プロテスタンティズムの倫理が生まれた歴史
2015年12月12日
メルケル首相の倫理委員会設置と倫理に基づいた政治的判断をもたらしたプロテスタント的倫理観は、欧州でどのように形成されて今に至るのか。これを理解しないと、日本人は欧州との人間的な信頼関係を築けないとドイツに住んでみて感じている。まずは歴史を理解したい。
マルティン・ルター(1483-1546)はドレスデン近くの村で生まれた。神童として名を馳せ、18才で大学に進学し哲学を学ぶ。エリートコースを両親は期待したが、修道院で聖書を深く読み「神の義」を学ぶ道を選んだ。
当時、教会は「罪深い人間は贖宥状(しょくゆうじょう:免罪符)を買うことで、天国に行ける」と説き、金権宗教になり果てていた。教皇がバチカンに聖ピエトロを称える寺院を建設しようと資金集めをしていたからだ。聖ピエトロはキリストの教えを広めるためにローマ帝国の首都に赴こうとして、兵に捕らえられ、今日のバチカンの地で処刑された人である。
本来の新約聖書によるキリストの伝承は、「隣人を愛せよ(隣人愛)」。罪深き者も現世で善行を重ねることにより、あの世での審判で、天国で永遠の第2の人生が待っている、であった。己の利益より家族隣人への愛を優先せよともとれる。
ところが当時のキリスト教は腐敗していた。さらに権威主義で聖書もギリシャ語の原書のままとし、教育を受けていない一般市民には聖書が何を言っているのかわかりかねた。そこに、聖職者が己の解釈で神の言葉の仲介者となり、教皇が意のままに信者を操った。これは今日で言えば情報の独り占めである。どんな組織でも独裁者は情報を独り占めにし、組織を操りたがる。
ルターは
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