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ノーベル賞の陰に「科学の伯楽」がいる

内村直之 科学ジャーナリスト

ノーベル賞講演では、山中教授はいつものように「これは私一人の成果ではない。駅伝のように何人もの協力でやった仕事なのだ」というだろう。幹細胞について、それまでの発想をひっくり返し「普通の細胞を幹細胞化するためには……」と考えたのは、結果として素晴らしいアイデアだった。それを具体的に進めたチームワークも良かった。しかし、その研究を認めた「伯楽」も偉かった、と私は思う。

「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」(世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず=韓愈の「雑説」から)

 山中教授の場合の「伯楽」は、大阪大学の総長であった免疫学者、岸本忠三氏だ。2003年8月4日、当時奈良先端科学技術大学院大学の助教授であった山中氏は、科学技術振興機構(JST)の「戦略的創造研究推進事業(CREST)」の面接を受けた。相手は「免疫難病・感染症等の先進医療技術」という研究領域を総括する岸本氏であった。この事業は、1研究室あたり年間約5000万円の研究費を5年間保証するという大型のプロジェクトである。当時「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」という山中氏のテーマへの研究費は年間数百万円程度であったという。ヘタウマ絵を使った30分のプレゼンテーションの後、岸本氏はほとんど研究費のなかった山中氏を拾い上げた。この年の応募は全部で52件。選定された4件のうち、山中氏以外はいわゆる旧帝大の研究者であった。

 後に岸本氏は

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