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デッカードは、レプリカントなのか?

SF映画「ブレードランナー2049」が突きつける新しい挑戦

伊藤隆太郎 朝日新聞記者(科学医療部)

 SF映画の最高峰とも呼ばれる「ブレードランナー」の続編が来週、いよいよ日本で公開される。リドリー・スコット製作総指揮、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作「ブレードランナー2049」だ。

 とかく「2本目は……」と不安視する向きもありそうだが、はい、心配はご無用。試写を見ました、お見事でした。首を長くして待ってきたファンの厳しい審美眼を、きっと満足させる仕上がりになっている。

SF映画の新地平をひらく

 雑誌の特集や関連の書籍も相次ぐなど、35年ぶりの続編に期待が膨らむ。前作は「クローン」「人工知能」「人造臓器」「環境汚染」といった重い主題をすえ、科学がもたらす負の側面を斬新な表現技法で描き出した。

 評論家の大森望さんは、この作品を映画史全体のなかに位置づけ、述べている。「2001年宇宙の旅とスターウォーズが『宇宙』のイメージを決定づけ、ブレードランナーは『未来』のイメージを決定づけた」。SF映画に新地平を切りひらいた記念碑的な作品、というわけだ。

拡大映画「ブレードランナー2049」の主人公「K」と、ヒロイン「ジョイ」
 舞台は、未来のロサンゼルス。環境破壊が進み、酸性雨が絶えず降りそそぐ。多くの人類は地球を離れ、宇宙へ移住した。その宇宙開拓の過酷な労働のために生み出されたのが、レプリカントと呼ばれる人間そっくりのアンドロイドだ。やがてレプリカントは人類に反乱を起こす。地球に紛れ込んだレプリカントを見つけ、対決するのがブレードランナーと呼ばれる専任捜査官だ。

レプリカント、その人間的な存在

 観賞する者の心をざわつかせる作品である。「人間とは何か」を考え込まずには済まされない。レプリカントには4年という寿命が組み込まれ、極端に短い一生が宿命づけられている。彼らの幼いころの記憶は、人工的に移植された偽物だ。だが製造から時間がたつと、感情も生じる。仲間の死を悲しみ、弔いもする。次第に人間との境界があいまいになってくる。

 いや、それ以上に逆説的な対比さえあらわれる。作中に登場する人間たちは、だれもが孤独でまともな語らいさえないが、レプリカントたちは互いに力を合わせ、心を通わせながら困難に立ち向かう。

 いったい、本当に人間的なのはどちらか。俳優ハリソン・フォードが演じる主人公のブレードランナー「デッカード」も迷いをかかえつつ、敵役のレプリカント「ロイ」と対決する。だが逆に追いつめられ、ビルの屋上から転落寸前に。そんな主人公を救い上げたのは、寿命の到来を悟ったロイだった。

 絶命する寸前に、ロイがつぶやく独白が印象深い。「おれは、お前ら人間には信じられぬものを見てきた。オリオン座の近くで燃えた宇宙船、タンホイザー・ゲートのオーロラ。そういう思い出も、やがて消える。時が来れば、涙のように、雨のように。……死ぬ時が来た」

 レプリカントが抱く悲哀が、人間と変わらぬどころか、より深いことを強烈に印象づけるシーンだ。やがてデッカードは、美しいヒロインのレプリカント「レイチェル」との逃亡を決意し、映画は幕を閉じる。

前作しのぐ主題の広がり

 まさに、現代社会が向かいつつある近未来のメタファーのようだ。この重厚な主題が、続編「ブレードランナー2049」にも引き継がれ、一層の広がりを見せる。

 舞台はさらに30年後。ロサンゼルスの「その後」を彷彿とさせる風景やアイテムがちりばめられ、観客は一気に引き込まれる。地球環境はさらに深刻化している。地球温暖化で海抜は上がり、海岸部は消滅。天候はますます過酷になり、社会の閉塞感も深まっている。

拡大映画「ブレードランナー2049」の舞台は、1作目から30年が経過している

 前作でレプリカントを製造していたタイレル社は倒産し、新たに巨大企業ウォレスが従順な新型レプリカントを製造中だ。「クローン」「格差」といった主題は一層、重みを増している。

 それはまさに、私たちがやがて迎える現実そのものかもしれない。作品が投げかけるこの問題提起については、WEBRONZAで数日後、粥川準二さんがじっくり考察する。ここではまず、監督ドゥニ・ヴィルヌーヴについてふれておきたい。

科学を映像化する監督の手腕

 ブレードランナーを1000回も見たと語るヴィルヌーヴ監督は、昨年公開のSF映画「メッセージ」で大いに注目された。地球を訪れた異星人との意思疎通の難しさと思いがけない克服を描いた、新スタイルのSF映画だ。

 この作品もまた、現代科学を考える好材料である。

 原作は米国作家テッド・チャンのSF小説「あなたの人生の物語」で、ネビュラ賞を受けるなど高く評価されている。大学で物理学とコンピューターを専攻したチャンは、先端科学を素材として巧みに取り入れ、物語を展開する。この原作では、「異なる物理法則が成り立っている世界から訪れた異星人」という、意表を突く設定が展開されるのだ。

 私たちの世界は、いわば因果律的に成り立っていると理解されている。コップを落とす→床にぶつかる→割れる、という世界だ。ところが原作には、物理法則が「因果律的」にではなく「合目的的」に成立する世界が出現する。

 チャンはこの二つの違いを、幾何光学の基礎法則である「フェルマーの原理」の解釈を軸にして描き、読み応えあるストーリーに仕上げた。「光は進行にかかる時間が最小になる経路を通る」というのがフェルマーの原理で、光がレンズを通るときに方向を変えるのも「屈折率の違い」という因果律によって説明される。

 ところが「事象が合目的的に成立している世界」から現れた異星人にとって、フェルマーの原理は、光の進路が「目的」によって逆算されている。読み手はまるで、「変分原理で物理法則が記述されない世界」が本当にあるような錯覚に陥る。こんな途方もない原作を、ヴィルヌーヴ監督は見事な映像にした。「原因が発生する前に結果に関する知識が必要になる世界」と接触する驚きや恐怖を、あざやかに視覚化している。豊かな表現力は原作を越えるほどだ。

ところでヒロインは魅力的?

 さて、そんなヴィルヌーヴ監督がつくりあげた「ブレードランナー2049」。試写会場では映画ライターの坂口さゆりさんと偶然に同席し、すぐに感想を交わし合った。

 私にとって新作のひっかかる点は、主役のライアン・ゴズリング演じるブレードランナー「K」と、ヒロインの「ジョイ」の逢い引き場面などが、やや冗長でいかにも映画的サービスに感じられたことだ。だが坂口さんの意見は反対だった。「あの場面は、レプリカントでもある主人公Kに、人間的な感情があることを暗示させる重要なシーンである」。なるほど。

 逆に坂口さんにとっての気がかりは、1作目ほどにはヒロインの魅力が感じられない点らしい。でも私はそうは思わない。1作目でショーン・ヤングが演じたレイチェルは、SF映画史に残る名ヒロインだが、それは作中でまず人間のように登場しながら、やがてレプリカントであることが明かされるという複雑さにもよっている。しかし今回の続編で、ヒロインの立場は最初から人工知能であることが明確でシンプルだ。そこに複雑な魅力を加えることは、作品の構成に矛盾をきたしかねないだろう。単純だから、いいのだ。

 ……とまあ、はい、いろいろな見方を楽しめる作品です。

デッカードはレプリカントなのか

 では最後に、最大の問題を。「デッカードはレプリカントなのか」。これだ。この30年来の論争は、決着するのか。

 前作は、主人公のデッカード自身がほかならぬレプリカントであることを、強く示唆する雰囲気に満ちていた。監督のリドリー・スコット自身も、そうした意図があったことを明かしている。だが、作品のなかには決定的な表現はない。また、公開時の「オリジナル版」のほかに、「完全版」や「最終版」などいくつもの版がその後につくられ、ラストシーンなどに重要な異同があることも、論争をややこしくしている。

 さあ、新作が示した答えは? もしかしたら「デッカードが生きて登場すること自体が、回答ではないか」といった意見もありそうだが、いやいや、そんな単純な問題ではないので、ご心配なく。驚くべき伏線が準備されている。

 むしろ問題は深化しているのだ。それは「レプリカントであるか、ないか」を越えて、「そう問うこと自体の問題性」を、そのまま主題化しているということである。まさに私たち観客への新しい挑戦だ。現代社会への挑戦と言ってもよい。私たちは将来、この作品を二重写しにしながら生命倫理を考える日が訪れるだろう。そんな予感に満ちている。

 哲学者パスカルは『パンセ』で書いた。「人間とはいったい何という怪物だろう。何という妖怪、何という渾沌。あらゆるものの審判者にして、愚かな虫けら。宇宙の光栄にして、宇宙のくず……」。映画を観ながら、そんな言葉を思い出した。

 どうです? 公開が楽しみでしょ? 

(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント配給。10月27日、全国ロードショー)


筆者

伊藤隆太郎

伊藤隆太郎(いとう・りゅうたろう) 朝日新聞記者(科学医療部)

1964年、北九州市生まれ。1989年、朝日新聞社に入社。筑豊支局、西部社会部、AERA編集部などを経て、2016年から科学医療部。

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