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ひっそりと扉を開けた「池子の森」

あの「民主主義の実験場」は今……

米山正寛 森林文化協会事務局長補佐

緑地エリアの中央にある池と背後の山拡大緑地エリアの中央にある池と背後の山
 神奈川県逗子市の「池子の森」を訪ねた。1982年に、この森を開発して米軍住宅を建設するという国の計画が浮上し、全面返還を求める市民たちが森の保存と住宅建設反対を訴える運動を展開した場所だ。84年に反対派の市長を生みだすなど、地方の民意で国の政策を変えようとした運動は当時、「民主主義の実験場」とも呼ばれ、全国にその名をとどろかせた。あの頃の熱気をご記憶の方も多いことだろう。

今春から一般開放された緑地エリア

 かつて地元の人々が里山として生活に利用していた池子の森は、戦時中に日本軍が使用するようになり、敗戦後は米軍の弾薬庫として使われていた。78年にその弾薬庫も閉鎖され、地元で返還への機運が高まっていた中、住宅建設問題が浮上した。反対運動は活発化していったが、国は87年に建設へ着手。94年には「(住宅地以外の)緑地の現況保全に配慮する」ことを盛り込みつつ、国や県との合意がなされ、逗子市も米軍住宅を受け入れる結果となった。住宅への米軍家族の入居は96年に始まり、20年を経た今も、そこはフェンスに囲まれて市民が自由に立ち入ることはできない。

残されたレールが軍事利用の時代を物語る拡大残されたレールが軍事利用の時代を物語る
 ただ、返還を求める市の交渉は続き、保全された緑地の一部や運動場などを含む約40haが昨年春、日米共同使用の「池子の森自然公園」となった。そして今春から公園内の緑地エリアが一般開放(土日休日に限定)され、実際に森への立ち入りが可能となった。かつての熱気を知る世代の一人として、節目となる大きな出来事だと受け止めたのだが、全国的な報道はほとんどなされておらず、ひっそりと小さな扉が開いたという感じがする。

 私が訪ねた時、森の池や小川の周囲で整備された草地では子どもたち向けのプレイパークが催されたり、家族連れなどがピクニックや自然観察を楽しんだりしていた。一方、緑地エリアの東西を占める森林には一部を除いて散策路は設けられておらず、基本的には足を踏み入れられない状態になっていた。 ・・・続きを読む
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筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) 森林文化協会事務局長補佐

公益財団法人・森林文化協会事務局長補佐(学術、出版)兼「グリーン・パワー」編集長。朝日新聞の科学記者を経て現職。とくに自然史科学と農林水産技術に関心を寄せ、取材活動を重ねてきた。森林文化協会は、「山と木と人の共生」を基本理念として1978年に設立された朝日新聞創刊100周年記念の財団。
森林文化協会公式サイト

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