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「東電撤退問題」、最終報告では内容が変わるか?

竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

「政府事故調の最終報告では内容が変わると信じている」。「東電撤退問題」について枝野幸男経産相は、最近の朝日新聞のインタビューにこう答えている。撤退問題は福島第一原発事故の調査、検証で最大の焦点になってきた。

 東電は「全面撤退は考えていなかった」としているが、菅前首相ら官邸側は、当時、「全面撤退」の申し出と認識して困惑し、東電に「撤退は認められない」と強く求めた。冒頭の枝野氏(当時の官房長官)の言葉は、「今後、政治家への聴取が進めば、現在はあいまいになっている中間報告の内容が変わり、『全面撤退』だったことがはっきりする」という意味だ。

 事故調はいくつかあるが、国会事故調(黒川清委員長)の聴取では、すでに当時経産相だった海江田万里氏が「全面撤退の認識だった」と話した。今後、枝野氏、菅氏の聴取も予定されているので、より深い情報がえられるだろう。

 原発の大事故では、逃げなければ作業員の命にかかわる事故がありうる。残れば作業員が危険になり、原発を放棄してコントロールが失われれば広大な国土の放射能汚染を招く。

 そのときどうするか。原子力を抱える社会では、この「究極の選択」について、考えておかなければならないが、これまで日本は「大事故は日本では起きない」という安全神話に逃げ込んで議論を避けていた。今回現場は、準備不足のまま過酷事故に遭遇した。あわてたり、判断に迷ったりしただろう。重要なのは、その議論や判断のプロセスをきちんと記録に残して検証することだ。この問題をあいまいにしていては事故調査はなりたたないし、議論を避けるようでは、日本は今後原発をもつ資格がないといえる。

 事故調には、国会事故調のほかに、政府事故調(畑村洋太郎委員長)、独立の民間事故調(北澤宏一委員長)、東電事故調(山崎雅男委員長)がある。

 5月17日、海江田氏(当時の経産相)が国会事故調の参考人聴取にのぞんだ。海江田氏は、「清水正孝・東電社長(当時)から、福島第一原発から第二原発に退避したいという内容の電話を受けた。当然、自分の頭の中では『全員』という認識をした」と述べた。

 一部が一時的に避難するという趣旨ではなかったか?の質問には、「一部を残すという話はなかった。一時的避難ならば、発電所長でも判断できる。わざわざ私にまで電話をかけてくるのは重い決断だと思った」と、一貫して「全面撤退」の意味だったと述べた。

 海江田氏は清水氏との電話のあと、経産省の担当者に「全員が撤退したらどうなるのか」と尋ね、「1号機から4号機だけでなく、5号機から6号機へと全部爆発するという大変なことになる」と答えられた記憶も明らかにした。

 これに先立ち、5月14日には、東電の勝俣恒久会長が、同じ国会事故調の聴取で、全面撤退について「全く事実ではない。現場には700人以上いるので、直接復旧に関係ない人を退避させたらどうかという話」であったと述べている。主張は真っ向から対立している。

 これは原発の本質を問う問題だ。危険な事故の際、だれかが「残れ」という命令を出せるのか?逆に、命令されたら、従わなければならないのか?1986年のチェルノブイリ原発の爆発事故では、事故直後に炉周辺で起きた火事の消火にあたった消防士ら約30人が、急性放射線障害などで死亡している。

 毎日新聞の記事によると、今回の事故で原子炉の注水に出動した東京消防庁の隊員は、チェルノブイリで死亡した消防士に自分の部隊を重ね、「作戦には自信がある。ただ、かなりの殉職者を出してしまうかも知れないという思いを消せなかった」(2012年3月19日朝刊、「命の危険感じ」)という。

 今回の撤退問題も極限的な状況で起きた。事故4日目の3月14日。すでに、1、3号機の建屋が水素爆発していた。これによって周辺が汚染され、2号機に近づけず、圧力が上昇する2号機の格納容器のベント作業(ガス抜き)ができなくなっていた。「2号機格納容器が爆発し、さらに大量の放射性物質が放出される」という可能性が高まっていた。吉田昌郎所長も14日夜の時点で死をも覚悟していたと振り返っている。

 この状況の中で、14日午後7時ごろから、清水社長が何度か海江田経産相に電話して「撤退」を申し入れた。海江田氏は午後8時ごろ、「残っていただきたい」と拒否した。

 しかし、格納容器内の圧力は上昇し続け、午後11時46分には8気圧近くになった。格納容器は4気圧まではぎりぎり壊れない設計になっていたが、その2倍である。いつ壊れても不思議ではない状況になった。

 15日午前0時過ぎ、清水社長が枝野官房長官に電話。民間事故調の報告書によると、枝野氏も「そんな簡単にいえる話ではありません」と答えた。清水氏は「いや、でも何とか。とても現場はこれ以上もちません」といったという。

 大きな問題なので、枝野氏らは午前3時すぎ仮眠中の菅首相を起こした。菅首相は「撤退などありえない」といって、清水社長を官邸に呼んだ。ここで、菅・清水会談がもたれ、菅首相が「撤退はありえない」というと、清水社長は、「はい、わかりました」と答えた。

 菅首相は、それでも東電の姿勢がはっきりしないと考え、午前5時半に東電に乗り込み、統合本部をつくったのである。

 私が注目するのは、海江田氏が、国会事故調の聴取で、清水社長が官邸で「はい、わかりました」と素直に応じたことに対して、そのときの気分を「若干、気が抜けた」といいあらわしたことだ。

 「現場に残れば、急性被曝などの可能性もあるので重い決断だ。それを考えると、どうなのかなと」(海江田氏)。つまり、撤退するにしても、残るにしても、大変な問題なのに、軽く意見を覆したことに驚き、「気が抜けた」のである。

 これが撤退問題の概要だ。数時間にわたるやりとりなので、「勘違いをした、された」という次元のものではないだろう。私は、東電がいう「必要な作業員は残す」というものであったら、簡単に話がついて、こんなギリギリの話にはならなかったと思っている。また、この問題を考える際、あまり「全面」という言葉に固執したくない。要は、炉の制御をあきらめる規模の撤退を考えたかどうかだ。

 この撤退問題のてんまつについて、各報告書はさまざまにまとめている。

 (1)「政府事故調」の中間報告は、「当委員会の調査の結果、(東電)本店対策本部及び発電所対策本部において、一連の事故対処の過程で、福島第一原発にいる者全員を発電所から撤退させることを考えた者については確認できなかった」とサラリと書いている。

 こうも書いている。「(清水社長は)寺坂保安院長等に電話をかけ、『2号機が厳しい状況であり、今後ますます事態が厳しくなる場合には、退避もあり得ると考えている』旨報告した。このとき清水社長は、プラント制御に必要な人員を残すことを当然の前提としており、あえて『プラント制御に必要な人員を残す』旨明示しなかった」

 中間報告を書いた時点では、官邸側(主に政治家)の本格的聴取がなかったので、東電側の聴取を中心に書かれている。枝野氏が「最終報告では内容が変わると信じている」というのは、この政府事故調のことである。

 (2)一方、「民間事故調」は、「全面撤退」と言っていたことを強く示唆している。「東京電力は、残すことを予定していたと主張する『必要な人員』の数や役職等につき何ら具体的に示していなかった。また本調査でヒアリングを実施した多くの官邸関係者が一致して東京電力からの申し出を全面撤退と受け止めていることに照らしても東京電力の主張を支える十分な根拠があるとはいいがたい」

 (3)また「東電事故調」の中間報告では、東京電力は「全面撤退は考えたことも、言ったこともない」としている。

 (4)「国会事故調」の報告はこれからだ。海江田氏に続いて、5月末に枝野、菅両氏の聴取もある。より事態ははっきりするだろう。

 一方、心配された「2号機格納容器の爆発」はどうなったか。結論から言えば、爆発ではないが、かなりの破壊が起きた。

 15日午前6時、4号機で水素爆発が起きた。同時に2号機でも衝撃音が起きた。2号機で何が起きたかは、今も詳しくは分かっていないが、8気圧ほどあった圧力が、この衝撃音のあとほぼ大気圧になった。このことから、格納容器のどこかが壊れ、「プシュー」とガスが抜けるような形で放射能の大量放出が起きたと考えられている。

 ガスは高濃度の放射能を含んでいた。午前6時前、原発の正門前の放射線強度は毎時70マイクロシーベルト程度だったが、急上昇し、午前9時には約170倍の毎時11930マイクロシーベルトになった。そのとき南東の風が吹いていた。現在人々を苦しめている原発から北西方向の土地を汚した放射能の多くは、このとき、2号機から出たものと考えられている。

 撤退問題には背景がある。当時、事故現場はまぎれもなく「どこまで破壊が拡大するかわからない」という恐怖の中にいた。その状況の中での議論と判断だったことを忘れてはならない。

 ■以下は2011年3月14、15日の動き(朝日新聞の取材による。2012年5月16日の紙面と同じ)

 【14日】 <11時01分> 福島第一原発3号機が水素爆発。その影響で2号機は、原子炉格納容器のベントが不可能な状態に

 <13時25分> 2号機で15条通報事象発生(冷却機能喪失)

 <16時34分> 逃がし安全弁を開き圧力容器の減圧作業開始

 <18時ごろ> 圧力容器が減圧し始め、海水注入が可能な状態に

 <19~21時> 清水社長が海江田経産相に頻繁に電話。海江田「残っていただきたい」(20時過ぎ)

 <19時20分> 海水注入の消防車が燃料切れに

 <19時54分> 消防車に給油。海水注入を開始

 <20時過ぎ> 菅首相が吉田福島第一原発所長に電話。吉田「まだやれます。ただ武器が足りません」「炉内が高圧でも注水できるポンプがあれば」

 <22時ごろ> 官邸5階の廊下を松永経産事務次官が行き来。海江田「東電の撤退を言いに来たんだよ」。

 【15日】<0時ごろ> 清水社長が枝野官房長官あてに電話。枝野「簡単にハイと言える話じゃありません」。枝野官房長官、海江田経産相らが会議開始。枝野官房長官が細野首相補佐官に促され吉田所長と電話。枝野「まだやれますね」。吉田「やります。がんばります」。枝野「本店の方は何を撤退だなんて言ってんだ」。

 <3時ごろ>伊藤内閣危機管理監(元警視総監)が東電幹部にただす。伊藤「第一原発から退避すると言うが、そんなことをしたら1号機から4号機はどうなるのか」。東電幹部「放棄せざるを得ません」。伊藤「5号機と6号機は?」。東電幹部「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」。伊藤「(福島)第二原発はどうか」。東電幹部「そちらもいずれ撤退ということになります」。

 福山官房副長官「総理に判断を仰いだ方がいいのでは」。岡本秘書官が、仮眠をしていた菅首相を起こす。

 <3時過ぎ>菅首相が「撤退したらどうなるか分かってんのか。そんなのあり得ないだろ」と発言。

 <3時20分>官邸で東電撤退について協議開始。枝野「もうやるべきことはない、撤退したいとの話です」。菅「撤退なんてあり得ない」。

 <4時17分>清水社長が官邸に到着。菅首相と会談。

 菅「撤退などあり得ませんから」。清水「はい、分かりました」。小さく頭を下げて。海江田「ん? あれだけ強く言っていたのに」。

 菅「細野君を東電に常駐させたい」。清水「分かりました」。驚いた表情で。政府と東電が統合本部設置で合意。

 <5時28分>菅首相が官邸を出発。

 <5時35分>菅首相が東電本店に到着。

 菅「今回の事の重大性は皆さんが一番分かっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは、2号機だけの話ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機。さらに福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何カ月か後にはすべての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが、10基、20基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。

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