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対症療法でないセンター試験改革を

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 今年の大学入試センター試験(以下、センター試験)が何とか終了した。毎年のことではあるが、試験にかかわるトラブルが大きく報道されるたびに、関係者の方々の大変さがしのばれる。マスコミは何であれ批判することが仕事なのかもしれないが、本来は毎回の経験を教訓として、次回への提言をすることが本筋である。今回は、後者の立場を意識した視点を提示してみたい。

 今年とくに取り上げられたトラブルは、社会2科目選択者に対する問題冊子配布の混乱と英語リスニング機器の不具合・未着である。英語リスニング機器の未着は単純なミスとしか思えないが、震災に関連して試験場が変更になったなどの事情が重なったものであろう。不具合について言えば、55万人もの受験者がいる全国規模の試験であることを考えると、「統計的」には致し方ないレベルだと言うべきだ。

 すべてのトラブルをゼロにすることは理想だとしても、それを前提とすることは現実的ではないし、誤ってすらいる。ある割合でのトラブルは統計的には不可避であることを前提として、そのトラブルをできるだけ少なくし、かつそれが起こった場合にリカバーする対策をどこまで準備できるかが本質である。

 センター試験の実施にかかわっている人員は全国で数万人規模であろう。試験は2日間であるから、延べ(5~10)万人×日労働と等価である。これは1人の人間が(150〜300)年間休みなしに働いた場合に相当する。どなたであろうと、極めて大事な場面において、後で考えてみたらなぜそんなことをやってしまったのかわからないほど、単純な失敗をした経験は1度や2度ではないだろう。このように、後でミスを指摘し批判することは容易だが、それをなくすのは事実上不可能だ。

 センター試験の場合で言えば、関与する人員を増やし、複数回のチェック体制をさらに強化する、試験期間を延ばしてミスのないことを確認する時間的余裕を増やす、がトラブルを減らす対策として思いつくし、そうしないのは怠慢だという声高な批判もよく耳にする。しかしその場合、試験にかかわる機密保持、コスト、土日以外の平日にまで試験を行うことの交通機関への影響など、さまざまな副作用が懸念される。

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