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50年たって公開:朝永振一郎のノーベル賞への道

選考委員の1人が米国で開かれた国際シンポで秘話を披露

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

 ノーベル賞選考にかかわる文書は、授賞から50年以上経過したら「歴史研究を目的とする申請者」に公開できることになっている。1974年から実施されている取り決めだ。日本人2人目の朝永振一郎(1906-1979)への授賞は1965年だった。2年前に公開可能となったばかりの文書にもとづき、ノーベル物理学賞選考委員の1人、マッツ・ラーソン・ストックホルム大学教授が米国カリフォルニア大学バークリー校で開かれた国際シンポジウムで選考秘話を披露した。

 「Drive for the Nobel Prize(目指せノーベル賞)」と名付けられたこの国際シンポは、日本学術振興会(JSPS)とカリフォルニア大学バークリー校日本研究センターの共催で10月31日と翌11月1日に開かれた。1日目は梶田隆章さんら3人のノーベル賞受賞者が登壇、2日目は「ジャーナリズムとノーベル賞」「研究機関への影響力」「インセンティブ(動機付け)としてのノーベル賞」の3セッションがあった。3番目では若手研究者3人が自由に語り合い、全体を通じて和やかに議論が繰り広げられた。

2011年にノーベル賞を受けたソール・パールムッター米カリフォルニア大学バークリー校教授(右)と、聞き手を務めた野村泰紀・同校教授
若手3人が語り合ったセッション。右端は司会を務めた村山斉・カリフォルニア大学バークリー校教授

 ラーソン教授は2日目の2番目のセッションで登壇。日本人1人目の湯川秀樹への授賞経過も含め、多くの日本人が知らない歴史を話した。

ノーベル物理学賞選考委員のマッツ・ラーソン・ストックホルム大学教授

 朝永振一郎は、「繰り込み理論」と呼ばれる手法を創出し、少し遅れて発見したジュリアン・シュウィンガー(1918-1994)、経路積分という手法を考え出したリチャード・ファインマン(1918-1988)とともに「素粒子物理学を深める結果をもたらした量子電磁力学の基礎的業績」に対してノーベル物理学賞を受けた。公開されたノーベル文書により、受賞より14年さかのぼる1951年に選考委員のイーヴァル・ヴァレル・ウプサラ大学教授が朝永とシュウィンガーを推す報告書(スウェーデン語。選考はスウェーデン語で進められるのだという)を書いていたことがわかった。彼はこの2人の業績の重要性をはっきり認識していたが、量子電磁力学の分野に賞を出すのは時期尚早と判断していた。そして、このときにはファインマンの名前は入っていない。

 1955年、ラムシフトと呼ばれる現象を1947年に発見したウィリス・ラム(1913-2008)にノーベル賞が与えられる。朝永は、この現象は繰り込み理論で説明できることを1947年に発表。それまでの理論ではラムシフトの説明はできず、量子電磁力学の正しさを示す実験と位置づけられた。

 量子力学の創成期にデンマークのコペンハーゲンの研究所で仁科芳雄(湯川と朝永の先生にあたる)とともに「クライン・仁科の式」を導いたオスカー・クラインは、ラーソン教授によると「20世紀を通じてもっとも有名なスウェーデンの理論物理学者」だそうだ。そのクラインが選考委員に就任して、1962年に報告書(これもスウェーデン語)を書いた。そこで、

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