沖縄と寄り添うのなら明治時代にまで視野を広げよ
2017年01月31日
米軍北部訓練場の過半の返還式が昨年12月22日、名護市の万国津梁(しんりょう)館で開かれた。返還面積は4010ヘクタールで日本復帰後最大となり、沖縄に集中する在日米軍施設面積の割合は、74.4%から70.6%へと3.8ポイント低下した。菅官房長官は、この返還を「沖縄の負担軽減に大きく寄与する」と自画自賛したが、沖縄ではそのように思う者はほぼゼロであろう。
そもそも米軍が「使用不可能」とする土地が返却されただけであり、しかもオスプレイの飛行訓練に使用できるオスプレイパッド6カ所を高江集落を取り囲むように建設することが返還の条件だからだ。(「北部訓練場の過半の返還」については昨年12月5日付のコラムで簡単に触れた)
同月24日の沖縄タイムスは、オスプレイパッド建設が始まった2007年当初から抗議活動の先頭に立ってきた地元住民の安次嶺現達さん一家が、同月、高江を離れたことを報じていた。
6カ所のオスプレイパッドのうちの2カ所(N4と呼ばれる)は、すでに2014年に完成し、2015年から米軍に提供され、オスプレイの低空飛行訓練が夜間も含め繰り返し行われてきた。
安次嶺さんの家は、N4から400メートルと一番近く、オスプレイがまき散らす騒音・低周波音は耐えがたく、4人の子どもは睡眠不足から体調を崩し、学校を休むまでになっていた。一時は隣の国頭村楚洲に子どもたちを避難させていたが、「騒音のない普通の暮らしがしたい」と県外に移住する決断をしたのである。
沖縄防衛局は、昨年7月10日の参院選までは選挙に与える影響に配慮して高江での工事を控えていた。しかし選挙結果は、現職の沖縄担当大臣である自民党現職が10万票以上の大差で完敗したのである。
そして選挙の翌日の11日から、満を持したように高江オスプレイパッド建設工事が再開された。500人もの機動隊の本土からの派遣、県道の封鎖、抗議運動のリーダーの逮捕長期拘留、非暴力で抗議する市民への「土人発言」、陸自ヘリを投入しての工事用重機の輸送等々、ありとあらゆる無法がまかり通っている。
辺境県の沖縄の更に辺境の地であることから、何をしても構わないというのだろうか。
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