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安楽死、自己決定だけの問題じゃない

尾関章 科学ジャーナリスト

 脳のがんである悪性脳腫瘍に冒された米国人女性二人の二つの選択が、米国のみならず世界のメディアで生と死をめぐる論争を呼び起こしている。

 一人はオレゴン州のブリタニー・メイナードさん(29)。11月1日に安楽死を決行した。朝日新聞11月4日付朝刊の記事によれば、医師から「余命半年」と告げられ、安楽死を心に決めてユーチューブで予告、処方薬を飲んでの死だったという。もう一人は、オハイオ州にあるマウント・セント・ジョゼフ大学のバスケットボール選手、ローレン・ヒルさん(19)。11月2日に地元シンシナティで開かれた大学対抗戦に出場してシュートを決めた。USAトゥデイ紙の2日付電子版によると、ローレンさんは「手術不可能な脳腫瘍」を病んでいるが、「これが最後の試合か」と問われて「そうでないことを望む」と答えたという。とことん生きようという決意の表れだろう。同じころ、同じ苦難に直面した人がとる選択肢の違いがあまりにも際立っていたために、安楽死是非論の難しさを改めて印象づけたのである。

 そこにあるのは、自分の死に尊厳を付与する権利は自分にあるとみる自己決定権尊重論と、自らの命を絶つ行為はたとえ死期が迫っていたとしても許されないとみる生命絶対尊重論との対立構図だ。後者の主張ですぐ思い浮かぶのは、カトリックの倫理だ。今回もブリタニーさんの安楽死に対して、バチカンのローマ法王庁高官は「尊厳とは、自ら人生を終わらせることとは違う」と批判した(朝日新聞ローマ発の報道)。だが、生死の自己決定権に対抗するのは宗教的信条だけでないことを、私たちは頭に入れておくべきだろう。ひと言で言えば、生命には公的な性格もあるという考え方である。

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