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数学を学ぶと年収が増えるのか?

人類が培った最古の知的文化を、金のためでも国のためでもなく、豊かな人生のために

小島寛之 帝京大学経済学部教授

 文科省が国立大学に対して文系学部のあり方を見直すように通達するなど、社会に理系偏重の空気が蔓延している。最近の『週刊東洋経済』(5月12日号)でも、企業が新卒採用に関して理系の枠を増やすことを報じ、理系をもてはやしている。

歴史上の数学者。ガウス(左上)、オイラー(中)、フェルマー(右)、デカルト(左下)
 この号では京都大学の2012年の調査(西村・他)「理数系科目学習者の昇進・就業形態」を引用し、文系学部出身者に関して、数学受験した者の平均年収が532万円、数学未受験者のそれが443万円(平均年齢は、前者が43歳、後者が41歳)とおよそ90万円の差がついていることを指摘している。「文系であっても、数学を勉強すれば、年収が増えるよ」ということである。理系=数学と解釈すれば、文科省のお達しには、西村・他の調査と同様に、「国民が理系受験を通じて、もっと数学が強くなって、国の経済力を上昇させるべし」という意図が隠されていると言える。

 経済学から言えば、数学を学ぶことでもしも個人の所得が伸びるならば、それは労働生産性が上がるからであり、それを国全体で集計すれば、国家の経済力が上がるということである。すなわち、

[*]個人の数学力 → 個人の生産性 →(国全体で集計)→ 国家の経済力

 という経路波及だ。

 果たして、本当にそうなのか? 真実を探るために、次の二点について、調査をしてみた。

疑問1:数学を学ぶと、生産性が上がり、賃金が上昇するか?
疑問2:国民の数学力と国の経済力とは関係があるか?

 疑問1は、この経路[*]の最初と第2の関係を調べることであり、疑問2は、最初と最後の関係を調べることである。

理系は文系に比べて年収が高いか?

 疑問1を調べる目的で、理系・文系出身者の年収を直接に比べている論文を見てみた。同じ京都大学のもっと新しい2015年の山本・他の論文「理系の誰が高収入なのか?」である。この調査では、雇用形態や大学選抜度などの変数をコントロールしても、理系出身者のほうが高所得であることを明らかにしている。これだけ聞くと、あたかも理系出身者のほうが生産性が高いと考えられ、西村・他の調査結果を支持しているように見える。

 ところがそうではないのだ。

 山本・他の論文では、医療系出身者を除いた推定も行っている。そして、理系出身者の高所得の大部分は医療系が高所得であることに依存し、彼らを除いた理系(つまり、理工系)と文系の有意な差は確認されないと結論している。さらに男女別に分析すると、興味深い結果が得られる。医療系を除くと、男性のみにおいては理系と文系の有意な差はない。しかし、女性のみにおいては、「文系出身の女性に比べて理工系出身の女性は38%ほど年収が低い」と、むしろ文系優位の結果が得られている。

 このことによって、疑問1の解答が得られた。医療系を除けば、全体として、理系出身者は文系出身者と年収の差はなく、女性に限ると前者の年収が下がる。したがって、数学を学んでも生産性が高まるとは言えない。2012年の西村・他の論文で「数学で受験した文系学部の出身者は、年収が高くなる」という結果が出たのは、私大受験で数学を選択する受験生には女性が少ないためか、あるいは数学が必修となる国立大も受験していた受験生だろうからそもそもポテンシャルが高い(他の科目の成績も良い)ためではないか。

高等数学力と経済力は無関係

 次に疑問2についてアプローチしてみよう。検証の一端として、筆者は、数学オリンピックの成績と一人当たりGDP(国内総生産)の関係を見てみた。数学オリンピックとは、毎年行われる、国代表6人の選手による数学バトルで、金銀銅メダル授与と国別順位が公表される。この国別順位を、その国の国民の数学力の代表値として利用する。

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