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続々・佐村河内事件は何を提起しているか〜真にクリエイティヴなのは誰か?

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 前々稿から「全聾作曲家」の代作問題を採り上げ、前稿ではまずマーケティングの視点から論じた。そしてもう一点、提起されている問題として、創造性の過程と功績の帰属という点がある。楽曲の功績は誰に、どのような配分で帰せられるべきなのか。

 現代文化のひとつ特徴は、作者本人だけではなくプロデューサーにも、より高い創造性評価を与える点にある。では、どこまでが許され、どこから先は非難すべきか。境界線は曖昧にされたまま、事態は急速に進展しているらしい。そのあたりまで書いた。

 詳述は避けるが、科学技術の世界でも似た困難が生じている。たとえばひとつの功績に対して、ノーベル賞を誰と誰に与えるべきか、といった問題だ。最近では、共著者間の役割分担(誰のアイデアか、実験を行ったのは誰か、論文を書いたのは誰か、など)を明記するように求める専門誌も多い。

 そしてこの問題は、人同士の共同作業にとどまらない。今や作曲支援ソフト、作画支援ソフトが多数作られ、その性能は年々上がっている。鑑賞に堪えるものが出来るようになってきた。また生化学/新薬開発の世界では、制約条件をインプットすると可能な有機化合式を列挙するソフトが、現に活躍しているという。

初音ミクの等身大フィギュア=2014年1月17日、羽田空港第1旅客ターミナル
 「そんな血の通っていないのは、本当の創造ではない」そう批判するのは簡単だが、すでに時代遅れの妄言と化している。考えてみれば、
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