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認知心理学からの小学校英語反対論

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 朝日新聞11月2日付の「記者有論」で、小学校での英語教育を強化するという文部科学省の方針へ異議を申し立てたら、認知心理学の研究者から「小学校での英語教育強化は大変危険だ」というお手紙を頂戴した。言葉に関係する脳の認知能力が順調に発達しなくなる可能性があるというのだ。脳は、宇宙と並ぶ最大の知のフロンティアであり、まだまだわからないことだらけである。これまでの研究の歴史をみても、「こうだ」と言われたことが後に間違いとわかったことはいくらでもある。だから、安易に決めつけることは慎まなければいけないが、人間の脳が言語能力の獲得と歩調を合わせて発達していくことは疑いようがない。小学校で英語教育を強化することが、発達途上の脳にどんな影響を及ぼすのか。その解明ができないうちに全国一斉に取り入れるのは、確かに「危険」といわざるをえないのではないか。

 脳と言語の密接な関係を私が知ったのは、30年ほど前にさかのぼる。取材に行った脳科学の研究集会で、日本人が「L」と「R」を聞き分けられないのは脳がその両者を区別できないからだという実験結果の発表を聞いた。脳科学者として著名な久保田競先生がそばにいらして「日本人はいくらがんばってもLとRを聞き分けられないってことだ。脳がそうなっちゃっているんだから」と解説してくださった。漠然と「がんばれば聞き分けられるようになるのだろう」と思って(期待して)いた私は大いに衝撃を受けた。そして、聞き分けているのは「耳」ではなく「脳」だということも、そのときに得心した。

 むろん、脳に差をもたらすのは日本人かどうかではなく、幼いころの環境が日本語か英語か、である。日本人であっても幼いころから英語が飛び交う環境にいれば、LとRが聞き分けられるように脳は発達する。だが、その場合は普通は日本語を操る能力の脳内基盤が発達しないだろうと容易に想像できる。

 海外赴任する親についていった子どもたちの中に、日本語も現地語も不十分にしか身につけられない場合があることは、海外子女教育の専門家の間で1970年代から問題になっていた。この問題が深刻なのは、一つの言葉を十分に身につけることができないと思考力も育たない点だ。自分の言いたいことがどちらの言葉でも表現できず、友達から孤立してしまう、といった例も報告されている。

 ただ、子どもの脳は可塑性に富むということも経験からわかっている。たとえば、病気や事故で脳に大きな損傷を受けても、子どもの場合は驚異的な回復を遂げることが珍しくない。同年代と比べて言葉に遅れがあるといわれた子でも、成長して追いつく場合もよくある。それだけに、言語と脳の関係を実験で明らかにするのは簡単ではない。そこを実験方法の工夫によって切り込むのが、認知心理学の醍醐味なのかもしれない。

 いただいたお手紙に記されていたのは、小学校4年生から中学3年までの日本人生徒と

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