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IT革命で変わるのは「期待される人間像」だ

大学の入試改革論議で致命的に欠けている視点を問う

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 昨今、人工知能やビッグデータ、IT(情報技術)の話題を耳にすることが多い。その近未来を占う議論も見受けるが、何か物足らない気がする。これを「人間の人間に対する評価」の問題としてとらえ直す視点が、致命的に欠けているからだと思う。

 キーワードは「期待される人間像」だ。これまでとこれからでは、違うのではないか。少し唐突だが、入試絡みの不祥事と入試改革を考える入り口にしたい。というのも、入試がまさに「どういう学生を採り、どう教育して社会に送り出すのか」という発想の起点となるからだ。

入試カンニング事件の、通信技術を活用した新手口

 2011年に京都大学で発覚した入試カンニング事件は、通信技術を活用した手口で衝撃を与えた(以下ウィキペディア他による)。入試実施の最中に問題の一部を受験生がインターネットの掲示板に投稿、第三者がそれに回答していた。この受験生は同志社大学、立教大学、早稲田大学などの入試でも同じことをし、また予備校の模擬試験でも試験中に投稿していたことが分かった。

 携帯電話を利用したカンニング事件は実は初めてではなく、早くも2002年には一橋大学の学期末試験で集団カンニング事件があった。だが先の京大の事件で改めて「そういう時代が来たか」と世間も大学関係者も認識することになった。

 その後は目立った報道はないが実態はどうか。各大学とも対策に苦慮しているが、厳しくやっても「取り締まりきれない」「人権や公平性との兼ね合いが難しい」など悩みは尽きない。その点では、日本以上に受験競争が過酷で、ある意味「先進国」たる韓国の事情が参考になる。

 韓国では2004年、大学修学能力試験(日本の大学入試センター試験にあたる)で、携帯電話による組織的なカンニングが発覚した。この事件で300人以上の受験生が失格し、社会問題となった(以下、ITmedia Mobile )。

 その手口は、成績優秀な複数の受験生が解答を携帯メールで会場外にいる集団に送信。彼らはその解答を集約して正解を導き、待っている大勢のお客さん(他の受験生)に送信するというものだった。正解が数万円の謝礼で売買されていた。関わった受験生らが偽計公務執行妨害罪で起訴され、7人が懲役8月(執行猶予1年)、残り24人が家裁に送致という大事件に発展した。

 事件後、韓国政府は試験場への携帯やデジタルカメラなどの持ち込み禁止を発表。今では複数の試験官が小型の探知機を使って、不審者をチェックしているという。法改正にも踏み切った。日本もおおまかな方向としては、後を追うことになるのではないか。

摘発は今後ますます困難に:ならばどうするべきか

 こうした一連の事件に筆者が興味をひかれるのは、不正の摘発が困難で、さらに今後ますます困難になると予想されるからだ。

 ウェアラブルな情報通信デバイスは、今後ますますウェアラブルになり、身体の一部となっていくだろう。たとえば、近視用のメガネに附属したディスプレーだと、インターネットにアクセスできるからといって「外せ」とは言いにくい。この方向でブレイン・マシン・インターフェース(BMI)が進めば、身体と情報環境とがますます一体化し、切り離せなくなる。

授業でスマホを使って情報を検索し、データを集める奈良市立一条高の生徒たち=2015年10月24日、遠藤真梨撮影

 手近なところでも、スマホなど携帯通信機器はますます簡便化し、いつどこでもネット上の欲しい情報にアクセスできるようになってきた。情報とアクセスの「遍在」(=あまねく行き渡ること)という意味で「ユビキタス」環境と呼ばれたりもする 。

 そうなると受験のカンニングは、ますます摘発が難しくなる。ならばむしろ、現状追認する形でアクセスはある程度認め、それを前提に「その先の能力」を見る方が有効ではないのか。「有効」とは

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