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五輪エンブレム問題の奥と今後

デザインの類似性を科学的に判定できないか

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 五輪エンブレム問題は「盗作か、偶然の一致か?」という問題軸で推移している。しかし究極的には「酷似しているから駄目」という批判に対して、「下敷きありのオリジナリティーを認めるか」という問題が提起されている( 本欄前稿 『五輪エンブレム問題、コピペ警察の横行を憂える〜「真の創造性」と「他人のまね」は区別が難しい』)。また、同じ前稿では以下のことも指摘した。商業デザインやマーケティングの根本に関わる問題として、人々の選好形成のメカニズムは(特に同じ文化圏であれば)案外共通している。それに訴えようとする制作側の選択肢も、どうしても限定され、似てきてしまう。

 こうした分析を受けてここでは、前稿で積み残した「似ているという判断」に焦点を当てる。つまり「似過ぎている」という判定を「誰がどういう基準でするのか(できるのか)」という問題だ。さらにこれを踏まえて今後を占ってみたい。

時代の普遍的な問題を提起

 五輪エンブレム問題は、 佐野研二郎氏個人の過去の仕事への疑問や非難、五輪組織委員会などの責任(特に手続き問題)の糾弾、権利や損害を巡る訴訟と進展している。そして(時間的にも差し迫っているので)より「透明」な手続きと「落としどころを探す」局面に向かっている。

 ただ、ここではこうした個別的な問題から、背景にある技術化された現代社会に特有の問題を切り離して考えたい。「特有の」と書いたのは、背景にデジタル通信技術の普及と、素人参加のインターネット文化があるからだ。

素人集団の襲撃、専門家の降伏

 このような角度から見ると、今回の一件は素人の批判(「コピペ警察」;前稿)が専門領域に「乱入し、勝ってしまった」ケースとも言える。実際、大会組織委員会がエンブレム使用中止を発表すると、インターネット掲示板などは「お前ら大勝利!」「グッジョブ」といった告発者たちを称賛する書き込みであふれた(朝日デジタル、9月2日)。

五輪エンブレム選考過程について会見する大会組織委の武藤敏郎事務総長(中央)ら=8月28日午後、東京都港区、池永牧子撮影

 組織委や選考に関わった専門筋は(修正前の原案や選考過程を公表したりして)抵抗したが、結果ヤブヘビに終わり全面降伏した。

 もちろん昔から「世論の袋だたき」の構図はあって、何もインターネットで始まったことではない(本欄山下哲也氏『エンブレム事件を起こしたのはネットではない〜昔からある「憶測で個人を集団攻撃」事件、メディアはもっと多角的で建設的な報道を』)。だがそれでも大きく違う点がいくつかある。まず告発の初期段階から素人主導であること。また落としどころが、本質的な意味で見当たらないこと。というのも以下で見る通り、この問題は主観/客観(そして個人/社会)が入り組んでいるからだ。

パターン類似性の科学

 混乱を避けるために、デザインの類似性をもっと科学的、客観的に評価して、それを基準に判定してはどうか。これは一応まっとうな意見だ。

 実際パターンの類似性については、

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