日本と同じようにならなかった理由は、やっぱり予防接種の仕方が違っていたということが一番大きいと思いますね。

高橋:日本の場合は、国が義務付けて集団で接種した、と。その時に、1948年にWHOが針を替えなさいよ、と。

与芝:昭和28年、1953年。

高橋:ごめんなさい、1953年に「針を替えなさいよ」という勧告を出したにもかかわらず。

与芝:替えなかったという。

高橋:替えないんですね。使い回しをしていたと。

与芝:義務ということは、やらないと罰則規定があったんです。ですからやらざるを得ないというか、そういう状況に国が強制したということになると思いますね。

高橋:病気を防ぐために予防注射をしているのに、それでウイルスをうつされるなんていうのは、ほんとに思ってもみないことですよね、患者さんにすれば。

与芝:そうですね。

高橋:それで1989年に感染者5人が、「集団予防接種での注射器の使いまわし放置によりB型肝炎ウイルスを感染させられた」ということで、国に対して計5,750万円の賠償を求める訴えを札幌地裁に起こしたんですね。その一審については、先生は関わっていらっしゃらなかったんですね?

与芝:そうですね、はい。

高橋:一審で証人に立ったのは飯野四郎先生、肝臓の専門家として有名な方でいらっしゃいますけれども。この時「開業医などの一般医療行為が原因」と証言された、と。これはどういう意味ですか?

与芝:飯野先生は、それまでは予防接種でもB型肝炎が広がるということは教科書的に書いておられたのです。一審では、本来は公平な立場で、ガイダンス証人といって、B型肝炎の疫学について説明するということで、患者側、それから国側、両方から要請されて証人に出られたんですね。だから公平な立場でお話しするはずが、ここでは予防接種よりも開業医などの一般医療行為が原因であると証言された。特に日本人は確かに注射が好きで。うちの父親も医者でしたけど。昔は風邪をひくと、「先生、一本注射打って治してください」って。

高橋:そうですね。私が子どもの頃はそうでした。

与芝:ということで、日本人は注射好きだから、そっちのほうだ、というふうに証言されたんですね。

高橋:一般医療行為というのは、予防接種じゃなくて、病気になった時にお医者さんへ行って、そこで注射をされたために。

与芝:そうです。その時に要するに針を。

高橋:汚れた注射針でうつったんだろうと。

与芝:というふうに証言されたんですね。ただこの時には、一応弁護団というか裁判所が、全国の医師会とか、そういう医療機関の団体に、質問書を出しているんです。一応そういう開業医の集団、医師会が「そういうことはもうない」と。後で出ますけれども、煮沸消毒をしていたので、そういう清潔、衛生状態は悪くないはずだ、というふうに回答しているんですけども、なんといっても飯野先生、権威のある方ですから、飯野先生のこの主張が通ってしまったということですね。

高橋:一審では、ということですね。まだしばらく一審の証言が続きますが、保健婦さんが「実際に予防接種は使い回ししていた」と、その実態を証言された。これは大きいですね。

与芝:昭和50年ぐらいまでは替えなかったということを。これは札幌地区ですけれども、おっしゃっていますね。

高橋:吉澤証人は、「想像を超える感染経路がある」と証言とされた、と。これはどういう意味ですか、「想像を超える感染経路」。

与芝:C型肝炎とB型肝炎と何が違うかというと、いろいろ違うんですけれども、病気は本質的に違うのですが、何といっても血中のウイルスの量が違います。B型肝炎ウイルスの患者さんで、私が経験した一番多い方は、その患者さんの血液1cc中に10億個ですね。

高橋:10億!

与芝:ええ、10億個のウイルスがいるという方が。

高橋:1ccってほんのわずかですよね。

与芝:そうです。10億個ウイルスがいるという方がおられましたね。C型はせいぜい1,000万個レベルです。やっぱり感染力というのは、血液の中のウイルスの量である程度決まりますので、C型に比べるとB型肝炎のほうがうつりやすいということは、それは間違いないですね。

高橋:間違いないことなんですね。

与芝:さっき言いましたように、それだけあれば、血液を例えば1億倍に薄めてチンパンジーで実験すると、B型はやっぱりうつるんですね。だから非常に多いということはわかるので、それが体液に滲み出てくると。体液というのはいろんな、汗でも、何でも出てきます。一番問題になるのは、膣液とか精液に出るんですね。だからセックスを介してうつるということがありますが、C型の場合ほとんどセックスでうつりません。それはウイルス量が少ないからですね。ですから、吉澤先生がいろいろ調べたB型肝炎の、ある程度散発的に出るのを調べてみても、C型はたどっていくとだいたい発生源がわかるけれども、B型はわからない、と。だから想像を超える感染経路がある、と。非常にうつりやすいということになるのですけれども。ただ、ちょっとそこは問題があって。例えば、後で出ますけれども、家族内感染というのはあまりない。一緒に住んでいたからすぐうつるわけではない。例えば、もしB型肝炎ウイルスの感染力が非常に強くて、どんなルートで来るかわからないと。そうすると生物化学兵器になってしまうわけですね。つまり、爆弾にして落とせばどんなルートでも行くわけですから。B型肝炎ウイルスってそれほどの感染力があるわけではありませんので、それが一つと。それから、私たち肝臓病医がB型肝炎の患者さんにお話しする時に、さっき言ったように、一緒に住むぐらいではうつりません、と。そうすると良心的な方がおられて。おじいさん、おばあさんで、自分たちはB型のキャリアだと、じゃあ孫と会っちゃいけないんでしょうか、とか。孫とお風呂に入っちゃダメなんでしょうかとか。そういう、非常に良心的な方になると、お孫さんに会うことすら遠慮されるような方もおられたんですね。それから、一時「B型肝炎のキャリアはエイズより怖い」といって、そういう差別をするような本がずいぶん出たんですね。

高橋:ああ、そうですか。

与芝:それに対して私たちは、患者さんに、「そんなにうつるもんじゃないから」と説明していたのに、「想像を超える感染経路がある」と言われてしまうと、なんとも患者さんに言いようがなくなってしまうということで。そのへんが、私が裁判の反証に立った一つの、遠因、動機であったということもありますね。

高橋:では、次の年表を見てみましょうか。これが96年で。2000年が地裁の判決ですね。

与芝:そうです。敗訴していますね。

高橋:これはもう全面的に原告の言うことは受け入れられなかったんですね。

与芝:そうですね、全く。さっき言った、飯野証言と吉澤証言が最も重い根拠になって。要は、そういう意味でいえば予防接種に限定できないわけですね。

高橋:どこからうつったかわからない、と。だから予防接種が原因だとは言えません、という。

与芝:そう。予防接種はワン・オブ・ゼムですね。だからそれで敗訴ということになりました。

高橋:すぐ原告側は控訴するわけですね。

与芝:そうですね、はい。

高橋:その後に先生のところに、証人になってほしいという依頼が来たわけですね。

与芝:そうですね、たまたま偶然というか。ほんとは、私は専門が劇症肝炎という、これもかなり恐ろしい病気で、ちょうどその裁判にちょっと関わっていて。

高橋:別の裁判があったわけですね、劇症肝炎をめぐる。

与芝:ええ。そこに持ち込んでこられたのが以前から知っていた患者さんでした。神奈川の肝炎の患者さんの協議会があって、「あすなろ会」というのですけど、私はそこで定期的に講演をしていたんですね。その代表の方が、全日本肝炎患者協議会というもっと大きい組織の常務理事もされていたんです。おそらくそこのルートだと思うのですけれども。なんとか控訴したんだけれども、患者側に立って証言してくれる肝臓専門医が誰もいないということで困っておられて、「先生、なんとかしてくださいよ」というお話だったんですね。私は別の訴訟のほうで忙しかったんです。資料を見たら、やっぱり原告側の証人が飯野、吉澤という当時の肝炎の疫学の二大権威でしたし、裁判書類もこんな厚くて、とても読む気もしないので、そのうち逃げ出そうと思って、「その辺に置いといてください」と言ったのが、それが確か4月ぐらいですか。で、忘れていたんですよ。そうしたら7月に突然、原告側の弁護士さんから、「10月に先生が札幌高裁で証言することにもう決まりましたから」という電話が来て、「えーっ!」って。そんな気がなかったもんですから、それから猛勉強して。逃げられませんので。それで証人に立ったというのが実情で。実はいつ逃げ出そうかと思っていたのが真相でありまして(笑)。進んで出てきたというわけでは全然ありません。

高橋:でも、いざ証言するとなったら猛勉強をされて、意見書を書かれたという。

与芝:そうですね。

高橋:先生の意見書の、論証のポイントというと、どこだったのでしょうか。

与芝:そうですね、さっき申し上げたように、まず開業医が、つまり日本の一般の医療のレベルですね、衛生レベルが低かったかどうかという問題が一つあると思います。高橋:そうですね。グラフが出ますか? これはどういう。

与芝:この曲線、曲がっている線は、予防接種の全体数、数ですね、予防接種をどれだけ行ったかの延べ数があります。やっぱり戦後に、これはGHQの指令だと思いますが、急激に予防接種が増えている。これはだから義務化されて。

高橋:48年ですね。

与芝:それからこう落ちてきているんですけども。この落ちてきている最大の理由は、「種痘禍」といって、天然痘のための種痘というのがありますね。

高橋:はい。

与芝:あれを打っていたところ、実際に天然痘を発症してしまうと。今でもポリオの生ワクが。

高橋:今、問題になっています、はい。

与芝:問題になっていますね。そのもっと頻度の高い発症だったんですね。お母さんたちが予防接種全体を嫌がるようになって、こう減ってきたんですね。それがこのグラフです。また少し増えていますけれども、いずれにしても漸減傾向ということになっています。このグラフは、大腿筋四頭症…、これは要するに開業医が盛んに筋注をやったので。

高橋:大腿四頭筋というのは何でしたっけ?

与芝:これは注射をする。特にお子さんに、当時クロマイという注射があったんですね。

高橋:はい。お尻にするんでしたっけ?

与芝:そうです。大腿部にもリンゲル液を大量に皮下注射したんですね。今みたいに小児に点滴をするという知恵がなくて、かなり太い針を赤ちゃんの大腿部に刺してリンゲル液を入れて脱水を防ぐという、そういうかなり野蛮な医療行為なんです。

高橋:そうすると注射によって足の筋肉が萎縮してしまうということですね?

与芝:ええ。これは訴訟になって、増えたんですけど。

高橋:グレーのは?

与芝:これは、HBs抗原の、その年の発症者数ですね。だから、要するにここでほとんどもう終わりになったんです。つまり、開業医の方もこれを見て、ここから小児の注射がほとんどなくなってしまったんですね。ところが、B型肝炎ウイルスのキャリアはやっぱり発生していますね。注射がやめになって、HBVキャリアの発生が突然なくなったというわけではないので。このカーブ、このこととこのキャリアの減り方というのは、それほど大きな相関はないですね。

高橋:そうですね。

与芝:これが原因であれば、ここでもうなくなるはずなんですけど、違う動きをしていますね。むしろこの減り方というのは、むしろ予防接種の数の減り方にある程度パラレルに動いているというのがおわかりになると思います。それから、私の父親は開業医でしたけれども、ほとんどの戦後に開業した方って軍医だったんですね。日本というのはやはり富国強兵で、いかに虎の子の軍隊を色々な感染症から守るかということに力を入れた。それでドイツ医学を明治以降導入したのです。一番簡単な消毒というのは煮沸なんですね。水と熱があればできる。ですからうちの父親もそうでしたけども、ほとんどの開業の先生は、まず開業する時に煮沸器を買うんですね。シンメルブッシュといって、言ってみれば開業の三種の神器みたいなもので。それにあらゆる器具を、水洗いしてから入れて、必ず30分間煮沸するというのが毎朝の習慣なんですね。どこの開業医へ行かれても必ずやっていたと思います。

高橋:なんか見覚えがあります。記憶に残っています。

与芝:そうでしょ。ところが、B型肝炎ウイルスというのは、15分間煮沸すると死活してしまうんですね。だからB型肝炎なんていうものを知らない前から、要するにそれはバイ菌対策だったのですけれども、実はB型肝炎対策を、知らずしてやっていたということが現実だったんです。その事実は、さっき言ったように、医師会がかなり裁判所に言ったんですけれども、飯野先生とか吉澤先生が中心となって、都と国からB型肝炎対策として煮沸以外の、次亜塩素酸カリウムとか、そういう消毒剤を使った消毒法も出したんですね。それを出したのが、たしか昭和55、56年ぐらいだったと思います。それまでは日本の開業医のHBVへの消毒はなってなかったという立論ですね。

高橋:あーあ、そういう理屈ですか。

与芝:自分たちがそういうガイドラインとか指導書を出したわけだから、それまではいいかげんだったということにしないと、自分たちの立場がないので、こういう煮沸消毒をしていたという事実は無視されたと。開業医の子どもでなければ、そういう医療現場ってわかりませんので。飯野先生も、実際に現場を見ておっしゃったのではなくて、自分が医者になった理由は、盛んに日本の医者は注射をするから、それを止めようと思って医者になったとおっしゃっているんですね。だからある意味で想像の範囲内でおっしゃったというふうにしか思えない。

高橋:もう一つのグラフは、HBs抗原と抗体の陽性率、日本人の陽性率ですね。緑が抗体ですから、体が作ったほうですね。

与芝:そうですね。

高橋:それがあるということは、さっき言ったように、もうウイルスをやっつけちゃった人。

与芝:追い出したという、一応そういうことです。

高橋:下は生まれ年ですね。

与芝:そうです。戦前、結構やっぱり感染が多くて。B型だったんですけど。日本はキャリア自体の発症はあまり多くなかったんですね。東南アジアとかは5%以上の国が多いです。さっき言った、原産地のアフリカへ行くと、数十数%がキャリアという国もあるんです。

高橋:そんなに多いんですか。

与芝:それに比べれば低かったのは、もともと日本というのは、わりと衛生的で、江戸時代に宣教師が日本を旅して、ヨーロッパと比べて日本は、特に江戸なんかは、排水もきれいだったし、衛生状態が非常に良いと激賞していますけれども、そういう状況を反映して、キャリアの発生はもともと2%ぐらいで。まあ抗体は多かったのですけれども。徐々に減ってきているのは、実はさっきのグラフと比べると、予防接種の減少とほとんどパラレルに動いてきています。だから、5歳までに感染すればキャリアになりますね。それ以上の年齢で感染すれば、こっちの抗体陽性になる。要は年齢で。両方のカーブの棒グラフがパラレルに動いているのがわかるのは、要は全体としてなくなってきたと。大人も予防接種していましたから、全体、全部きれいになったという、そういうことになりますね。

高橋:それで母子感染防止の。

与芝:86年ですから、ここですね。

高橋:そこでワクチンが始まるわけですね。

与芝:そうですね。

高橋:それ以降、子どもは、新しい感染者はほとんどいなくなったと。

与芝:ええ。直前がだいたい0.3%です。これですね。0.3%というのは、お母さんから子どもへの垂直感染率と推定されていた数とほぼ同じなので。そういう意味では、このワクチンの始まった頃にはもう水平感染はなくなっていたと。で、どの辺から減ってきたかというと、だいたい昭和45、46年からどんどん激減してきているんですね。それまで2%ぐらいという、中感染率と言われていたのが、この辺からは低感染率です。

高橋:そうですね。今や低感染率の国になっているんですね。

与芝:かつ、母児感染阻止という方法でキャリア対策をとったのは日本と英国だけなんです。あとの国はユニバーサルワクチンといって、生まれてきた子全部やっているんです。

高橋:全員に。

与芝:特にアフリカなんかは水平感染が多いので、きわめて有効なのですが、日本はなぜしなかったかというと、要は母児感染を阻止すれば、キャリアはいなくなったからですね。それはコストパフォーマンス的によろしいんですね。イギリスはだいたい人口10万対1人ぐらいしかB型肝炎がない国なので、要はその国と同じことをやったら同じようになくなったということは、日本はイギリス並みに、もうその当時はB型肝炎について、特に子どもですね、幼児については非常にきれいな、クリーンな国であったということになります。いつからクリーンになりだしたかというと、だいたい昭和44年、45年ぐらいですね。この辺から明らかに減りだしていますので。これは何が一番影響したかというと、さっきのグラフでお見せしたように、お母さんたちが。

高橋:予防接種に慎重になったと。

与芝:予防接種を嫌がって減らしたと。お母さんたちがある意味でキャリアを駆逐したと。

高橋 なるほど。

与芝 国もいろいろやったとか言ってますけど、実はお母さんの運動です、そういう意味では。種痘禍がスタートでした。予防接種は今は、任意が増えましたね。義務で打つのは4種類ぐらいで、少なくなったのです。任意が増えたことで逆に問題もあるのですけれども。しかし、少なくともキャリア発症に関しては、お母さんたちが予防接種を嫌がったということが非常に良かったということになりますね。

高橋:なるほど。そういう先生のご証言が2002年にあったんですね。それで高裁判決、一部勝訴になったわけですけれども。高裁判決のポイントは。

与芝:いま言ったように、統計的な事実に関しては、国も反証する証拠を挙げておりましたので、それらは、いま言った統計的なことは採用されませんでしたけれども、少なくとも飯野証言ですね、このように日本の医療レベルが非常に低いと、つまり感染を誘発しているという、一般開業医がそういう医療行為をしていたということは、きわめて特異なというか、特殊なことを言っているので、一般的にはそうではないということで、この開業医のほうが否定されました。それは、やはり日本ですから、さっき言ったアフリカなんかですと、確かに蚊が媒体して、キャリアのお母さんからお子さんが生まれても、生まれたとたんにバーッとたかるんですね。

高橋:蚊が?

与芝:蚊とかいろんなものが。ですから、水平感染か垂直感染なのかわからないという国があるんですね。ですから、そういう国は、それは確かに「想像を超える」というのがあるかもしれません。でも、さっき言った、わが国の戦後のある時期からとなれば、お子さんは5歳以下しかキャリア化しませんので。そこはC型と一番違う点で、C型は何歳からでも慢性化しますので。そこに限局できた、つまり特殊な、4歳までのお子さんの衛生状態がどうだったか、そこを問題にすればよかったので、その点では、さっき言ったように、当時はもう非常にクリーンな状況になっていて。水平感染というのは、予防接種以外は。

高橋:考えにくい。

与芝:ということになりました。「想像を超える」、これはある意味でサイエンティフィックじゃない表現ですよね。

高橋:ええ、そうですね。

与芝:本来、サイエンスの闘いであるべき裁判でこういう文学的な表現をすること自体ちょっと問題だと思うんですけど、これも具体性がないということで否定されて。その2つの大きな、つまりこの2人の証言を否定できたということが、勝訴の一番大きな。

高橋:高裁が一部になったのは、一部の方は除斥期間という、民法に定められているものがあって、訴えが遅すぎたという判定だったわけですね。

与芝:言ってみれば、時効みたいなもんですね。

高橋:そうですね。

与芝:時効が過ぎたので、もう遅いということだったのですけれども。それは最高裁で。

高橋:最高裁の論理は、発症した時から数えるべきだと。注射を受けた時から数えるんじゃないと。

与芝:発症しない限りご本人はわかりませんので、訴えようがないんですね。無症候性キャリアという時期がかなりありますので。そこを患者の責任にするというのは無理ですので。最高裁の判決文が妥当であろうかというように思っております。

高橋:つまり5人の方全員の訴えが認められた、全面勝訴ということだったわけですね。先生は高裁での証言の時ですね、日本の裁判に対しての苦言を呈されて。

与芝 そうですねえ。

高橋 ちょっとその部分の先生の証言を読み上げますと。

 『日本の法廷では、いわゆる「権威者」を証人にして、その証人がその時適当な思い付きを述べると、それが最有力証拠となる。この点で日本の裁判制度は極めて遅れている』。こう発言なさったわけですね。

与芝:私が出てきて、要は論文を集めて、一応目を通した論文はやっぱり300ぐらいありましたし、中身を読んだのも60ぐらいありましたので。読んでくると、徐々に積み上げ方式で、エビデンスを積み上げていくとそういうことにしかならなかったのです。日本の、今後はどうなるかわかりませんけれども、今のところはなるべく権威者を連れてきて証言してもらう。権威者も、適当なことを言っているとは思いませんけれども、それだけ証拠を集めてきちっと積み上げてきたかどうかという部分は非常に疑問があります。現在はエビデンス・ベースド・メディスンといって、要は証拠をいかにきちっと積み上げるかが重要です。権威者の意見というのもあるんですよ。でもそれはエビデンスレベルでは一番低いんです。だけど日本の裁判というのはそうじゃなく、逆で。偉い人を連れてきて、その方が証言する。それ一番が有力な証拠になってしまうという意味では、遅れているんじゃないかということを最後に申し上げて、証言の終わりにしたのです。多少それが影響したのかな、と一人で満足しているというところがありますけど。

高橋:やっぱり証拠をもとに判断するというのは、お医者さんに限らず、社会のあらゆる場面であらゆる人が持つべき発想法ですよね。

与芝:おっしゃるとおりです。いずれにしても医療裁判というのは、弁護士さんと裁判官では判断できないんですね。

高橋:そうですね。

与芝:必ずそこにドクターとか医学研究者、いわゆる医療の専門家が来なければ議論ができないわけです。特に今回の問題もそうだったと思うんですね。ところが、その人たちっていうのは同じ学会に属していますので、だいたい顔見知りです。飯野証人は私の医局の6年先輩で、吉澤証人っていうのは非常に仲のいい友だちだったので。

高橋:ああ、そうでしたか。

与芝:それを相手に論理的に、それは裁判の中だといっても、そこにはとどまらない部分もありますので。そういう意味では日本の医療裁判の証人の集め方というか呼び方にも問題があると思うんですね。それが最後しこりになって残るようでも困ります。現に、それはあり得ることなので。

高橋:そうですね。わかりました。もうちょっとお話を伺いますが、いったんここでコマーシャルを入れます。

<CM>

高橋:「科学朝日」。本日は、せんぽ東京高輪病院院長の与芝真彰さんをお迎えしています。ここまで、B型肝炎訴訟の逆転勝訴までの道のりをお話しいただきました。先生は、ご著書『B型肝炎訴訟』の中で日本の医学界の問題点も赤裸々にお書きになっている。それで私なりにポイントをまとめてみましたので、ご覧いただけますでしょうか。日本の医学会の問題点、ここでは5つ挙げることができると。メーカーの問題点、大学側、学会、医師の発想パターン、医療裁判の問題点と、5つ挙げてみたのですけれども、医療裁判の問題点についてはいまお話しいただきました。最初の、日本の薬品メーカーの姿勢ですが、先生は、「独創性に乏しくて、柳の下の2匹目のドジョウを目がけて群れたがる」とご指摘なさっています。

与芝:私の分野ですとインターフェロンという薬がありますけども、世界では2社しか作ってないんです。まあ3社です。日本ですと、日本は7から8社ぐらいで作っているんですね。

高橋:ほー。群れているんですね?

与芝:そうですね。おかしいでしょ。70億人の人口の世界が2か3社なのに、1億人余りの人口の日本だけ7から8社作っているというのは。要はインターフェロンというのは当たって、売れそうだとなると、ほとんど同じようなインターフェロンが作られる、と。そのうちまた外国がより進歩したものを作ってしまって、置いてきぼりになるということが、このインターフェロンでありましたですね。

高橋:なるほどね。

与芝:だから発想が貧困というところがあって。おそらく安全性をとるのだと思うんですね。リスクをとらないというか。日本の優秀な薬学を出た方たちが、ほとんど大会社、大きな製薬企業に行ってしまいますけど、アメリカですと逆に自分で会社作って薬品開発をやるんです。その辺の発想、リスクの問題もありますけど、その点ではどうしても日本はアメリカに勝てない。創業者精神というのですか、それではちょっと勝てないんじゃないかという気がします。

高橋:2番目に、大学側の問題点として、メーカーが薬を開発するにあたっては臨床試験というのが必ず必要になって、それは大学でやるわけですけれども、これは学問的業績が低いとされて重視されない。ところが、裏では、研究費の獲得手段として非常に重視されている。このねじれた関係になっていることを先生はご指摘なさっています。

与芝:臨床試験を任される主任研究者というのがいるのですけど、それはだいたい学会のボス系の方なんです。その方の胸三寸で人を集めるということ、つまり民間の研究費の配分ですね。これはやっぱり民間の研究費の配分としてはかなり大きな機能を持っているのですけれども、それが結局恣意的に人を集めていくというところで、そこで小さな権力が生まれてしまう。これは厚労省の班会議もそうです。班長が班員を集めますので、誰を選ぶかというのは班長の胸三寸。という意味では、小さな権力機構をつくっていくという、そういうことに役立ってしまうという意味では、もっと公平性を持たないと。それから、臨床試験というのは会社にとっては重要ですから、最近はずいぶん良くなりましたけれども、昔はずいぶんいいかげんな試験をしていた時代もあるので、この辺の問題はあると思います。

高橋:ありますね。3番目に学会の問題点ですけれども、肝臓学会という学会があるのですから、今回みたいなB型肝炎訴訟のような大きな問題であれば、学会が見解をまとめてもいいのに、そういうことは一切しなかった。

与芝:私の知っている限り、学会の中でこのB型肝炎の訴訟というか疫学の問題ですね、これが演題になったというのはほとんど見たことがない。それからもう一つ。薬害C型肝炎についても、きわめて学会は冷淡でしたね。それから、例えば、C型肝炎というと輸血で起きるわけですから、例えばもしそれを予防するのであれば、C型肝炎ウイルスが見つからない前から、もう輸血が犯人ってわかっていましたから、学会を挙げて例えば輸血をしないように指導していくというのが本来ですけど、全く肝臓学会はしないで。唯一やったのが整形学会で。

高橋:そうなんですか。

与芝:自己輸血ですね。つまり自分の血液を輸血するというのに一番熱心だったのは整形学会で、肝臓学会ではほとんど取り上げられてないですね。そういういわゆる世俗的な、といいますか、でもそれは患者さんとか日本国民にとっては一番重要な点だと思いますが、それに対してほとんど取り上げない。まあ確かに学会ですから、学問の蘊奥を究めて、要するに学問を究めるという意味では、こういうのは確かに世俗の問題ですけれども。ただ、EE学会といって、これは泌尿器科の系統の学会ですけれども、この学会は、腹腔鏡の事故が多発した時に、学会自体が鑑定するという意味で医療事故に乗り出してきた。これは、非常に珍しい例だと思います。

高橋:そういう学会もあるということですね。4番目に、日本の医師の発想パターンとして、仲間内から生まれた画期的発見は、最初は信用しないで、むしろつぶしにかかると。

与芝:そうですね。今、日本の若い、頭のいい研究者はまず外国論文誌に投稿して、それが通ってから日本で発表するという、もう極端な形になってきて。なかなか仲間内の発見とかそういうものを認めたがらない。外国で見つかったものはすぐ取り入れるという。そういうのがある。まあ中進国的ですね、発想が。

高橋:そうですね。この辺が全部変わっていってほしいものですね。

与芝:そう。特に創薬といって薬をつくるという意味では、完全に日本は、C型もB型も後れをとってしまいました。それはやっぱりこの辺の、全体の、リスクをとってでも新しいものを追求していくという姿勢が欠けているからだと思います。そういう点で、外国に創薬のところで負けているということがあると思いますね。

高橋:この本をきっかけに、変革の動きが少しでも早まるといいですね。

与芝:そうですね。

高橋:はい。今日はいろいろ貴重なお話をありがとうございました。本日は、B型肝炎訴訟を原告勝訴に導いた、肝臓専門医の与芝真彰先生にお話を伺いました。「科学朝日」、本日はこの辺りで失礼します。次回もぜひご覧ください。