メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

加計学園「半世紀ぶり獣医学部」の本当の意味

世界レベルから取り残される日本の貧困な教育環境

唐木英明 東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長

 「忖度」という言葉を流行語にした加計学園問題は、前文科事務次官まで登場して週刊誌的な騒動が続いている。そんな騒ぎの中に、「なぜ、今、半世紀ぶりに獣医学部の設置が必要なのか」という最も重要な問題が埋もれようとしている。日本獣医師会が学部設置に反対してきた理由はなにか。日本全体にとっての、学部設置問題がもつ本当の意味とは——。筆者は、東大在籍中から獣医学教育の改善に取り組み、定年後は加計学園関連の倉敷芸術科学大学長を務めた。その立場から、解説する。

多くの人が知らない仕事の中身

 最初に書かなくてはならないのは、ほとんどの人が獣医師は「犬・猫のお医者さん」だと思っていることだ。ペットが家族の一員になった現在、小動物臨床は獣医師の半分以上が従事する大事な仕事である。他方、よく知られていないのは、それ以外の獣医師の仕事である。

拡大臨床実習を受ける獣医学の学生たち=岐阜大学獣医学科(北川均特任教授提供)
 その第一は家畜臨床、すなわち牛、馬、豚、鶏などの家畜の病気の予防と治療で、鳥インフルエンザ、口蹄疫、BSEなどの対策を行う仕事だ。二番目は公衆衛生・食品衛生で、国や地方の公務員としてと畜場での食肉検査、輸入や国産食品の安全性検査、外食店などの衛生状態の検査など、食の安全に直結した仕事だ。そして3番目は医薬品の開発だ。それは医師、薬剤師の仕事と思っている人が多いが、薬の効果も毒性も実験動物の試験から始まるため、薬の試験の大部分は獣医師の仕事であり、医師の出番は最終段階でのヒトでの試験だけだ。

 このように獣医師が国民の食の安全を守る仕事をしていることも、内閣府食品安全委員会の委員長、事務局長、専門委員の多くを獣医師が務めるなど、国や地方の行政の重要な仕事をしていることも知られていない。

始まりは軍馬と農耕馬の世話から

 獣医師の仕事の内容を国民が知らない理由は、獣医師の歴史にある。畜産製品が主要な食料である欧米では家畜の健康を守ることが人間の健康に直結する。そのための職業として獣医師が生まれ、国民も獣医師の重要性をよく知っていた。一方、農業国である日本で獣医師が生まれたのは、明治政府が獣医師養成学校を作ったことに始まる。その理由は、トラックがない時代に帝国陸軍の唯一の輸送手段だった軍馬と食料増産のための農耕馬の世話をする獣医師の養成だった。

 終戦とともに、軍馬は大陸に置き去りになり、獣医師だけが帰還したが、彼らが世話をすべき家畜はいなかった。そんなときに占領軍総司令部は日本の教育改革を命じたのだが、その一つが医学、歯学、獣医学教育を6年制にすることだった。その理由はこれらが国民の生活の安全に直結する重要な職種だからだが、日本政府は獣医師の重要性が理解できなかったため獣医学だけが放置され、6年制が実施されたのはそれから約40年後だった。

 またこのとき、全国の馬産地と陸軍師団所在地に設置された小規模の獣医師養成所の多くが入学定員30〜40名の小さな学科として新制大学の中に存続することになった。これが表に示す11校の国公立大学獣医学科(北大だけは学部)のルーツである。そのほかに入学定員が80〜120名の私立獣医科大学が5校あるが、最後に設置されたのが約半世紀前の北里大学と酪農学園大学獣医学部だった。

拡大国家試験関係は2016年農林水産省、教員数は08年文部科学省の調査。合格者1000名を確保するには定員を1200名程度に増やす必要がある。また各大学の教員数は最低必要数とされる72名を大きく下回り、早急な改善が求めらるが、入学定員が30〜40名では困難だ

 高度経済成長の中で獣医師がペットの治療を行うようになり、また畜産が盛んになったこと、食の安全に対する意識が高まったことなどで、獣医師の仕事は戦前とは大きく変わり、現在の形が出来上がった。

世界から大きく遅れた獣医学教育

 獣医学教育の内容は医学教育とほとんど同じで、内科、外科などの臨床科目から生理、解剖、薬理などの基礎科目までが並び、海外の獣医科大学ではその講義と実習のために100〜200名の教員と補助者を配置し、入学定員もこれに見合った100〜200名である。

 これに比べて日本の国公立11大学の獣医学部・学科では入学定員が30〜40名、教員数も最低必要数とされている72名には遠く及ばない(上の表)。その結果、国際的にみて獣医学教育のレベルは極めて低かった。この状況を改善するために筆者が文科省と協力して行ったのが獣医学科の再編整備である。もし3つの獣医学科を統合すれば入学定員約100名、教員数約100名となり、現在と同じ経費で欧米に近い立派な教育が可能になる。しかし、残念ながらこの努力は、ほとんどの大学の「獣医学科がこちらに来るなら受け入れるが、そちらには出せない」という利己的な主張のため未完に終わっている。

 もう一つの課題が、 ・・・続きを読む
(残り:約2504文字/本文:約4374文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
デモクラシーやJournalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

唐木英明

唐木英明(からき・ひであき) 東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部助手、同助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員などを経て、東京大学農学部教授、東京大学アイソトープ総合センターセンター長などを務めた。2008〜11年日本学術会議副会長。11〜13年倉敷芸術科学大学学長。著書「不安の構造―リスクを管理する方法」「牛肉安全宣言―BSE問題は終わった」など。

唐木英明の新着記事

もっと見る