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「撤退するか残るか」。東電と菅首相が直面した究極の選択

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

福島原発事故直後に起きたことが、少しずつ分かってきた。焦点の一つは「昨年の3月15日」。事故4日目、すでに1、3号機の水素爆発が起きており、2号機格納容器の大規模な破壊と、さらなる大規模汚染が心配されていた「運命の日」だ。

 その日未明、東電が原発からの撤退を申し出て、菅首相が拒否。菅首相はその足で東電本社に乗り込み、社員を前に「撤退は許さない」としゃべった。その映像が、不可思議な「音声なし」の状態で残っていることが明らかになった。

 原発事故では、「炉を放置して撤退するか、残って命がけで事故収束にあたるか」という究極の選択がありうる。福島事故の「3月15日」もそれを迫られたのではないか。かつてのチェルノブイリ事故では炉心爆発後の消火作業などで30人近くが急性放射線障害で死亡した。

 いま東電と官邸の主張は「全面撤退といったかどうか」ですれ違っているが、「言った、言わない」の水掛け論で終わらせてはならない。それでは福島事故がつきつけた原発の本質を問う問題について、歴史に記録を残さず、将来に教訓を残さないことになる。

 原発事故の主な事故調としては1)政府事故調(畑山洋太郎委員長)、2)民間事故調(北澤宏一委員長)、3)国会事故調(黒川清委員長)、4)東電社内調査があって、それぞれに特徴がある。

 3)の国会事故調は、強い権限で、話を聞きたい人をだれでもよぶことができる。今年3月14日、武藤栄・東電顧問(事故当時は副社長、原子力・立地本部長)が参考人として招致された。なお東電関係者は民間事故調のヒアリングには応じていない。

武藤氏によると、昨年3月15日早朝、菅首相は東電本店(本社)2階の緊急対策室に乗り込み、「撤退は許されない」と強い調子で話した。これについて、武藤氏は「私たちは全員退避とは考えていなかったので、菅首相の『撤退するな』には大きな違和感を感じた」と話した。

 しかし、その数時間前、日付が14日深夜から翌15日未明にかけて、東京電力の清水社長は、「福島第一原発から退避したい」という「申し出」を首相官邸などに繰り返していたのである。今は、東電側は「全面撤退を企図してはいなかった」というが、電話を受けた側の菅首相、海江田経産相、枝野官房長官らは「全面撤退」と受け取り、「原発はどうなるのか」と相談していた。

 未明に、首相は清水社長を官邸に呼び出し、「撤退は許さない」と言い、清水社長が「わかりました」と答えたのだが、菅首相は「東電は撤退をやめたかどうか、わからない」と感じて、早朝に東電に乗り込んだのだ。

 その時の映像が残っているという。東電の本社と原発を結ぶテレビ会議システムの映像だ。

 そこには、菅氏がしゃべり、周囲の人たちが立ち尽くしているような光景があったという。しかし、不思議なことに、音が入っていない。

 映像には、午前6時過ぎの4号機の爆発の瞬間も写っていた。その映像にテレビを通して福島第一にいる吉田昌郎所長も写っていた。爆発のとき、吉田所長はいったん後ろを振り向き、だれかと少し話しをして、スッとヘルメットをかぶったという。現場の緊張がうかがえる。

 菅首相が何をしゃべっていたのかを知りたい、と思っていたら、すぐに情報がでてきた。翌3月15日の東京新聞夕刊が、「3・15菅氏発言/東電詳細記録」としてスクープしたのだ。(日付がややこしいが、昨年3月15日のできごとの記事が今年3月15日の夕刊に出たのである)。

 記事には「東電が第一原発から全面撤退すると考えた菅氏が、できる限りの取り組みと、覚悟を迫っていたことがうかがえる」とある。東京新聞の記事から菅首相の発言を引用させていただく。これがすごい。 

 【「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ。撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ」】(以上)

 文字で見るだけでも相当の迫力だ。菅首相の興奮と緊張した状況が伝わってくる。これの評価は、人によって異なるだろうが、ただ、東電のメモであることに留意する必要がある。ここには東電側の応答、発言は出てこない。

 だれが音を消したのか?さらに報道が続いた。3月19日の電気新聞の記事「官邸意向で録音停止か」である。記事は「関係者の証言」として、「官邸側の意向で音 声を一部消した可能性」とし、「結果的に歴史的な事故の記録の一部が失われる事態に至った」と書いている。

 記事を引用させていただく。

 【菅氏は居並ぶ東電幹部に対して、『逃げようとしたのはおまえか。おまえか』と一人一人指を指していったという。……東電側はこの際も通常通り録音を行おうとしたが、同行者の一人が録音をしないように働きかけたと証言している。働きかけた同行者が誰かは判然としていない。】(以上)

 菅首相は東電に、海江田経産相、細野首相補佐官らを帯同していた。

 昨年3月15日早朝の東電は、おおむね、これら二つの記事に示されたような状況だったのだろう。ただ、電気新聞が伝えたように、本当に官邸関係者が録音を止めさせのか?そうだとすれば、おかしなことをしたものだ。そして、その発言は、結局、東電のメモとして不完全な形で一部だけが表に出る。結果的には不健全な情報コントロールの応酬になり、正確なところは分からない。本当に音はないのか?正確な記録のために、まず東電が映像を公開すればいいと思うが、プライバシーなどを理由に公開しないといっている。しかし、これは「プライバシー」という種類の問題なのか?

 東電撤退問題について、最も核心をついた記事は次のものだ。

 (朝日新聞2012年2月6日付、「プロメテウスの罠、官邸の5日間35」)

 【清水(東電社長)に尋ねたかったのは、東電が何を官邸に要請していたかの問題だ。官邸のいう「全面撤退」だったのか「作業に直接関係のない一部の社員の一時的退避」だったのか。清水は周囲に「俺は二度と過去のことを語ることはない」といっている。

 清水は経済産業相の海江田万里らに撤退問題で頻繁に電話をしてきていた。15日午前3時すぎ、内閣危機管理監の伊藤哲朗は執務室で菅にいった。「決死隊のようなものをつくってでも頑張ってもらうべきだ」。菅も「撤退はあり得ない」といった。経緯はこのシリーズの前半で報じた通りだ。

 その後、清水は官邸に呼ばれ、撤退しないことを即座に了承した。伊藤は「東電はあれだけ強く撤退といっていたのに」と不審に思う。

 そう思ったのは午前3時前、総理応接室にいた東電幹部が「放棄」「撤退」を伊藤に明言したからだ。

 元警視総監の伊藤はそのやりとりを鮮明に記憶している。

 伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことをしたら1号機から4号機はどうなるのか」

 東電「放棄せざるを得ません」

 伊藤「5号機と6号機は?」

 東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」

 伊藤「第二原発はどうか」

 東電「そちらもいずれ撤退ということになります」

 政府の事故調査・検証委員会の中間報告は撤退問題を、官邸側の勘違いとの調子で片付けている。】(以上)

 こうした情報から考えて、私は状況的には「全面撤退ではなかった」という東電の説明には少し無理があると感じている。東電側が「全面撤退ではなく、必要な人員は残します」とどこかの時点でいっていれば、あるいは、「部分撤退の内容」を少しでも示していれば菅首相はじめ官邸側はこんな反応をしなかったと思う。それを言ったデータはない。炉を制御する人間を残す程度の撤退ならば、東電社長自らが夜中に何度も保安院や官邸に電話をかけたのも不自然だ。政府事故調や国会事故調は、このてんまつを明らかにしなければならない。

 それにしても、こうした記録が、なぜ日本では残らないのか、人々はきちんと語らないのか。

 私は、この問題は「いった、いわない」「うまく伝わらなかった」にとどまらない問題を含んでいると思う。「高い放射線環境下での仕事を命じることができるのか」「従わなければならないのか」という原子力の本質的な問題である。

 昨年3月15日未明は、本当に、事故がどこまで拡大するか予想できない恐怖の時間帯だった。残留すれば作業員の大量被曝が考えられる。関係者の考えが一時「撤去」に傾いたとしても不思議ではない。現場での議論、判断はどうだったのか。

 1986年、ウクライナにあるチェルノブイリ原発の4号炉が爆発し、原子炉周辺で火災が起きた。極めて高い放射線の下で、多くの消防士らが消火に当たり、急性放射能障害で30人近くが死亡した。そして、火災が収まったあとも、完全に露出した炉心に砂などを入れて蓋をするため、多くの作業員がかり出され、大量に被曝した。突貫作業の結果、原子炉からの放射能の大量放出は10日間でほぼ止まった。その作業がなければ、世界はもっと汚染されていたのである。

 当時、隣の3号炉の運転室で勤務していて、事故後すぐに消火作業にあたった元運転員に後年、インタビューした。彼は私に「我々は逃げずに闘い、死んだ仲間も多い。世界の人々はそれを知って欲しい」と話した。

 原発の大事故では、「放置して逃げるか、命がけで残るか」という選択を迫られることがある。86年のソ連では、職員が作業命令を拒否できたとは思えないが、民主国家の日本ではどうするのか。チェルノブイリ事故のあと、少し議論が起きたが、そのときは「日本の原発で大事故は起きない」という安全神話に逃げ込んだ。

 日本では、作業員は原子力防災指針の100ミリシーベルトの被曝が上限になっている。しかし、今回の事故は、それを超える事態が起きる可能性があることを教えた。最悪のケースを議論しなければならない。それとも「もう起きない」という「第2の神話」に頼るのか。

 朝日新聞の記事をもう一つ。(2012年3月4日付、「福島第一原発 「運命の日」は3月15日だった」)

 【格納容器が壊れれば大量被曝のおそれがあった。当時発電所内にいた720人のうち、免震重要棟で復旧にあたった70人だけを残し、650人は一時バスで発電所から退避した。だが、最初から残そうとしたのではないという説もある。吉田所長が保安院に(昨年3月)15日早朝に送ったファクスの中に「対策本部を福島第二へ移すこと」という一文があるが、うえに線を引き「一部が一時、避難いたします」と書き直している。

 14日夜には吉田所長は死も覚悟していた。この状況について、清水社長が寺坂信昭保安院長(当時)ら関係者に電話した際、「一部要員を残す」と明言しなかったことが「東電の完全撤退問題」の原因とされるが、本当に完全撤退を考えていなかったのかどうかは不明だ。

 東電は昨年12月「全員撤退については、考えたことも、申し上げたこともない」という社内調査の中間報告を発表したが、官邸は一時、東電が完全撤退すると確かに受け止めていた。】(以上)

 実際、東電の申し出を受けた官邸側は、「撤退すれば原発の制御が失われる。残れと言えばその人たちの命に関わる」と感じて、困り切り、仮眠中だった菅首相を起こして判断を仰いだのである。 ・・・続きを読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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