メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ノーベル文学賞の幸福と不幸

カズオ・イシグロが与えてくれる至高の読書体験をかみしめる

伊藤隆太郎 朝日新聞記者(西部報道センター)

 ノーベル文学賞に選ばれ、ロンドンの自宅から出てきたカズオ・イシグロ(62)の姿を、10月5日深夜のTVニュースが映していた。黒いシャツと黒いジャケット。昔からずっと変わらない、定番のイシグロスタイルだ。

 ――いつも黒色の服を召されていますね?

 もう16年も前に、そう質問したことがある。『わたしたちが孤児だったころ』の刊行を記念して来日した際、インタビューする機会に恵まれた。それまでの作品群と一線を画するミステリー仕立ての構成は、読者を大いに驚かせた。斬新な新作の内容についてひとしきり話を聞いたのち、一段落した合間で訊ねたことだった。イシグロは英語で答えた。

「山本耀司や川久保玲が得意にしてきた色ですから」

 そこに込められた意味は、ほかでもない、「自分は、日本の文化の一員である」という態度表明だ。

「選び直せない人生」という主題

 1954年、長崎市で生まれた。日本名は石黒一雄。5歳の時、海洋学者の父の仕事の都合で英国に一家で移住し、83年に国籍を取得した。

 作品に、日本が反映している。英国の王立文学協会賞を受けた初期長編『遠い山なみの光』は、戦後の長崎が舞台だ。出発点の二重性は、後のイシグロ作品でも核をなしている。「自分はどこに帰属をするのか」「自分とはいったい何者か」という問いは、ずっと通底するテーマだ。登場人物たちはみな何かを失い、迷い人のように何かを求め、悲しみを抱えてさまよいつづける。

ノーベル文学賞に決まり、記者会見するカズオ・イシグロ=ロンドン、石合力撮影
 ベストセラーとなった長編『日の名残り』では、人生の終盤へと近づいた老執事の苦悩が描かれた。世界大戦のはざまで、懸命に仕えてきた自分の主人は、結局はファシズムに利用されていた。その苦しい現実に向き合う主人公。葛藤を静かに受け入れる姿が、深く心に染みいる名作だ。

 もしかしたら、別の人生があったのかも知れない。だが人は、与えられた仕事や境遇に自分を捧げ、生きていくしかない。もう一つの生き方を、人は選び直すことなどできないのだ。

 読者は気づかされる。『わたしたちが孤児だったころ』のわたしたちとは、ほかならぬ自分自身なのだと。私たちはみな、さまよえる孤児だ。作品の終盤、主人公が古い友人と再会をする重要な場面がある。だがそれは、事実とも妄想ともつかぬ不思議な場面だ。

 ――現実ではないように思いましたが?

 イシグロに訊くと、作者としてこう答えた。「わたしも、本当ではないと思う」。イシグロの作品では、だれもが孤独な迷い人になる。もしかしたら作者自身も。

長編『わたしを離さないで』の衝撃

 ノーベル文学賞という「幸福」と「不幸」について考えた。イシグロの栄誉を祝いつつ、読者にとっての不幸を思ってしまう。なぜなら、これからの新しい読者には、かつてのようなイシグロ体験をもはや望みようがないだろうから。

・・・ログインして読む
(残り:約1597文字/本文:約2763文字)