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狂言「ゴリラ楽」の子育て支援

山極寿一 京都大学総長、ゴリラ研究者

 この10月、狂言師の茂山千三郎さんに猿楽ならぬゴリラ楽という創作狂言を演じてもらった。お題は「ゴリラの子守唄」。場所は京都シネマという映画館である。詩人のひらのりょうこさんの創案で、立合詩の朗読に始まって、狂言には声楽家の郷家暁子さんの歌が色を添えた。最後に、京都市動物園でゴリラの飼育を担当している長尾充徳さんと釜鳴宏枝さんが加わって、ゴリラの子育て談義をした。

 近年、日本の動物園ではずいぶんゴリラの数が減った。1990年代には50頭を超えたのに、今では半分以下である。それは、日本の動物園でゴリラの子どもが生れず、どんどん高齢化しているからである。1980年に絶滅の危機にある野生動物の国際取引を規制するワシントン条約を批准して以来、なかなか日本にゴリラが輸入されなくなった。人気者のゴリラを見せようとして各地の動物園でゴリラを保有しようとしたので、単独かオスとメス一対のペアで飼育されたのが原因である。野生のゴリラは平均10頭前後の群れで暮している。メスはパートナーとなるオスを自分で選んで群れをわたり歩く。こうした条件を満たせなければ、なかなか子どもを産ませることができない。

 日本でも、動物園どうしがゴリラを移動させて好ましいペアをつくり、何とか子どもを産ませようと計画した。これをブリーディングローンという。上野動物園は各地の動物園からゴリラたちを集めて「ゴリラの森」をつくり、ゴリラの群れづくりに取り組んで、やっと2000年にモモタロウという赤ちゃんの誕生にこぎつけた。

 今回の創作狂言は、そういったブリーディングローンの歴史が背景となっている。京都市動物園で生れた今年26歳のゲンキというメスは、かつて上野動物園にブリーディングローンで派遣されていたことがある。そのとき、モモタロウの父親ビジュに惚れこんだらしいのだが、モモコというメスに邪魔され、思うように交尾ができなかった。ゲンキはやせ細り、自分で指を噛み切るぐらいストレスがたまったようだ。ゲンキは京都へもどされ、モモコはモモタロウを産んだ。一昨年、そのモモタロウがブリーディングローンで今度は京都市動物園にやってきた。そこでゲンキとお見合いをし、昨年の12月にめでたくゲンタロウという赤ちゃんが誕生したのである。

 ところが、ゲンキは首尾よくゲンタロウを抱き上げたものの、いくらたってもお乳が出なかった。出産後100時間以上が経過し、脱水症状が出てゲンキの体力も限界となった。そこでやむなく母子を引き離して、人工保育をすることになったのである。以来、長尾さんと釜鳴さんは母親代わりになってゲンタロウを育ててきた。乳が出ないために子どもを失ったゲンキに成り代わって、千三郎さんがゴリラの狂言を演じたのである。

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