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2014年ノーベル物理学賞は「トポロジカルな絶縁体」か「青色発光ダイオード」

大栗博司 理論物理学者、カリフォルニア工科大学教授

 「信頼を得る」を、英語では”earn credibility”という。この”earn”という動詞は、ゲルマン祖語の「畑仕事をして収穫する」という言葉が語源とされる。お金を稼ぐというときにも”earn”というが、そこには「勤勉に働いて対価を得る」というニュアンスがある。つまり、”earn credibility”という表現には、信頼は生得の権利ではなく、日々の誠実な努力によって育まれ実るものだという意味がこめられている。最近、WEBRONZAの母体である朝日新聞が、信頼を失うような出来事がいくつかあった。真実を偏見なく伝えるという報道機関の本来の使命に立ち返って、信頼を回復してほしい。

 この記事の主題であるノーベル物理学賞も、設立から一世紀以上に渡る歴代の選考委員たちの努力によって、科学史に残る業績を顕彰するものであるという評価を獲得している。今年のノーベル物理学賞受賞者を予想することで、最近の物理学の発展を振り返ってみよう。

 物理学は大きく、素粒子物理学、物性物理学、天体物理学の3分野に分けて考えることができる。分類の便宜のために、素粒子物理学は原子より小さいサイズの現象を、物性物理学は原子から私たち人間のサイズの現象を、天体物理学はそれよりも大きい現象を対象とすると考えよう。この分類では、量子光学や物質工学、集積回路のような情報通信技術も、物性物理学に含めることにする。

 1990年から2013年までの23回のノーベル物理学賞の授賞対象を見てみると、この分類で素粒子物理学とみなせるものが7件、物性物理学とみなせるものが12件、天体物理学とみなされるものが4件であった。物性物理学の分野がほぼ半数を占めており、残りの半数を素粒子分野と天体分野が分けているということであろうか。

 昨年は素粒子物理学の分野からヒッグス粒子の理論的予言が授賞対象となった。素粒子物理学ではニュートリノの質量の発見に対してもいずれはノーベル賞が授賞されるべきであると考えるが、この分野から2年連続の授賞は難しいかもしれない。

 天体分野では、「太陽系外惑星の発見」が有力であると思う。その場合の受賞者は、最初の例を発見したジュネーブ天文台のミッシェル・メイヨールとディディエ・ケロス、それをただちに追確認し、その後数々の恒星の周りに惑星を発見したカリフォルニア大学バークレイ校のジェフリー・マーシーになるであろう。最近は、生き物が生活できる環境、いわゆるハビタブル・ゾーンにも惑星が見つかっているので、太陽系外生命を確認できる可能性が強まっている。私たちの世界観に大きく変える可能性のある発見であり、ノーベル賞に値すると思う。

 またこの分野では、今年の3月にBICEP2望遠鏡が、誕生直後の初期宇宙からのマイクロ波の偏光の観測により、「初期宇宙のインフレーション理論の最初の直接証拠を発見した」との発表をし、大きな話題になった。私も、このWEBRONZAでその意義について解説した(3月26日号) 。しかし、最近発表になったPlanck衛星実験のデータ解析により、BICEP2の観測した偏光が、初期宇宙を起源とするのではなく、銀河系内の現象で説明できる可能性が大きくなってきた。幸い、この問題は近い将来に決着すると期待できる。まず、BICEP2の後継機であるBICEP3やKeck Arrayでは、様々な周波数で偏光を観測しており、それによって初期宇宙の効果と銀河内で起きる効果をより明確に見分けることができるようになる。さらに、日本が中心になって計画している科学衛星LiteBIRDは、Planck衛星の100倍の感度を達成することで、インフレーション理論の検証もしくは棄却を目指している。いずれにせよ、今年度のノーベル物理学賞の対象には間に合わない。

拡大コーヒーカップを連続的に変形させるとドーナツになる。両者は「穴が一つ」という点で「トポロジカルに同じ」3次元図形である=理研ニュース2010年7月号から転載、独立行政法人理化学研究所提供

 物性物理学に目を向けると、量子力学的な現象が顕著に現れる新物質が次々に発見されている。特に最近注目されているものとして、「トポロジカルな絶縁体」がある。トポロジカルな絶縁体は、内部は電流の流れない絶縁体なのに、表面は金属のように電流を流すという不思議な物質である。数学で「トポロジカル」というときは、図形を少しずつ変形していっても変わらない性質のことを指す。たとえば、ドーナッツとコーヒーカップは同じトポロジーだという。いずれも「穴の数が1つ」という性質を持っているので、ドーナッツを連続的に変形していくと、コーヒーカップの形にすることができるからだ。一方、穴の開いていないボールは、連続的に変形してもドーナッツのような形にはならない。この場合には、ボールが穴の数ゼロ、ドーナッツが穴の数1というように、「穴の数」がトポロジーを区別しており、これを「トポロジカル不変量」と呼ぶ。同様に、トポロジカルな絶縁体の状態もある種のトポロジカル不変量を持ち、それによって通常の絶縁体と区別される。

 トポロジカルな物性現象としては、2次元の半導体が磁場の中で起こす「量子ホール効果」が有名であり、1998年にはノーベル物理学賞が授賞されている。これに対し、トポロジカルな絶縁体では磁場がなくても同様の現象が起きることが新しい。金属でも絶縁体でもない新しい量子物質として注目されており、スピントロニクス(電子が持つスピンという性質と電荷の両方を工学的に応用する技術)、また量子コンピューターや量子通信技術にも活用できると期待されている。

 トポロジカルな絶縁体の発見の契機となったのは、2005年に米国ペンシルバニア大学のチャールス・ケーンらが、磁場がなくても量子ホール効果と同じような現象が起きる「量子スピンホール効果」を予言したことである。炭素原子が六角格子を作り2次元に拡がる「グラフェン」(2010年のノーベル物理学賞の対象にもなった)の上で観測されるというものだったが、効果が小さいために実験的な検証は難しいとされた。この問題点に気づいたスタンフォード大学のシャオチェン・ザンらは、原子番号6の炭素の代わりに、それより重い水銀(原子番号80)とテルル(原子番号52)の化合物を使うことを提案。このアイデアを実現し、2007年に量子スピンホール効果の実験的証拠を発表したのがドイツのビュルツブルグ大学のローレンス・モレンカンプで、これがトポロジカルな絶縁体の最初の例である。

拡大青色LED電球を30万個使ったイルミネーション。冬の街を華やかに彩った=青森県十和田市

 物性分野としては、「青色発光ダイオードの実現」に授賞される可能性もあると思う。日本では ・・・続きを読む
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筆者

大栗博司

大栗博司(おおぐり・ひろし) 理論物理学者、カリフォルニア工科大学教授

カリフォルニア工科大学ウォルター・バーク理論物理学研究所所長およびフレッド・カブリ冠教授。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員。アメリカ芸術科学アカデミー会員。1962年生まれ。京都大学理学部卒、東京大学理学博士。プリンストン高等研究所研究員、シカゴ大学助教授、京都大学助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授などを歴任。著書に『重力とは何か』『強い力と弱い力』『数学の言葉で世界を見たら』(いずれも幻冬舎)、『大栗先生の超弦理論入門』(ブルーバックス)など。

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