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社会が守った「最も危険な内部告発者」

「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露したエルズバーグの場合

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

「投獄は覚悟したが、やる価値はあると思った」

 日本で「内部告発」の話が出るたびに、かつてインタビューをした米国人を思い出す。1971年に、ベトナム戦争介入における失敗の経緯も書かれた米国防総省のベトナム秘密報告「ペンタゴン・ペーパーズ」を新聞に流したダニエル・エルズバーグ氏だ。「アメリカで最も危険な男」(キッシンジャー)とも言われた。

 「暴露するとき何を思っていたのか?」という私の問いに、彼は「まあ、投獄は覚悟していたが、やる価値はあると思った」と答えた。

 暴露した内容の巨大さ、個人的な葛藤、きちんと報道した新聞、「115年の懲役刑」とも言われた裁判と、それを棄却に追い込んだ法律関係者、社会の力。日本とは簡単には比較はできないだろうが、日本で内部告発を議論するならば、「とにかく知っておいて欲しい話」だ。

米政府の機密を告発してきたエルズバーグ氏拡大米政府の機密を告発してきたエルズバーグ氏

ベトナム戦争を現地で経験、「正義の戦争」がゆらぐ 

 私はエルズバーグに2度会った。長いインタビューをしたのは1994年、ワシントンのオフィスでだった。「戦後50年」を翌年に控え、私は「ポスト冷戦」という視点で核兵器についての取材をしていた。

 彼は核戦略家、あるいは軍事アナリストと呼ばれる軍事専門家で、アメリカの国防総省で働いた経験ももつ。後年は米ソの核兵器を減らす運動にかかわるようになった。

 94年当時は、冷戦終了という好機をとらえ、核兵器を開発したマンハッタン計画の「負の遺産」をなくす「マンハッタン計画2」という運動を提唱していた。NGOとしての活動である。私の主な取材目的も、そうしたテーマだった。

 エルズバーグは60年代、文民であるゲリラ対策顧問としてベトナムに赴き、実戦も間近で経験する。ベトナムに関連する仕事の経験は6年に及ぶ。ベトナムでは、アメリカ国内で喧伝されているのとは全く異なる戦況に直面する。そして戦争には勝てそうにないこと、コストが高くつくことを知った。「正義の戦争」という思いが揺らいだ。

ペンタゴン・ペーパーズを持ち出し、47巻7000ページをコピー

 ベトナムから帰国後、勤務していた民間シンクタンク「ランド研究所」で、報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」に出会う。アメリカ政府の決定の失敗、国民に間違った情報を与えていた事実も書かれた「ベトナムにおける政策決定の歴史」である。最高機密として15部だけ印刷されたものだ。エルズバーグも一部の執筆者だった。

 報告書の分析を託されたエルズバーグだったが、読み進めるうちに自らの心境が変わっていくのに気がつく。そしてついに、「間違った戦争を終わらせるために、これを公表しよう」と思うようになる。1969年半ば、38歳のときだ。

 その年の秋、報告書をランド研究所から持ち出した。そして、反戦活動家の友人ルッソ、そのガールフレンドの支援を得て、ある広告会社のコピー機を使い、オフィスで徹夜して何日もかけて複写をした。その量、なんと47巻7000ページ。それを何部もつくった。

 当時、コピー機はまだ珍しかった。「時間がものすごくかかったことを覚えている」という。複写には人手が足りず、13歳の息子(妻と前夫との間の子)にも手伝いを頼んだ。子供を巻き込んだことについてはその後、批判もされた。

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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