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「日本版NIH」構想、意義と危うさ〈下〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

医療システムのなかでとらえているか
 「上」編では、NIHを中心とするアメリカの医学・生命科学研究政策の流れとその背景を概観したが、しかし本稿の冒頭で指摘したように、医療あるいは医療政策のあり方を考えるにあたっては、こうした研究政策だけに注目するのは一面的であり、システムの全体を視野に入れる必要がある。そうした趣旨から、まずもっとも大づかみなレベルで医療システムのあり方を見てみよう。

 図2は、主要先進諸国の医療費の規模と平均寿命を表したものである。これを見ると、アメリカは医療費の規模(対GDP比)が先進諸国の中で突出して高く、しかしそれにもかかわらず、平均寿命は逆にもっとも低いという状況が示されている。

 つまりアメリカは、研究費を含めて医療分野に莫大な資金を投入しているが、にもかかわらず、その成果はむしろかなり見劣りのするものとなっているのである。

 もちろん、言うまでもなく、ある国ないし社会の健康水準は無数の要因よって規定されるものであり、食生活などの生活パターンに始まり、経済格差、犯罪率、公的医療保険の整備状況等、複雑な要因の結果として帰結するもので、図2のようなグラフから一義的な結論が導き出せるものではない。また誤解のないよう記すと、私は研究開発、特に市場経済においては対象になりにくい基礎研究への公的支援は、それ自体きわめて重要なものであると考えている。だからこそ、「日本版NIH構想」あるいは医学・生命科学研究への公的支援の拡充という方向には賛成するのである。

 しかしながら、以上のような状況が示すのは、少なくとも「研究開発や、ピンポイントの個別技術の向上をおこなうこと(あるいはそれらに優先的な予算・資源配分を行うこと)が、病気の治療や健康水準を高めるもっとも有効な方策である」とは必ずしも言えないという点だ。したがってこうしたテーマを考えていくにあたっては、狭い意味での科学・技術論を越えた医療保険制度などの社会システムを含む包括的な視点が求められている。

 ちなみに近年、「社会疫学social epidemiology」という分野が大きく発展し、その基本テーマは「健康の社会的決定要因social determinants of health」を分析し明らかにしていくことだが、こうした潮流はこれからの「科学」のあり方とも深く連動するものと言えるだろう(社会疫学に関しては後にもあらためてふれたい)。

 現在言われている「日本版NIH構想」について、私がまず大いに危惧する点は、やはり安倍氏が現在熱心に進めているTPPとの関連である。既に様々に論じられているように、この流れでアメリカの保険会社は(当然のことながら)強力に日本の「医療マーケット」への参入を訴えてくるだろう。その場合にまずターゲットにされるのは、いわゆる混合診療の拡大であり、自由化された「保険外」の領域、つまり「私費医療」の領域の拡大が何より求められるだろう。

 現政権は「国民皆保険システムの堅持」ということはうたっているようだが、この表現はかなり曖昧であり、「混合診療を認めることは国民皆保険の許容範囲内である」という解釈や見解は十分にありうる。したがって、それは混合診療あるいは私費医療拡大の防波堤にはならないのである。実際、最近の読売新聞(2013年5月8日付)を読むと、そこでは「国民皆保険の堅持」と「混合診療の拡大」が一緒に提言されていてやや驚いた。

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