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ドイツの「脱原発」は揺らがない

日本との違いを痛感した独日統合学会シンポジウム

鈴木達治郎 長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長・教授

 11月27日(木)~28日(金)の2日間にわたりミュンヘンでドイツ技術アカデミーの主催で開かれた第11回独日統合学会シンポジウム「エネルギー転換は我々にとってどれほどの価値があるのか」に出席してきた。曇り空で非常に寒い中での会議だったが、室内での議論は熱く、真剣な討論が続いた。会のコーディネーターであるミュンヘン工科大学のクラウス・マインツァー教授と山脇直司東京大学名誉教授(星槎大学教授)が、この独日対話を長く続けてこられたと聞く。日本からは、大阪大学の小林傳司教授、在独ジャーナリストの熊谷徹氏、宗教法人妙見閣寺の竹内日祥上人が参加。また独日だけではなく、フランスの科学社会技術論を専門とする学者やインドのカトリックの大司教も参加されていた。

エネルギー転換について議論した第11回独日統合学会シンポジウム=ミュンヘン、独日統合学学会提供

 今回のテーマは、何よりも「(福島事故を経験したうえでの)エネルギー転換の持つ意義」であった。ドイツでは、周知のように「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」という異色の有識者会議の提言が、脱原発政策への大きなきっかけとなった。対して日本では、経産省総合資源エネルギー調査会という従来型審議会の報告書に基づいて、原子力依存度をできるだけ低減させつつ、ベース電源として維持するという「エネルギー基本計画」が今年4月に決定された。その中で、原発事故がもたらした「倫理的意味」はほとんど言及されないままであった。この相違はどこから来るのか? これが会議のメインテーマであった。

 そもそも、エネルギー政策は「科学・技術ですべて解決できる課題」ではないのだ。では政策を形成する際に、科学・技術とそれ以外の要素(この会議では、「哲学」「倫理」と呼ばれる分野)をどう組み入れるか? 福島事故はその機会をまさに与えてくれたはずなのだが、日本では政策決定の場で、哲学や倫理的側面が真剣に議論された形跡が見えない。電力会社の経営問題や短期的な貿易損失が強調され、「福島事故の社会的意義(損失)」や「エネルギー転換の価値」などは政策議論の俎上に上らなかった。

 これは、

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