3・11後に起きたことを忘れてはならない
2016年03月11日
「40年を超えた原発は相当のことがなければ運転できない」。こう決まっていたはずなのだが、どうなったのだろう?今年2月24日、原子力規制委員会は運転開始から40年を超えた関西電力の高浜原発1、2号機について、福島事故後にできた新規制基準に適合すると認めた。こうなると再稼働も近い。
あれれ?である。「原則は40年寿命」は福島原発事故を反省した政府の約束の核心であり、法律(炉規法)にも明記されている。40年超えは「相当の例外」のはずだったが、延長の申請第1号で早くもOKである。これは政府と原子力規制委員会の社会に対する約束違反だ。
福島事故から5年が経つ。原子力に関する政策や政府方針は二転三転した。時間とともに経過を忘れがちだが、忘れてはならないこともある。
第一は「40年」の約束違反だ。このニュースを聞いて、私は福島第一原発事故をめぐる国会事故調の報告書を思い出した。「原子力業界における電気事業者と規制当局との関係は、必要な独立性および透明性が確保されることなくまさに『虜(とりこ)』の構造ともいえる状態であり……」
かつての規制当局(原子力安全・保安院など)は知識も矜持も不足し、事業者(電力会社)にコントロールされていたともいえる。そうした実態を厳しい言葉で指摘したものだ。その反省からできた原子力規制委員会はこれまで、かなり事業者や政権から独立的に振る舞ってきたように思う。しかし、今回はがっかりだ。規制委の独立性は大丈夫なのか、と心配になる。
40年寿命を決めた改正炉規法には概ねこうある。「原発を運転できる期間を運転開始から40年とする。その満了までに認可を受けた場合には、一回に限り延長することを認める」。ここには、運用の厳しさを書いてはいないが、延長について当時の野田首相(民主)は「例外的な場合に限られる」。規制委の田中俊一委員長も「延長は相当困難だ」といっていた。
とくに、高浜1、2号機は電気ケーブルの被覆に燃えにくい材料を使っていない。その対策工事は難しいので「アウトだろう」と言われていた。それが関電の示す対策工事でいいのだという。
こういうことはよくある。口頭で言った約束はあいまいにしてしまう。「法律をみてごらんなさい。一つひとつの検査で合格すればOKと書いてあるでしょ?」ということだ。そしてどういうチェックをしているかの細かい技術論の土俵に引き込まれて議論しているうちに、そもそもの大きな方針や方向性が忘れられたり、骨抜きになる。
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