世界レベルから取り残される日本の貧困な教育環境
2017年06月05日
「忖度」という言葉を流行語にした加計学園問題は、前文科事務次官まで登場して週刊誌的な騒動が続いている。そんな騒ぎの中に、「なぜ、今、半世紀ぶりに獣医学部の設置が必要なのか」という最も重要な問題が埋もれようとしている。日本獣医師会が学部設置に反対してきた理由はなにか。日本全体にとっての、学部設置問題がもつ本当の意味とは——。筆者は、東大在籍中から獣医学教育の改善に取り組み、定年後は加計学園関連の倉敷芸術科学大学長を務めた。その立場から、解説する。
最初に書かなくてはならないのは、ほとんどの人が獣医師は「犬・猫のお医者さん」だと思っていることだ。ペットが家族の一員になった現在、小動物臨床は獣医師の半分以上が従事する大事な仕事である。他方、よく知られていないのは、それ以外の獣医師の仕事である。
このように獣医師が国民の食の安全を守る仕事をしていることも、内閣府食品安全委員会の委員長、事務局長、専門委員の多くを獣医師が務めるなど、国や地方の行政の重要な仕事をしていることも知られていない。
獣医師の仕事の内容を国民が知らない理由は、獣医師の歴史にある。畜産製品が主要な食料である欧米では家畜の健康を守ることが人間の健康に直結する。そのための職業として獣医師が生まれ、国民も獣医師の重要性をよく知っていた。一方、農業国である日本で獣医師が生まれたのは、明治政府が獣医師養成学校を作ったことに始まる。その理由は、トラックがない時代に帝国陸軍の唯一の輸送手段だった軍馬と食料増産のための農耕馬の世話をする獣医師の養成だった。
終戦とともに、軍馬は大陸に置き去りになり、獣医師だけが帰還したが、彼らが世話をすべき家畜はいなかった。そんなときに占領軍総司令部は日本の教育改革を命じたのだが、その一つが医学、歯学、獣医学教育を6年制にすることだった。その理由はこれらが国民の生活の安全に直結する重要な職種だからだが、日本政府は獣医師の重要性が理解できなかったため獣医学だけが放置され、6年制が実施されたのはそれから約40年後だった。
またこのとき、全国の馬産地と陸軍師団所在地に設置された小規模の獣医師養成所の多くが入学定員30〜40名の小さな学科として新制大学の中に存続することになった。これが表に示す11校の国公立大学獣医学科(北大だけは学部)のルーツである。そのほかに入学定員が80〜120名の私立獣医科大学が5校あるが、最後に設置されたのが約半世紀前の北里大学と酪農学園大学獣医学部だった。
高度経済成長の中で獣医師がペットの治療を行うようになり、また畜産が盛んになったこと、食の安全に対する意識が高まったことなどで、獣医師の仕事は戦前とは大きく変わり、現在の形が出来上がった。
獣医学教育の内容は医学教育とほとんど同じで、内科、外科などの臨床科目から生理、解剖、薬理などの基礎科目までが並び、海外の獣医科大学ではその講義と実習のために100〜200名の教員と補助者を配置し、入学定員もこれに見合った100〜200名である。
これに比べて日本の国公立11大学の獣医学部・学科では入学定員が30〜40名、教員数も最低必要数とされている72名には遠く及ばない(上の表)。その結果、国際的にみて獣医学教育のレベルは極めて低かった。この状況を改善するために筆者が文科省と協力して行ったのが獣医学科の再編整備である。もし3つの獣医学科を統合すれば入学定員約100名、教員数約100名となり、現在と同じ経費で欧米に近い立派な教育が可能になる。しかし、残念ながらこの努力は、ほとんどの大学の「獣医学科がこちらに来るなら受け入れるが、そちらには出せない」という利己的な主張のため未完に終わっている。
もう一つの課題が、
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