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今年のノーベル物理学賞のどこがすごいのか?

「無数の単純な要素が生み出す物語」を読み解く理論

田崎晴明 学習院大学教授

 今年のノーベル物理学賞は、デビッド・サウレス (David Thouless)、ジョン・コスタリッツ (John Kosterlitz)、ダンカン・ハルデーン (F. Duncan M. Haldane) に与えられる。受賞対象を一言でまとめれば「単純な要素が無数に集まったときに生まれる驚くべき現象」の研究と言える。少し説明が必要だろう。

 水を冷やしていくとちょうど 0 度で氷になる。物質の性質が急激に変化する「相転移」の代表例であり、「単純な要素が無数に集まったときに生まれる驚くべき現象」の最もわかりやすい例だ。

 どこが「驚くべき」なのだろう? 水は無数の水分子が集まったもので、一つ一つの水分子は周辺の分子たちと影響を及ぼし合いながら単純な法則に従って運動している。水分子には温度を測る仕掛けなどなく、周りが 0 度になったことも知らない。水分子たちの中に「司令塔」がいて「温度が 0 度になったから凍れ!」とみんなに指示を出しているわけでもない。それでも、0 度になると水はみごとに氷に変化する。単純な水分子が数多く集まった結果、全体としてまったく新しい性質が自然に生まれてくるのだ。水が凍るという見慣れた現象も、こう考えれば「驚き」ではないだろうか?

 今年のノーベル賞の対象となったのは、このような身近な相転移とは少し毛色がちがうが、その後の物理学の流れを変えることになった先駆的な研究である。以下、三つの受賞対象を概観しよう。

コスタリッツ=サウレス転移(KT 転移)

スピン(小さな磁石)が平面的に並んでいる。高温ではスピンが互いにバラバラの方向を向く。
 磁石を作っている一つ一つの原子はそれ自身がごく小さな磁石としての性質をもっている。各々の原子が方位磁石のようなものだと思えばいい。この小さな磁石のことを「スピン」と呼ぶ。ここでは、ちょうど方位磁石のように、360 度どちらの方向でも向けるスピン(専門用語で XY 型のスピンという)だけを考えよう(左図)。スピンが無数に集まると色々と面白い現象が生じる。

 スピンが規則的にずらりと並んで、となりあうスピンが同じ向きにそろいたがっている状況を考える。スピンが物質中に立体的(3 次元的)に並んでいるときには、高温ではバラバラだったスピンたちが低温で同じ向きにそろう相転移がおきる。水の相転移と並ぶ有名な相転移現象だ。

 スピンが平面的(2 次元的)に並んでいるときにはスピンがそろう相転移は生じないことが知られていた。ベレジンスキー、コスタリッツ、サウレスはこの場合にも相転移(KT 転移)が生じることを発見した。高温ではバラバラだったスピンたちが、低温では(言葉での説明は難しいが)「そろいそうで、ぎりぎりそろわない」奇妙なふるまいを見せるのだ。誰も予期しなかった新しいタイプの相転移だった。さらに、この相転移を生み出す主役は多くのスピンたちが描き出す渦状のパターンであることも明らかにされた。

 2 次元の世界で新しい現象が発見されたことは相転移の研究に大きなインパクトを与えた。KT転移の発見を契機に、おもちゃ箱をひっくり返したように、様々な「エキゾチックな相転移」が発見されたのである。

ハルデーン現象

 ハルデーンの受賞理由となったのも無数のスピンが生み出す新しい現象の発見だ。今度は、

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