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DNA60年、「知らずにいる」という生き方

尾関章 科学ジャーナリスト

 DNAの3文字を抜きに語れないショッキングなニュースがこのところ立て続けに流れ、私たちの家族観、ひいては人生観を揺さぶっている。

 奇しくも去年は、DNA(デオキシリボ核酸)の構造発見から満60年の節目だった。1953年、親から子に伝わる遺伝情報が細胞内のDNAに二重螺旋状に並ぶ塩基によって綴られていることを、ジェームズ・ワトソン(米)とフランシス・クリック(英)らが突きとめた。この知見にもとづく科学技術は半世紀余をかけて成熟した。それがもたらす想定外の事態に私たちは今、当惑するばかりだ。

 まず去年11月下旬、60年前の病院で起こった赤ちゃんの取り違えがDNA型鑑定で発覚した、という裁判記事に驚かされた。東京地裁で進められていた損害賠償訴訟で、自分は誕生後まもなく取り違えられたという60歳男性の訴えが認められ、判決は病院に慰謝料の支払いを命じた。

 朝日新聞の報道によると、この男性の実弟たちが「兄」との血縁に疑問を抱き、DNA型鑑定をしたところ、「兄」と血がつながっていないことがわかった。2009年のことだ。その後、病院の台帳などから実兄である男性に行き着いた。男性本人にとっては、出生の真相を還暦が近づいて初めて知らされたことになる。「時間を生まれた日に戻していただきたい」(朝日新聞デジタルの記者会見詳報)という言葉には、同世代の一人として打ちのめされるばかりだ。

 取り違えと言えば、私が子どものころは、赤ちゃんが生まれるとホクロやアザが体のどこにあるかをまず調べるという話をよく聞いた。最近では産院や病院が、赤ちゃんにIDカード代わりの足環をつけるなどして周到な防止策をとっている。1950年代にもそれなりの手立てはとられていたはずだが、今ほどには行き届いていなかったのだろう。そう考えると、60年前の取り違えに気づかないでいる事例はまだある、とみるのが自然のような気がする。世の中が善意の人ばかりでもミスは起こるからだ。今回のニュースは、自分も何百万分の1か何千万分の1かの確率で取り違えられていたのかもしれないという思いを起こさせる。

 そうこうするうちに降ってわいたのが、芸能人家庭の父子鑑定騒動だ。芸能ジャーナリズムでは親が実名で登場し、しかもプライバシーに深くかかわる話なのでここで立ち入ることはしない。ただ、DNA型鑑定を受けたとされる子が、すでに思春期にあるという事実には心が痛む。生まれて何年もたってから親子きょうだいの血縁が科学的に判定されるという構図は、60年前の赤ちゃん取り違えに共通するものだ。

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