メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ニュートンのもうひとつの顔

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 アイザック・ニュートン(1642年~1727年)といえば誰もが認める近代科学の祖。ニュートンの運動方程式、ニュートンの万有引力の法則、などという言葉を耳にしたことのない人はいないであろう(耳にしたことはあるがすっかり忘れている人が多い可能性はある)。高校数学が微積分のためにわからなくなったと記憶している方がいらっしゃれば、恨むべきは微積分学を創始した(うちの一人たる)このニュートンである。
ニュートンの主著『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)=写真は、いずれも英国エディンバラ王立天文台図書室クロフォードコレクション、筆者が2007年に撮影

 日本ではニュートンよりもアルバート・アインシュタイン(1879年~1955年)のほうが有名かもしれない。確かに巷で物理学の天才と言えば、まずアインシュタインというのがお約束になっているような気がする。しかし200年もの時代差を考え、さらにその当時のレベルからどれだけ先んじていたかを考えると、ニュートンこそより天才と呼ぶにふさわしいという意見も正しそうだ。

 万有引力の法則や運動方程式について述べた歴史的名著『自然哲学の数学的諸原理』(通常、プリンキピアと略される)で、古典力学を創設し、世界が法則に従っているという科学的世界観を打ち立てた。さらに、微積分学、反射望遠鏡、光の粒子説、変分法、方程式の数値解を求める際のニュートン法、などなど、現在の科学の広い分野に大きな影響を与えた業績の数々は枚挙に暇がない。

 ニュートンとアインシュタインのどちらがより優れているかという問いかけ自体は不毛なのだが、かつてイギリスとドイツでそのアンケートをしたところ、イギリスではニュートン、ドイツではアインシュタインという結果になったらしい。それを聞いた私は、ニュートンを高く評価できるほどの科学的理解度を有するイギリスの人々のレベルに驚かされたのだが、単に自国民びいきだっただけという可能性も高い。

プリンキピアで著者名が大書されたページ

 ニュートンは天才科学者としてだけでなく、その奇人・変人ぶりに関する逸話も多く残されている。特に上述の業績の先取権に関して、同時代の人々と徹底的に争っていたことは有名である。しかし、彼が1696年、ケンブリッジ大学教授でありながら王立造幣局監事に就任、その後同局長官となっていた事は余り知られていない。かろうじてその事実を知っていた私にせよ、単なる名誉職程度にしか思っていなかった。しかし、それは大間違い。トマス・レヴェンソン著 寺西のぶ子訳『ニュートンと贋金づくり 天才科学者が追った世紀の大犯罪』(白揚社、2012年)によれば、在職中英国金融史に残る大活躍をしていたらしい。

 ニュートンが造幣局監事に就任した1696年ごろ、事実上の銀本位制をとっていた英国では、市中に流通する銀貨の少なくとも1割が偽造であったという。その理由は、イギリスとヨーロッパ大陸における金と銀の相対価格の差である。イギリスで流通している銀貨を融かして銀塊とし、それをフランスで金と交換し、再びイギリスでその金を銀に交換すればもうけられるという状況だったとのこと。さらに、当時まだ流通していた旧式銀貨はハンマーによる手打ちであったため、摩耗しやすかった。逆に言えば、縁を切り取ってヤスリで滑らかに仕上げれば、少しずつ銀をためることができたわけだ。偽造ではないにせよ、この類いの操作が行われていなかった銀貨は2000枚に1枚程度しなかったという記録があるらしい。

 この銀貨削り取り問題と、贋金づくり問題の解決の役割を任ぜられたのがニュートンだったのである。そしてそこに登場するのが希代の天才的贋金作り師にして詐欺師のウイリアム・チャロナー。自ら贋金作りに引き入れた仲間を次々に騙して密告し、自分は罪を逃れる(当時、贋金づくりは絞首刑であった)。そして、チャロナーが思いついた究極の贋金づくりは、造幣局の内部に入り込むこと。「貨幣の削り取りおよび偽造防止法案を成立させるための提案」という小冊子を印刷し、議員や権力の中枢部にいる人間に、自分の有能さを印象づけ、造幣局内のポストを手中にしようと精力的に動く。一旦その内部に入り込みさえすれば、堂々と鋳造機の金型を手に入れそれを贋金づくりの仲間に横流しすることはたやすい。何やら昨今の政治家の姿と重なって見えるのは気のせいだろうか。

 いずれにせよ、このチャロナーの画策に対抗して、ニュートンもまた多数の贋金作り師や囚人に減刑をちらつかせてスパイとして利用し、チャロナーを執拗に追いつめる。その探偵小説ばりの対決は、結果的に1699年3月16日のチャロワーの絞首刑、イギリスでの大改鋳の実現、引き続き同年クリスマス(ユリウス暦でニュートンの57歳の誕生日にあたる)のニュートンの造幣局長官昇進という結末で幕を閉じる。ニュートンはイギリス金融史においても、本質的な貢献をしていたのだ。

・・・ログインして読む
(残り:約1101文字/本文:約3042文字)