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科学の限界をヒッグス粒子実験で考える

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 2012年7月16日の本欄で尾関章氏が「メディアは、科学者の挑戦も学校の試験のように『正解』が決まっている、という誤解からなかなか抜け出せない」と述べられている。実は私も、ヒッグス粒子をめぐる報道は、その観点から論ずるべきであると考えていたので大いに共感させられた。ただし、メディアに責任を押し付けるつもりは毛頭ない。科学者は自ら説明し理解してもらう努力を怠るべきではない。今回は、尾関氏の論考を科学者の立場から補完させて頂きたい。

 おそらく世間では、科学は実験と理論を組み合わせつつ直線的に進歩し続けているものと考えられているのであろう。科学者の発表したことは絶対に正しいし、科学が間違えることはない、と。これは誤解以外の何者でもない。科学は、仮説を発表しその徹底的な批判検証を通じて間違いを修正する、という営みの繰り返しを通じて徐々に進歩している。端的に言えば、間違いを経ずして進歩はあり得ない。まさに「失敗は成功の母」というわけだ。ただし、そのような試行錯誤が科学論文として発表されることはない。科学者同士の雑談とか、講演の際に紹介される程度である。

 2011年11月8日、2012年4月18日の拙稿でもすでに繰り返して述べてきたように、「超光速ニュートリノ」は例外である。通常、このような舞台裏は科学者のコミュニティーの内部での批判検討が尽くされる以前に発表されることはない。しかし、逆に言えば、そのような間違いや失敗は研究の現場では日常茶飯事だ。科学が無数の間違いの中から真実を探り当てる作業であることを教えてくれたのだとすれば、お粗末な感が否めない「超光速ニュートリノ騒動」にも意義があったと言える。

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