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ゲノム革命はどこにいくのか

日本国際賞を受賞したスティーブン・タンクスリー名誉教授に聞く

瀬川茂子 朝日新聞編集委員

 「日本のノーベル賞」をめざして1985年に創設された国際科学技術財団の日本国際賞を今年、受賞した米コーネル大のスティーブン・タンクスリー名誉教授。受賞理由は、「ゲノム解析手法の開発を通じた近代作物育種への貢献」。経験と勘と偶然に頼っていた品種改良を効率的に行うために、収量など生産性にかかわる複数の重要な遺伝子を特定する方法を開発した。長年、ゲノム技術にかかわってきたタンクスリーさんが、「ゲノム編集」などの最近の技術をどうみているか、聞いた。

拡大日本国際賞授賞式=国際科学技術財団提供

―― この分野の研究を始めた動機は何ですか。

 1970年代に大学院生だった頃、育種技術は限られていた。たとえば10種類のイネの収量を比べようとすると、それぞれ栽培して収量を測定して答えを出すまでに5年以上かかった。品種改良がもっと早くできるようにしたかった。私は、(染色体上の遺伝子の位置がわかる)地図を作ると決めたが、当時は、原始的な技術しかなかった。そもそもできるかどうかもわからなかった。多くの人は、まだ証明されていないことや存在しないものを信じないので、研究資金を得ることもむずかしかった。しかし、新しいことを始めること、成功するかわからなくても挑戦することが科学者の社会に対する責任だと思う。めげずに昼夜、研究を続けた。1988年にネイチャーに論文を発表して、トマトの染色体地図を作り、実の大きさとかかわる複数の重要な遺伝子が特定できることを示した。

――ゲノム技術が急速に進展すると予測されていましたか。

 正直いって、30年前は想像できなかった。急速に技術が進歩して、「ゲノム革命」が起こっている。われわれの仕事もゲノム革命の動きのひとつの要素だが、ゲノム科学は想像できないところに到達した。ゲノム革命は今も続いている。

――革命ですか。

 革命は二つある。最初の革命はゲノムシークエンス(ゲノム解読)。1990年代にヒトゲノム解析計画が始まった時、技術はあったものの本当に完了できるかどうかわからなかったが、新しいゲノム解析装置が開発され、ヒトゲノム解析計画は成功した。2003年に完了した時、一人分のゲノム解読コストは25億ドルにも達した。ところが、2015年には一人分が1000ドルでできるまでになった。数年後は、1ドルでできるようになるだろう。この最初の革命の成功は、化学と工学が導いた。

 膨大なゲノムデータが蓄積されるようになったことで次の革命が始まろうとしている。数学者が、膨大なゲノム配列情報をもとに新しい発見をする段階になったのだ。昔、育種で数学者の役割はなかったが、数学のアルゴリズムが必要な時代になった。分野や目的により、大量のデータの利用のしかたは違うが、アプローチは共通だ。客観的なデータを使って正確に結果を得る。それを実現させるのが数学。私の役割は第2の革命を円滑に進めるためのファシリテーターになることだと思っている。数学、コンピューターに興味をもつ学生は、ライフサイエンスに興味をもってもらいたい。新しいアルゴリズムの進歩で次の革命が起こると期待されているから。

 ――「ゲノム編集」という新たな技術もあっという間に普及しています。

 ゲノム編集は、 ・・・続きを読む
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筆者

瀬川茂子

瀬川茂子(せがわ・しげこ) 朝日新聞編集委員

1991年朝日新聞社入社。大阪本社科学医療部次長、アエラ編集部副編集長などを務める。共著書に「脳はどこまでわかったか」(朝日選書)、「iPS細胞とはなにか」(講談社ブルーバックス)、「巨大地震の科学と防災」(朝日選書)など。

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