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ホーキング博士がEU残留を訴えたワケ

ジョー・コックスさん追悼の花束が捧げられた場所を見て「科学者の国境」を考える

尾関章 科学ジャーナリスト

 EU(欧州連合)からの離脱を選んだ英国の国民投票結果に、私は格別の感慨を抱いた。1993年にEUが誕生したとき、ロンドン駐在の記者だったからだ。当時の英国社会は英仏海峡トンネルの開通直前で、大陸と緊密につながろうとする気運が高まっていた。冷戦が終わった、いよいよ欧州は一つになる――そんな心理も働いていたように思う。その振り子が今回、まったく逆方向に振れたのである。

 今の時代、国境の垣根はどのくらいの高さにするのがよいのか。今回、英国で繰り広げられた議論は、そんな問いを私たちに投げかけた。離脱か残留かの論争では、移民政策やそれに伴う雇用問題、域内輸出入の障壁など政治経済の側面ばかりが表に出たが、それだけで垣根の高さの最適値が決まるわけではないだろう。科学には科学の視点があると言ってよい。

2015年12月、ロンドンでの催しに出席したホーキング博士=ロイター2015年12月、ロンドンでの催しに出席したホーキング博士=ロイター
 国民投票に先だって今年3月、宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士ら英国の科学者150人余が連名で「EUは科学の後押し役」とする声明を英紙タイムズに寄稿した。朝日新聞デジタル3月11日付の報道によれば、声明は次のようなことを強調していた。「我々はEUの補助金を得た若者を含む、数多くの優秀な研究者を欧州大陸から採用している」「もし英国がEUを離脱し、科学者たちの移動の自由が失われれば、英国の科学と大学にとって災難だ」

 ただ、現実には英国がEUから抜けても、科学者の大陸との行き来がいきなり滞るとは考えにくい。国境管理が厳しくなったら、科学者の交流を促すための特別の協定を結ぶこともできるだろう。だから、それは政治経済問題ほどの切実感はない。むしろ見てとれるのは、科学者ならではの思いだ。自らの行動様式に照らして、いったん低くした国境の垣根を再び高くするのはいかがなものか、ということではなかったか。

 その心情は、科学史をひもとけばよくわかる。偶然だが今回、英国からの報道でそれに気づかされる瞬間があった。残留支持派の労働党下院議員ジョー・コックスさんが、地元ウェスト・ヨークシャーのバーストルで暴漢に殺された後、保守党党首のデイビッド・キャメロン首相と労働党のジェレミー・コービン党首がそろって現地を訪ね、献花する場面の映像を見たときのことだ。花束が捧げられた石碑にはこうあった。「酸素の発見者ジョゼフ・プリーストリー  1733年、バーストル・フィールドヘッドに生まれる」。そうか、この町は近代化学の先駆者の生誕地でもあったのだ。

銃撃事件があった英バーストルの広場の石碑には、多くの花束が捧げられた銃撃事件があった英バーストルの広場の石碑には、多くの花束が捧げられた
 ここで注目すべきは、酸素の発見がプリーストリーひとりの手柄ではなかったということだ。それは、フランスの化学者アントワーヌ・ラボアジエとの国際連携によって成し遂げられたといってよい。

 ヨークシャー哲学協会(*)のサイトにある小伝などから史実を振り返ってみよう。プリーストリーは1774年、水銀の酸化物を熱すると出てくる「新しい気体」を見つけた。彼の見立てによれば、新気体は「脱フロギストン空気」だった。そのころ有力だったのは、物質は「フロギストン」(燃素)を放出することで燃えるという仮説だ。脱フロギストン空気は自身がフロギストンを欠いているので、それを吸いとる働きがあり、その結果、物質の燃焼を促す、とにらんだのだ。彼は発見の直後、欧州大陸へ出向いた際、パリでラボアジエに会って新気体のことを伝えた。ラボアジエ自身も研究に乗りだすが、フロギストン説はとらない。二人の間では批判のやりとりもあったようで、ラボアジエが最後にたどり着いたのが、新気体は空気の一成分である元素という見方だ。これこそが「酸素」だった。(*略称YPS。サイトには1822年以来、人々の科学理解を促進してきた団体とある)

 酸素の発見者としては、もう一人、スウェーデンのカール・シェーレの名が挙げられる。プリーストリーよりも早く、自前の実験で、後に酸素と呼ばれる気体の存在に気づいていた。この発見史のなかでとくに見落とせないのは、英仏二人の関係が「連携」と「競争」の両面を併せもっていたことだ。情報を分かちあい、論をたたかわせながら、「正解」に近づいたのである。科学者の国境を越えた議論が自然探究を進める近道であることを物語っている。

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