放射能が減って困惑するロシア・ブリャンスク州 チェルノブイリ30年(2)
2016年05月02日
チェルノブイリ事故で放出された主要核種、セシウム137はどこに降ったか?ベラルーシ非常事態省の幹部アナトリー・ザゴルスキーさんに聞くと、「ベラルーシに23%、ウクライナに5・5%、ロシアに1・5%」という答えだった。残りは地球全体にばらまかれた。
チェルノブイリの被災国は主に3つだが、ロシアの被災地の状況はあまり報道されない。南西部のブリャンスク州などに汚染は広がっているが、いわば「忘れられた汚染地」だ。同州の中でかなりの汚染を受けたのはノボズィプコフ市(42000人)である。同市はいま「放射能が減ったことによる問題」に直面している。
1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、当時のソ連政府はセシウム137で土地の汚染度を分類した。1平方キロ1キュリー以上を汚染地とし、4段階に分けた。(1キュリーは370億ベクレル)
1)40キュリー(1平方キロ)以上 強制移住
2)15~40キュリー 義務的な移住。本来は移住すべきゾーン
3)5~15キュリー 住んでもよし、移住してもよし。移住する場合は国が支援する。
4)1~5キュリー 放射能の監視が必要。
ノボズィプコフ市の多くは2)に入った。相当に汚れている地域で、普通なら汚染の重い地域から順番に疎開することになる。ノボジブコフでも町をほぼ丸ごと疎開させる計画もつくられた。しかしうまくいかなかった。途中でソ連邦が崩壊して推進力がなくなったこと。町の人口が56000人とまるごと動かすには大きすぎたことなどが理由だ。周辺は見渡すかぎりの草原で、多くの移住者を吸収できる大都市はない。いったん他の地域へ移ってもなじめず、帰ってきた人も多い。
ほとんどの市民はそのまま住み続けた。地元の農産物を食べることは禁止、地元の木を薪に使うことも禁止、浅い井戸の水も飲めないなど不便だった。農業、酪農は禁止され、肉加工場、牛乳工場、バター工場、小麦加工場などが閉鎖された。給料をもらえる職が消えていった。
住民は手厚い優遇措置に依存した生活になった。汚染地区で生活する補償金、各種の優遇手当てをもらい、他地域や外国から運び込まれる食料をスーパーで買う生活である。「当初は、中国製の肉の缶詰も多かった」という。放射能汚染地での生活を続ける場合、「きれいな食料を他地域から供給すること」が国や社会の大きな負担になる。
汚染レベルが高いいわゆる「避難ゾーン」だったため、優遇措置もかなりのものだった。補償金、住宅への税金免除、有給休暇の倍増、薬の割引、サナトリウム(保養所)利用の優遇。列車料金の割引などなど。
こうした優遇手当て依存の生活が突然変わった。原因は昨年10月8日にロシア政府が出した「1074番」の政府決定だ。汚染レベルの変化を取り入れて汚染地の分類をやり直し、
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