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教師、師走でなくとも走りすぎる

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 文部科学省の発表によると、2010年度に全国の公立小中高校の教職員のうち病気による休職者8660人中精神疾患が5407人を占め、全在職者の0.6%にあたるとのこと。さらにその年代別割合は50代以上が39.8%、40代が33.8%、30代が19.7%と、むしろベテランになるほど高くなる傾向にあるらしい。

 2000年度の精神疾患による休職者は2262人で全在職者の0.24%であったので、10年間で2.5倍近い増加率である。これは決して教師に限らない社会的大問題なのかもしれない(精神的ケアを必要とする大学生・大学院生も増加の一途であり、大学でもその本格的な対策に懸命である)。しかし、日本の将来を担う子供たちの教育という観点からも決して看過できない。

 実は、私の両親は小中学校の教師であった(20年以上前に定年退職している)。ほぼ毎日夕方6時前には帰宅していたものの、夜はガリ版をきったり、テストの採点をしたり相当の量の仕事を自宅に持ち込んでいた。それでも、十分やりがいのある仕事だと感じていたのではあるまいか。当時、基本的には教師は親から信頼されていたし、世間的にもそれなりに尊敬される職業であった。農家が多い田舎であったためか、生徒やかつての教え子の親御さんから野菜や果物を頂くことも多かった。そこにはある種の信頼関係が確立していたように思う。小中学校の教職員は職業としても人気が高く、採用試験は驚異的な高倍率であった。

 一方、現在の小中学生を持つ親の間では、何をさておき担任の教師の資質がもっとも重要な関心事となっているようだ。もちろんその気持ちはよくわかる(とくに自分の子供が学校に通うようになると)。ただし、それが高じてモンスターペアレンツ(誰が考えたのか知らないが、いささかぎょっとする和製英語である。アメリカではヘリコプターペアレンツと呼ぶらしい。常に低空旋回しており、何かあるとすぐに着地するからであろうか)を生み出したりする現状は異常である。親と教師の間は信頼関係というよりも、何か監視つきの契約関係と化している感すらある。

 教師はただでさえ複雑化する子供の心理的ケアに加えて、親からのクレーム対応など、本来の授業以外のさまざまな問題に時間と過度の心理的負担を強いられている。さらに、授業がないからといって休むのはおかしいという「正論」の登場の結果、我々の子供の頃には当然であった教師の春・夏・冬休みが事実上消滅してしまった(複数の知り合いによれば、別に仕事がなくともとにかく校内にいることが義務づけられているらしい)。

 昔に比べて、今の先生方の忙しさは半端ではなかろう。さらにそこに追い討ちをかけるように免許更新制とやらが導入された。

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