「原発は外国から持ってきた技術、生みの苦しみを通っていない」
2015年03月27日
東京電力・福島第一原発の事故から4年、畑村洋太郎・元政府事故調査委員長が朝日新聞のインタビューに応じた。畑村氏は、事故の背景として「形だけ、紙の上の安全確認だった」「日本人社会は危ないと想定すること自体がタブーだった」などを指摘し、原発の技術論にとどまらず、日本的な文化土壌からも事故の原因、分析を語った。畑村氏の言葉は、福島事故の本質を浮き彫りにすると同時に、「それらの問題はどこまで解決されたのか」という問いを突きつけている。原発の再稼働、避難計画の実効性など、私たちの目の前にある課題を考える指標になる。
畑村氏は、「失敗学」の研究経験を生かし、「調書は非公開にする」の方針で関係者を聴取し、未曽有の大事故に迫った。ただ吉田昌郎・元福島第一原発所長(故人)の調書を朝日新聞が報道したことがきっかけで、一部の調書が公開されることになった。
原発の「安全神話」について畑村氏は、「事故後、原子力は安全とだれが言ったかを聞いていくと『らっきょうの皮』で芯がない、俺が言ったという人はいない」という日本社会の不思議な雰囲気を指摘した。また「マニュアルなどを決めたり、つくったりしたらそこでおしまい」という考えがあったとし、事故を想定した実質的な訓練もなく、事故が本当に起きたときに必要な実力をもっていなかったと述べた。
こうした状況を生み出した一つの背景として、畑村氏は、原子力技術が「外国から輸入された技術」であるという事情をあげた。日本は技術先進国ではあるが、原発技術については「自分たちで技術をつくりだす苦しさを通らず楽をしてきた。(他国が苦しんだ)研究段階での臨界事故なども経験していない」と指摘した。政府事故調は、事故のメカニズムを知るために「原子炉の中で何が起きたかを知る再現実験」を構想したが、さまざまな理由で断念した。「いまからでも必要」という。
このインタビューや政府事故調の報告書を読み返して筆者が思うのは、全体的な視点で責任と自信をもって原発の安全性を見ていたのは、結局、だれもいなかったのではということだ。巨大なエネルギーをギリギリで制御している大規模で複雑なプラントなのに、細目に分割されて、文字(文書)中心で管理されていた。
このインタビューを一読すれば、当時の日本の原発事故への緊張感と安全対策の実力がどのくらいだったのかが想像できる。同時に、安全な原発を手に入れるには、物の考え方も制度も深いところから変えなければならないことがわかる。それには時間もエネルギーも要る。
政府事故調の報告書は、最後の提言部分で繰り返し、「政府事故調、国会事故調の終了で終わりとしない継続的な原因究明」を国などに求めている。しかし、畑村氏はインタビューの最後で、提言のフォローについては「ほとんど何も行われていないように思える」と述べている。
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【畑村洋太郎氏への一問一答】 (聞き手、長野剛、竹内敬二)
Q)福島第一原発事故の歴史的位置づけをどう考えますか。畑村さんはいつも「原発を動かせば事故は必ず起こるとはっきり言うべきだ」と主張されています。
A)僕は原発について、事故は必ず起こるものだと思っていました。それほど確信があったわけではないけれど、薄々思っていました。そしたら、やっぱり起こったな、という感じがするんです。
大事なことは、どんなに考えても、考えられない部分というのが残るんだ、ということです。どんなに考えても気付かない領域が残る。これを別の言葉で言えば、事故は必ずまた起こります、と言うことです。事故が起こるから原発がいけないとか、そんなことをいいたいんじゃない。ものの考え方の上で、事故は起こりませんと言い切ってしまうようなあのやり方、それを国民もテレビも新聞も今も求めているけれど、それは間違いだと思っているんです。
エネルギーの使用量がどんどんと増えていき、二酸化炭素で地球温暖化が起こるという懸念が生まれた。二酸化炭素を出さないエネルギーを自由に手に入れるには、原子力しかないんだよ、と言われると、そうかなぁ、と言う気もした。だけど、「審査したり基準を決めたりしているので安全です」と言われても、そんな論理は理解できない。どういう理屈で安全で自由に使える、と言う答えが出てくるか、分からないんですよね。
原子力の人だけでなく国民全部がね、エネルギー問題全体を自分のこととして考えようとしなかった。環境に優しいエネルギーを使うべきだとか、原子力は安いからよいとか、危ないから使うべきではないとか、自分の見たいところだけを見て、自分たちが理解しやすいところだけを取り上げて、全体を見ずにやってきた。それが日本全体の生き方になっていると思っていました。
みんな自分の見たいところだけを見ていて、全体として考えなくてはいけないことをすっかり忘れていた。そういうものの見方でやっていると、1番大事なことを見損なうぞ、と僕は思っていました。そしたら、ちゃんとその通りになったんですよね。それが、福島第一原発事故なんです。僕の結論は、原子力の人たちって、自分の見たいところだけを見ているということ。全部を見ることには全く無頓着だったと思います。
1999年に六ケ所村(青森県。使用済み燃料再処理工場などがある)で講演をやったんですよ。みんなが言っていたのは、決まりを決めて、守っている、と。守っているから安全なんだ、と。僕は、なんで決まりを決めてやってれば大丈夫なんですか、と聞いたけど、そんなことを言う人は今までいませんよ、と言われました。
(規制を行っていた経済産業省の旧原子力安全)保安院に、決まりを作らせ、守っていれば安全です、と言わなければ原子力をやらせないとかね、日本はそういう文化をつくっていた。そんなふうにやらしておいて、事故が起こったらそれを考えていなかったらおかしいと、言う。
Q)今おっしゃったことって、安全神話ですね。安全神話は、なんで生まれたのでしょう?
A)原子力をやろうと思う時に、原子力は反対ですということだけを言う人たちがいたら、その人たちを黙らせるのには何がいいのか。安全ですというのしかない。だから、原子力は安全ですっていうのを言い出したのでしょう。
でも、面白いよ。原子力は安全でしたって、誰が言い出したかって、ふた開けてみると、らっきょうの皮のようなもので、芯がない。俺が言い出したって言う人は誰もいない。安全だから事故はないのかと言うと、事故はありませんとは誰も答えていないんだよ。
でも結局、事故はありますと言った専門家のところには、チャンスとかお金が行かない。干されちゃう、という格好で、安全神話が作られていったという気がしますね。
Q)推進側だけでなく、社会の共同作業としてつくったと。
A)そうに決まっているよ。だから、推進派だけが言い出したことだと片付ける人は、自分は加担していなかったと言いたいから、推進派がやっていたことのように言っているだけ。どちらも原発の危なさを自分の問題として捉えようとしなかったという意味では、推進派も反対派も僕には同じように見える。
事故はこれからも必ずあります。今まで起こったものと同じものを繰り返すような愚かなことはしないという、決意をしなくてはいけない。だからといって事故がないというのは言い過ぎです。
Q)ところで、事故前から様々な原子力防災システムはありました。避難計画も国の動き方についての防災マニュアルも。発電所では、アクシデントマネジメント策もありました。でも、政府事故調報告書は、その運用に関わった人々の意識の希薄さを指摘しています。
A)価値と目的の共有が全くできていなかったんです。そいつを作ることの意味だよね。マニュアルでもなんでもいいんだけど、決めたり作ったりしたらそこでおしまい。不思議だよ。計画とか規則とかは、それが社会全部で共有され、決めたことが実行できる準備が全部できていて、しかも、ことが起こったら実行されなければ意味がないんだよ。
ところが、国も自治体も東電も、決まりを作ること、設備を作ること、そういうことだけに一生懸命だった。普段、平時の際はうまく動いていた。でも、事故になったらどうしなければならないかの正しい理解を全くやっていなかったと言っていい。そうすると、対応が間違っていくんですよね。
福島第一原発の事故対応でも、操作を間違う前に判断が間違っていました。1号機のIC(非常用復水器。事故時に原子炉を冷やす)では、全電源喪失の時に全部バルブが閉じちゃった。原子炉格納容器の外から操作できるバルブを開ける努力を一生懸命やって、うまく行かなかった。だけど、たとえあれが開いても、あとの3個、格納容器の内側で近づけないところのバルブは閉じていたんだから動くわけがない。結果的に見れば、意味のない努力を一生懸命していたわけです。そして時間を空費して、最後は爆発が起こってしまいました。
ICは、地震の後はちゃんと動いていた。だけど、電気が来なくなると、フェールセーフ機構で全部閉じちゃうんだよ。これを知らなかったんだよ。こんな大事なものをやるのにこれを知らない人が運転していいのか。絶対いけないんだよ。
もっと大事なのは、本店や国で、作業に口出しをしなくてはいけない人たちが1人も言わなかった。こんなに初歩的な当たり前のことを考えない人たちが、なんでそれまで「原発は安全です」なんてことが言えたのかが不思議でしょうがない。
一番現場に近い人で、ICの何かをいじったら少しだけ建屋の外で蒸気がでた、って言った人もいた。それで、バルブが開いたつもりになっちゃった、というのもあった。でも、こういうのが一番いけないんだよ。
僕も知らなかったけれど、本当にバルブが開いて、高温高圧な蒸気がいきなり噴き出して緊急冷却が始まると、雷が落ちるような音がするそうだ。現場にいる人たちはその知識すら全く持っていなかった。
本当は、原発をフルロードで動かしているときにIC、その非常装置を作動させる訓練をしていなくてはいけなかった。でも、東電は一度もそいつをやったことがない。原子力安全保安院はそれをやらせる立場にいたのに、(運転開始以来)40年間もやらないことに文句も付けなかった。
でもこれは、政府事故調の報告書には書いていない。
Q)誰から聞かれましたか?
A)事故調が報告を出した翌年の2013年、ヨーロッパで聞きました。スペインでの講演の際か、IAEAとの議論で出たのか、はっきり覚えてない。ただ、「自分の国では3年に1回か何か、フルロードで運転しているのをきっちりと止める訓練やっています。あなたのお国ではしないんですか」と聞かれたんだ。
だから、その国では全員、あれが作動した時は雷のような大きな音がするというのは常識になっている。日本では訓練を一度もやらずに、安全安全と言う。言ってみれば、試しもしないで噓を言っていたんだよな。誰もそれの重要性の共有もできていない。必要性も感じない。ずっと代々その程度にやってきたんだよ。
保安院というのは規則の紙切れに書いてある文字だけを追いかけていた。誠にそうなんだよ。だから、やらなきゃいけないことを全部見ている人たちで規制組織を作ることや、なんの目的で規制をやっているかって考えることは全くやっていなかった。日本中が、形の上だけやってありさえすればそれでよしとして、その本質的なことを理解しようとしなかった。
だから、安全神話と言われているものは、中身は何も無いのにみんなで安全だと言うことにして動いていきましょうという、見えないコンセンサスじゃないか。そんな感じがするよね。
Q)欧州ではICの轟音が常識だった。それを聞いたとき、どう思いましたか。
A)そんな話を事故から2年も経ったあと、よその国までのこのこ出かけていって聞いたなんて、どうかしているんじゃないか、ということですね。
確かに、福島第一でもそんな音がするらしいという話を知る人はいた。先輩から聞いたとか。そうすると、みんな、伝承が大事だという話にすり替える。ウソつけ、伝承じゃない。そこにいる人間全員が体験し、持ってなきゃいけない知識だったんだ。
結局、日本中、形だけを求めていて、本当の意味合いで技術に正対していなかった。正しく対応する、と言う意味ね。真っ正面から技術にぶつかるという一番当たり前の考え方が全く実行されていない、と思った。
Q)技術に正対するというのは、畑村先生が事故調委員長の就任時から、事故の再現実験をせよ、と言ってきたことにつながりますか。
A)当然そうだよ。一番大事だったのは燃料棒がどう溶けてダメになっていったのか、という再現実験。もう絶対、今からでも必要ですよ。
僕はね、1枚の絵にしたかったんですよ。燃料がどういう風に溶けていったのか、どこがどんな温度になって何が起こったのかというのを。しかし、原子力の専門家に、起った事柄を絵にして説明して下さいと言って回ったけど、誰も描かなかった。
それぞれ自分流にイメージは持っているんですよ。説明はするし議論もしている。でも、あなたの頭の中を絵に描いてご覧なさいと言うと、そこまではっきり出来ないから、と言うんですよ。メカニズムを捉えているならそれは絵に描けるはずだ、と僕は思うからそう言ったけど、それにウンという人は誰もいなかったね。
専門家という人々が、きちんとメカニズムを捉えていない。しかし、本気でこの事故から学ぶならやっぱりきちんとやって確かめなくてはいかん。それが今も、再現実験をしなければいけないと思う理由ですよ。
Q)再現実験は、時間と費用をかければできるのでしょうか。
A)それはできる。かつて、TMI(米スリーマイル島原発)事故でもやった。アメリカがやって日本も参加したけど、その頃やった人たちは第一線から外れて、今回の現場に口出しできる立場にはいなかった。
Q)再現実験ができなかった理由は何ですか
A)政府事故調には、再現実験の必要性を感じる人が1人もいなかった。僕が言っても誰もなんにも反応しなかった。もちろん予算なんて全然取れていない。最後に事務局に「先生、そんなら自分でやって下さい」って言われた。そんなものとてもできないんで、途中で断念の宣言をしたんです。
1999年のJCO臨界事故(茨城県東海村)を調べに来たアメリカの専門家と議論したことがあります。「日本の技術屋はモノを言わない」って。それで「一人ひとりが自分の考えをはっきりと持ってない人たちが原子力を扱うのが一番危ない」と。その人は「そういう国は原子力を扱う資格はない」とまで言った。「日本は事故を起こすんじゃないか、すごく心配だ」と言っていた。
この人はもう一つ、心配していた。世界を見れば、臨界事故は1960年代にいっぱい起こっている。アメリカ、ソ連、イギリス、ちゃんと起こっている。でも、日本ってずっとないんだよ。実は、大半の臨界事故は実験中の事故なんだ。本当に運転で起こったのは、スリーマイル島原発(米)、チェルノブイリ原発(旧ソ連)、そして今度の福島。
なんで日本にないか分かる? 何もやってないからだよ。よその国で作ったものを自分のとこに持ってきただけだから、何も試そうとしていなかった。そしてついにJCOの事故が起こっても、自分の意見がない。その人は「だから心配だ」と言っていた。そしたらその通りになった。
スリーマイル島やチェルノブイリから今回の福島まで、こんなに期間があったのに、日本はこれらからなんにも学ばなかったということですね。
Q)ヨーロッパ人は原発の非常停止の訓練をしていた。米国人はスリーマイル原発事故の再現実験をした。しかし、日本人社会は「危ない」という想定をすること自体タブーだった。なぜ、そうなったのでしょう。
A)自分たちで技術を生み出していなくて、世界中からいつも都合のいいものを探してきたからでしょう。多分ね。自分たちで技術を生み出す苦しさを通らないで、楽をしてきた。そうした高度成長期のものの考え方を続けてきて、破綻した例が今、原発で起きていることと言う風に見える。
今、よその国から出来合いの原発を買って使おうという国が増えている。危ないんだよ。日本と同じ失敗をまたやる。
僕は、どんな分野の技術でも十分な失敗経験を積むのには200年かかると思っている。技術が始まってから亡くなる人の数は、最初はグッと増えていって、何十万人も亡くなりながらだんだん、増えなくなる。200年ほど経ってやっと、ほとんど亡くならなくなるんだね。ボイラーの歴史もそうだ。その次に始まった鉄道や自動車の歴史、そして航空機。みんな同じだ。原発はまだ60年しか経っていないんだよね。たったこんだけの間で全部の失敗を経験して、事故はもう起こらないように考えるのは傲慢だと思う。
じゃあ、原発はどうするかって言うと、他分野から本当の意味の失敗を学んでこなきゃいけない。そうすれば、全部の失敗を学ぶのにかかる期間は短縮できると思うんだよ。僕は、こういうことを当たり前に考えるようにならなきゃいけないんじゃないかという気がする。
Q)ここまでお話しになったことが、事故調報告書の精神のように感じます。政府事故調の提言は今、生かされているでしょうか。提言では「検証の継続」も訴えています。
A)全然生かされていない、という気がするね。ひとつずつ項目を挙げれば、これはやった、やってないとか、ここまで努力しましたとか言うが、でも、なんにも起こってないと思いますね。だいたい、提言が実行されているかいないかをちゃんと見る組織も動いていないようにみえる。その後の検証だって不十分に決まっている。もうほとんど何も行われていない。
Q)とは言っても、原子力規制委も基準を厳しくした新規制基準を適用しています。火山や竜巻など従来はなかった対応も求めていますし、政府は世界一厳しい基準だと言います。
A)そんなの噓だよ。自分たちがそう言ってるだけで。
ある種ハードルが上がっただけ、という風に見えますね。起こりうる事故について、想定外の部分が残ります、と言うことをまず宣言しなくてはいけないけど、していない。残る想定外をどうするのですか、と言うこともなんにも言っていない。
事故はこれからも起こります。前と同じようなものが起こるようなことはないでしょう。だけど、今まで考えもしていないような別の事故というのはあり得ます。それでも破滅的なことにならないような対応の準備ができているかどうか、を、審査しなくてはいけない。今のとこ全くやってないでしょ。
どういうことかと言えば、例えば「避難計画の妥当性を審査しました」って、そんなんじゃない。避難計画が実施可能かどうかはやってみなければ分からない。それなら30キロ圏の全員を、計画に沿って動かしてみる。それで、抜けている部分が分かったらそこを直す。抜けた部分をみんなで共有したのでまずは動かし始めましょう、でもいいかもしれない。いずれにしてもそいつをやらないと。福島の事故で避難中の患者が何人も亡くなったようなことが起こる。
それくらいやってからでないと、運転するとかしないとか言ってはいけないと思いますよ。言えないと、皆が困るんだよな。でも、困ればいいんだよ。しようがねぇんだから。考えなくてはいけないことを考えずに、ないことにしたままずるずると動こうとするのはおかしいよ、それでは事故前と何も変わっていないって言う感じがしますね。
Q)いくら対策しても危険性がゼロにならないのなら、原発はやめるべきでしょうか。
A)やめてしまうのもいいでしょう。今の日本で、多くの人々がやめてしまえと思っているのは当分、変わらないでしょう。でも、世代が代わって30年ぐらい経つと多分、人口の3分の1くらいの人が、この事故を自分の時代で経験していない人々になる。そうすると、怖さを肌で感じなくなり、知識だけ持つようになってくる。そうなってくると、判断の仕方が変わってくるだろうという気がする。
アメリカでもそうだったんだよ。スリーマイル島事故が起こってから30年間、原発が全然新設されなくて約100基のままだったけど、そろそろ新たに2基つくろう、となっていた。福島の事故までは。
原発以外で電力を賄うことを風力や太陽光でやると、きっとドイツみたいに電気代が跳ね上がる。それでもそっちを選ぶ、というならそれでいいんだよ。でも、価格がぐんぐん上がる化石燃料を輸入し続けられるのか。日本はそれだけ稼げるのか。こういう風にエネルギー全体を考えたら、結局は意見が変わっていくのではないか、と思いますね。その時に、原発を自分たちでやろうと思ったら、「そんな技術はもうありません」となっていいんですか、という問題がある。自分たちが欲しくなったときのためにちゃんと技術を保持していく必要がある。
だからこそ、やんなきゃいけない。事故は必ず起こります、と言うことを認めて。原発は要らないから捨てちゃえ、という乱暴な話じゃなく、ずっときめ細かく考えなきゃいけないと思いますね。
Q)最後に、政府事故調の調書について聞かせて下さい。800人近くの調書は、全員非公開で長期保存の方針でした。その意義はどういうものだったのでしょうか
A)記録をとらない限り永久にみんななくなってしまう、ってことですよ。確実に、人間は寿命があるから。その時にとっておかないと、あとから何してもないものはない。大前提は100年間はふたを開けないということだよね。そういう気持ちで相手方に非公開にすると約束しました。ところが、何かの理由でそれがオープンになったら、最後はなし崩し的にね、「オープンにしてもいい人の分だけオープンにします」となった。
日本の国はその程度のいい加減な国なんだなという感じをすごく持っている。ふたを開けてはいけないという約束でやったものを、何かの事情でちょいと漏れたらそれじゃあもう、開けてしまおうということでやってしまう。日本の文化がものすごく低次元だという感じがする。次からこういう形の調査の手法はもうとれないな、と。ものすごくいけないことをやっている、という感じがするな。
Q)なぜ非公開だったんでしょうか
A)簡単だよ。言いたいことを言えるようにするだけだよ。真実を述べるためなんて言うけどさ、真実なんていってはいけないよ。何が真実か、って話になるから。要するに言いたいことを言ってもらうだけだよ。だから、責任追及を目的として使うことはありませんと、とも言った。
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