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IT業界の未来——エンジニア幸福論

ユーザー主体の脱「1対1」戦略で、「費用」ではなく「価値」の追求を

首藤一幸 コンピュータ科学者、東京工業大学准教授

 IT業界ではよく「プログラマー35歳定年説」が話題になります。本当とも嘘とも言えて、いろいろ話が広がるネタなので、飲み屋やネットの雑談にぴったりです。35歳定年の理由としては例えば激務が挙がります。そこには、こんなしんどい仕事ずっとは続けられないよね、という業界への自虐も込められています。では実際どうなのかというと、35歳がどういう状況なのかは人それぞれ、としか言えません。

35歳定年説を「人月」で解くと

 そんな35歳定年説にも、合理的な説明を付けることができます。「人月単価の上限」に達してしまうのです。受託ソフトウェア開発では、開発を請け負う際、例えば、1人月100万円のプログラマー2人で5カ月かかるから、100万円×2人×5カ月=1000万円頂きます、という計算をします。この売り上げすべてがプログラマーの収入になるわけではありません。会社はオフィスの賃料だとか間接部門の人件費も払わねばなりません。プログラマーの給与になるのは売り上げの1/2〜1/5です。ということは、1人月100万円でその半分が給与になったとすると、プログラマーの年収は600万円となります。

 人月には相場があり、受注したい会社間での競争もあるので、そう上げられるものでもありません。かくして、人月で働く以上、年収にこうした上限が付いてきます。プログラミングの成果に対して人月単価の限界を超えた給与をもらう/支払うためには、人月単価で働く人々を束ねるしかありません。つまり、プログラマーを引退し、マネジャーになるのです。

 マネジャーの大事な仕事に、予算管理があります。技術を愛するプログラマーほどそうした表計算=Excel仕事を疎み、「最近はExcelばっかで全然プログラム書いてない…」と自虐を愚痴ることになります。3Kだ、いや7Kだ!と、自虐が大好きな業界です。

「1対N」のビジネス、「1対1」のビジネス

 プログラマーって、ゲームやウェブブラウザー、SNSを作って大勢に提供してるのではないの?と思う方もいるかもしれません。こうした、大勢に対して同じ製品やサービスを提供する事業を、ここでは「1対N」と呼びます。それに対して、上記の受託ソフトウェア開発は、特定の相手に向けて開発を行うので「1対1」です。

情報サービス産業は社会の基盤を支えている。システム障害によって混雑する空港カウンター=2016年3月、大阪

 1対1商売は、情報サービス産業のかなりの割合を占めます。今や、金融、交通、電気…といった我々の生活を支えるほとんどすべてのシステムはコンピューター制御されていて、それらの多くはソフトを買ってくれば済むというものでもないので1対1で受託開発されています。1対Nのビジネスであっても、裏では1対1で開発を請け負っている会社があるかもしれません。

 情報サービス産業とは、IT業界からハードウェアを除いた、ソフトウェア、ネット、データ提供・処理等の業界を指します。その情報サービス産業全体の年間売上高は21.4兆円で、そのうちソフトウェア開発による売上高は10兆6千億円です(経産省「平成27年度特定サービス産業実態調査報告書」より)。このソフトウェア開発費10兆6千億円のうち、1対1にあたる受託ソフトウェア開発による売り上げは8兆7千億円、実に82%に達し、1対Nのソフトウェア開発は残りの18%です。情報サービス産業の売上高21.4兆円のうち、残り10兆円弱はネット、データ等の業界で、1対1と1対Nが混ざっています。

請求するのは「価値」でなく「費用」

 1対1商売の巨大な利点は、受注できた時点で売り上げがほぼ確定することです。あとは開発・納品さえ失敗しなければ売り上げが立ちます。これが1対Nだと、開発・提供したからといって何人が買ってくれるか、売り上げにつながるかどうか、わかりません。この利点ゆえ、1対Nの事業を志したITベンチャー企業が、気づくと、食い扶持のために始めた1対1の受託開発ばかり行っている、なんてことがよく起きます。

 一方、1対1商売にはいろいろと問題・課題もあります。ほとんどの場合、開発して差し上げたソフトや提供したサービスで価値を生むのは提供先=委託元なので、受託する側としては、それが生む「価値」ではなく、それにかかる「費用」を請求することになります。レベニューシェアといった提携方法もありますが、それは1対1商売ではなくていわば共同事業なので、ここでは置いておきます。費用を見積もるためには、まず、プログラムの行数やファンクションポイントとしてソフトウェアの規模を見積もり、そこからCOCOMOといったモデルで工数、つまり「人月」を見積もります。

 この、価値ではなく費用を人月に基づいて請求する、という構造がいろいろな問題・課題の根となっています。人月単価がプログラマーの給与を制限するという上述の課題はかわいい方で、

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