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「ゲノム編集」をめぐる議論を深めよう

英国「ナフィールド評議会」の報告書から

粥川準二 叡啓大学准教授(社会学)

 現在、生命科学や生命倫理の世界で最も注目を集めているテーマの1つとして「ゲノム編集」がある。ゲノム編集とは、遺伝情報すべてが書き込まれているDNA、つまりゲノムを、まるで文章や映像を編集するように切り貼りする技術である。

 この技術の応用方法は広く、肉付きのいいウシやおとなしくて養殖しやすいマグロ、大きなタイ、病気になりにくいイネなどの研究開発が進んでいる。

 ゲノム編集は人間に対して行うことも可能だ。医学分野では、ゲノム編集を使った遺伝子治療の臨床研究が行われており、HIV(エイズ)などで良好な結果が出始めている。iPS細胞と組み合わせて、再生医療に応用することも見込まれている。

 筆者はすでに『AERA(アエラ)』9月12日号で、ゲノム編集のなかでも「人間の受精卵ゲノム編集」の倫理問題について寄稿したことがあるが(『.dot』9月10日付に転載)、本稿では、英国の民間団体が発行した報告書などを手がかりに、あらためてゲノム編集というテーマを問い直してみる。

ゲノム編集とは? 受精卵ゲノム編集とは?

 これまでの「遺伝子組み換え技術」では、ウイルスなどを使って組み込みたい遺伝子を細胞に送り込むのだが、その遺伝子が細胞側のDNAのどこに組み込まれるかはわからなかった。狙った位置に組み込むことのできる方法もあるが、対象となる細胞が限られるうえ、効率はきわめて低い。

 ゲノム編集では、DNAを切る「ハサミ」の役割をする酵素と、切りたい位置にそれを導くガイド役の分子がセットで働く。このセットが細胞に入ると、ガイド役が狙った位置を見つけ出し、ハサミがDNAを切って遺伝子を壊す。切って壊すだけでなく、ここに新しい遺伝子を組み込むこともできる。

 ゲノム編集は、その第一世代の「ZFN(ジンク・フィンガー・ヌクレアーゼ)」が1996年に、第二世代の「TALEN(ターレン)」が2010年に開発された。そして第三世代の「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャス9)」が2013年に開発されると、その簡便さなどが注目され、急激に普及した。

 クリスパー・キャス9の開発者であるジェニファー・ダウドナ氏とエマニュエル・シャルパンティエ氏は、2015年にはトムソン・ロイターや識者などからノーベル生理学・医学賞の有力候補とみなされたこともある。またダウドナ氏らは今年、医学分野で優れた実績を残した研究者に与えられるガードナー国際賞を受賞した。同賞は、今年のノーベル賞受賞が決まった大隅良典・東京工業大学栄誉教授も2015年に受賞している。

 従来の遺伝子組み換え技術に比べて効率が高いこと、どの種のどの細胞にも行えること、そして遺伝子を切って壊すことが目的であればその痕跡が残らず、自然界で起こる突然変異と見分けがつかないことも、ゲノム編集の特徴だ。

 ゲノム編集は、動物にも植物にも微生物にも可能だが、人間にももちろん可能である。人間でも動物でも、対象が体細胞であれば、改変された結果がその子孫に伝わることはない。しかし受精卵や初期胚(はい)、精子、卵子であれば、改変は子孫に伝わる。人間の受精卵ゲノム編集が倫理的な懸念を指摘されるはそのためである。

 2015年6月、中国の研究グループが、サラセミアという遺伝病の原因遺伝子をゲノム編集で修復したと発表し、広く議論を巻き起こした。2016年2月には、英国の研究所が発生のメカニズム解明を目的として人間の受精卵にゲノム編集を行う研究について、同国の政府機関「ヒトの受精および胚研究認可局(HFEA)」の承認を受けたと発表。さらに同年4月には、中国の別のグループがHIV(エイズウイルス)に感染しにくくなるよう、ゲノム編集を人間の受精卵に行ったと発表した。今年9月には、一部の報道機関が、スウェーデンの研究者がすでに、人間の受精卵にゲノム編集を行い始めていると報じた。詳細は明らかではないが、目的は英国で認可された計画に近いようだ。

英国ナフィールド生命倫理評議会

 英語圏ではゲノム編集に対する関心は高く、メディアでは毎日、読み切れないほどの記事が出る。なかでも英国ではとりわけ盛んに議論されているという印象がある。

 今年9月30日、英国の民間団体「ナフィールド生命倫理評議会」は『ゲノム編集:倫理的評価』という報告書をまとめ、ゲノム編集のさまざまな応用方法のなかから「緊急に取り組むべき課題」として「人間の生殖」と「畜産」を選んだ。

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