間違いが間違いを生みつづけた半世紀前の名セリフ
2018年03月28日
卒業式シーズンになると、思い出す話がある。四半世紀以上前の自分の卒業式。全学の卒業式が終わり、学科の教室で卒業証書が渡された。そのときのやり取りだ。
教室主任だった教授が卒業生への餞として、「かつて東大の総長が卒業式に、ふとった豚になるより、痩せたソクラテスたれ、と言いました。この言葉を君たちに贈ります」と話した。当時は、バブルのまっただ中。耳にしたことのある言葉だったけれど、「なるほど、いまの時期にこそ胸に置かなければいけないかも知れない」などと考えながら聞いていた。
ところが、教室主任の教授の話が終わると、別の教授が憤然と立ち上がり、こう言った。
最初の言葉を素直に受け止めようとしていた自分にとって強烈だった。思えば、自然科学を学び、権威ある学者が打ち立てた学説もうのみにせずに疑え、と教えられたことを思い出した。この考え方は、学生や研究者、様々な分野の社会人にとっても必要なこと。新聞記者にしても、まさに基本中の基本の考え方。権威づけられた話をうのみにしそうになるときに、この言葉を思い出すようにしている。
この話、学生たちの前で話す機会に使おうと、後年、いろいろ調べてみた。
すると、実は単純な話ではなかった。まず、発端の1964年3月28日の東京大学の卒業式、当時の大河原一男総長が告辞で述べたと言われた言葉、「ふとった豚は・・・」は、大河原総長のオリジナルではなく、哲学者のJ・S・ミルの言葉を参考にしたもので、総長は告辞の原稿に「ミルは『ふとった豚であるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言った」と書いていたが、この部分は読み飛ばしてしまって、卒業式では話していなかった。
それなのに、総長の言葉として広がったのは、「あらかじめ総長の原稿をもらって記事を準備していたマスコミがそのまま報道してしまったことが原因」とされていた。
この部分を総長が読み飛ばした話は、結構有名な話で、その後、新聞記事でも「カメラのフラッシュがまぶしくて読み飛ばしてしまった」などと、いろんな記事やコラムなどに何回も書かれている。
その言葉から半世紀。2015年3月25日、東京大学の教養学部学位伝達式で石井洋二郎教養学部長が式辞で触れて話題になった。東大サイトにある式辞によると、「この発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっている」と言及している。
第1の間違いとして、主語は大河内総長ではないという点。「作法にのっとった正当な『引用』です。ところがマスコミはまるで大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り次いできたというのが、実情です」と指摘している。
そのうえで、この有名な語り伝えは、大河内総長でもなく、ミルの言葉も不正確、卒業式で言ってもいない、三つの間違いが含まれている、と指摘している。
石井教養学部長の式辞自体も、当時、話題になった。「ふとった豚、痩せたソクラテス」の話を持ち出した今日的な言及が注目された。
間違いや誤解について言及したあと、「さて、そこで何が言いたいかと申しますと、」と続けている。
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