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続・どの集団を愛するか~リアリティを形作るもの

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

前稿では、使用済み核燃料の中間貯蔵引き受け先や、原発再稼働、沖縄の基地移転などを、「どの集団で考えるか」という観点から論じた。いずれも「犠牲のたらい回し」という構造を持つ。実際に相手の負担を経験してみる途があるならば、共感のもとになる。

 シェアド・リアリティ(世界観の共有)が大切、とも書いた。が、舌足らずだったかも知れない。

 シェアド・リアリティは普通、文化差や差別などを考えるとき、その前提となる共通の価値体系を指す。が、ここではものごと(原発や基地)のメリット/デメリットを、実感として共通理解しているか、という観点で使いたい。

 実際、貯蔵施設を引き受ければ、核廃棄物のリスクを肌で感じとれる。また隣に米軍基地ができれば、騒音やストレスを実感的に評価できる。

 一般に「たらい回し問題」がこじれるのは、地元側と受益者側の損得計算が噛み合っていないからだ。その損得表が共有されるということがすなわち、シェアド・リアリティが成立するということに他ならない。

 実際にやってみれば、相手の気持ちがわかる。わかりやすい話だ。ただし「相手の身になってみれば」というのとは、似て非なる関係にある。後者は、実際にはやらないで想像してみるだけだ。それでは、真の仲間意識は持ちにくい。

 またシェアド・リアリティは、損得表を「計算ずくで」共有するというのとも、少し違う。実体験に基づいて情動的に「共有する」ことを指す。世界観の共有と共感と仲間意識は、潜在意識のレベルで密接につながっている。

 この意味のシェアド・リアリティがなければ、相手の立場を分析的に理解しても痛みを共有できない。体感的に共有できているかというのが大切なポイントで、だからこそ実体験が肝心なのだ。

 実体験がシェアド・リアリティの共有を深める。その意味で端的な例だと思ったのは、どこで読みかじったか忘れたが、「戦争を確実になくす簡単な方法」という話だ。

 戦争を起こした一国のリーダーは、

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