メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

沖縄はなぜ伝わらないのか

日本の報道自由度を回復するために

桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人

 報道の自由は民主主義の柱である。権力を監視するウォッチドッグとしての自由な報道なくして民主主義社会は機能しない。

 ところが国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)によれば、日本の報道自由度は急落し、2010年に世界11位だったものが、2016年には72位にまで落ち込んでいる。由々しき事態である。特定秘密保護法などの影響でメディアが自己検閲の状況に陥っている、特に安倍首相に対する批判などでメディアが独立性を失っている、というのがRSFの評価だ。

日本の報道の問題

 どうしてここまで貧したのか。記者クラブなどで仕入れた政府機関からの一方的情報をさしたる検証もなく垂れ流し、独自の調査報道が弱いことは、日本の報道の問題点として、つとに指摘されてきたことであった。そこに安倍一強政治が加わったことで事態が悪化した。霞が関の省庁がトップの人事権を内閣官房に握られ、時の政権の意向を極度に忖度するようになったのと同様に、記者クラブ制度に現在の一強政治の圧力がかかり、記者も忖度し、自主規制するようになったのである。

 では、いかにして報道自由度の回復を図るか? 筆者は、「沖縄はなぜ伝わらないのか」を見詰めること、そしてそれを乗り越える方策を模索することが一つの道であると考えている。

 沖縄は、日本社会が抱える矛盾が集約的に表れる特異点である。その沖縄に身を置いて日本社会を眺めれば、権力の何を監視すべきか、日本社会をより良いものにしていくためにどのような方向性を示唆できるか、おのずと明らかになってくるはずだ。

連綿と続く沖縄差別

 この国の為政者は、二言目には「沖縄に寄り添う」と言うが、沖縄の声を聴く耳を全く持たない。

オスプレイ配備撤回を訴えるデモ隊に、沿道からヤジが飛んだ=2013年1月27日、東京・銀座
 2013年1月28日に沖縄全市町村の首長、議会議長が揃って上京し、首相官邸で安倍首相らに普天間飛行場へのオスプレイ配備撤回と基地負担の軽減を求める「建白書」(要求書)を提出したが、全く無視された。一方、2014年7月に米軍のオスプレイ訓練を佐賀空港へ移転する計画が浮上した時には、地元の知事や市長の反対に遭い、政府は翌年10月にこの計画を取り下げた。明らかにダブルスタンダードである。

 憲法14条は「すべて国民は法の下に平等である」とうたうが、沖縄はいまだ憲法の恩恵に浴していない。1609年の薩摩侵攻以降の本土による沖縄差別が、1972年の本土復帰以降も連綿と続いているのである。

 差別は政府によるものだけではない。一般国民による傍観、無視があるからこそ政府の明白な差別が大手を振るって罷り通るのである。「建白書」提出の前日の2013年1月27日、上京団は日比谷公園をデモしたが、彼らに浴びせられたのは「うじ虫、売国奴、日本から出ていけ」というヘイトスピーチであった。

東アジアの平和をいかに実現するか

 この世で最悪の地獄と言われる地上戦を体験した沖縄は、二度と本土のための捨て石とはならない、また日米両軍の発進基地となって他国の人々を殺す手助けをしたくないとの考えから、米軍基地のみならず自衛隊による琉球列島全域の軍事要塞化にも反対する。軍事ではなく、平和外交によって対話を通じて東アジアに平和をつくることこそが人々の願いである。このほど亡くなられた大田昌秀さんがつくられた敵味方すべての犠牲者を刻銘する「平和の礎」は、まさにそのような考えに基づくものであった。

オスプレイ配備に反対する沖縄の自治体関係者ら=2013年1月27日、東京・日比谷
 しかし、軍事力強化著しい中国や、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮に対峙するには、日米安保という軍事力によって身の安全を図るしかないと考える本土国民には、こうした考えに基づいて辺野古や高江の基地建設に反対する沖縄県民の振る舞いが許しがたい身勝手と映るのであろう。そうしたことを背景に、
・・・ログインして読む
(残り:約702文字/本文:約2252文字)