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 経済成長至上主義への警告―宮本憲一『戦後日本公害史論』刊行に寄せてー

吉田文和 愛知学院大学経済学部教授(環境経済学)

 なぜ、全国の原発再稼動が急がれるのか? それは安倍政権の「経済成長戦略」の3つの柱の1つに原発再稼動と原発輸出が位置づけられているからである。これは、戦後の公害問題発生を生み出した構造と同じではないか、そういう思いを強く抱かせる記念碑的著作が、宮本憲一『戦後日本公害史論』(岩波書店)として、このたび刊行された。

 780頁の大著である。宮本氏は、『恐るべき公害』(岩波新書、1964年)以来、長く公害問題、裁判にかかわってこられた経済学者であり、今年84歳を迎える大先輩である。同時代に活躍され亡くなられた宇井純氏の『宇井純セレクション』(全3巻、新泉社)も刊行されたが、宮本氏の著作は、新たに書き下ろされたものである。

 戦後の主な公害問題に自らかかわり、重要な役割を果たした宮本氏による同時代史であると同時に、裁判を中心に基本的な資料を提供するという役割を担っている。これを通じて日本の公害問題の発生原因と対策、政策の成果と課題を明らかにしている。アメリカとアジアとの関係を踏まえた、グローバルな視点を持ちながら、個別の事例を位置づけ、データと統計に基づく分析を行っているところが貴重である。

 浩瀚な本書のメッセージを簡単に要約するのは、難しいが、序章のことばが一番、適切である。

「欧米の研究者からみれば、自治体変革と公害裁判は日本独自の公害対策である。これは政官財学複合体という経済成長主義の社会システムの中で、戦後日本の憲法体制によって規定された、基本的人権、地方自治と司法の自立=三権分立の制度を利用し、住民がそれらの権利を駆使したからである。これは重要な歴史的教訓である。」(6頁)

 「政官財学複合体という経済成長主義の社会システム」のなかで、公害被害者と住民運動が新憲法の基本的人権と三権分立を駆使したことが環境政策のドライバーとなったことは、私もかねてから強調してきたところであり、WEBRONZA「憲法改正問題と環境権」(2014年5月16日)で論じた。

 水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息など、さまざまな健康被害に対処するための、公害国会での14関連法、公害健康被害補償法、公害防止事業費事業者負担法、総量規制などが公害対策の手法として生み出され、当時欧米からも高い評価を受けた。

 しかし、2度の石油危機と産業構造の変化、政治情勢と日本経済の地位低下のなかで、日本の環境政策は、「後進国」となってしまった(ベルリン自由大学・ワイトナー氏の評価)。

 それは、環境アセスメント制度の遅れや地球環境問題への消極的態度に表れている。考えてみれば、いま中国を覆うような、深刻な大気汚染、水質汚濁、健康被害があったにもかかわらず、対策が後手に回ったのは、経済成長主義のイデオロギーと政策が優先して、弱者、生活者の声が政策として生かされ、政策化されなかったからである。そこで新憲法のもとで、地方自治体の取組みと最後の手段として裁判提訴が手がかりとなったのである。

 その後半世紀近くを経て、冷戦体制の崩壊と、中国が「世界の工場」になるという日本を取り巻く枠組みと少子高齢化などの社会構造が大きく変わり、成熟化社会への対策が迫られているにもかかわらず、相変わらず、「原子力ムラ」に象徴される「政官財学複合体という経済成長主義」そのものは維持されてきた。原発周辺の住民の避難計画が不十分なままで原発再稼動させるという政策も「成長のアキレスけん」(日本経済新聞2014.07.21)を避けるためにという「経済成長」主義の枠組みは変わっていない。

なぜ日本は自らの能力を使わず、行動しないのか

 長年にわたり日独の環境政策を比較研究してきたワイトナー氏は、つぎのように述べている。

福島の大惨事ですら,原発というハイリスクの道から離脱する十分なインセンティブとはならなかった。総じて,日本は,本質的には,ドイツと同様の制度的,経済的,技術的能力を持っているように思われる。そこで生じる疑問は,なぜその能力は活用されず,なぜ行動に出ないのかということである。
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