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非核化「完全不可逆」の難しさを南アの先例にみる

核抑止力につきものの情報の不確かさは「廃棄」後もつきまとう

尾関章 科学ジャーナリスト

 北朝鮮が地下核実験場を「廃棄」した。5月24日、北部の豊渓里に海外メディアを呼びよせての坑道爆破。米朝関係の先行きは不透明だが、とりあえず「非核化」が一歩進んだようにも見える。だが、それは楽観的に過ぎるだろう。実験場の爆破が、核開発にまつわる証拠物件を木っ端微塵にしてしまったかもしれないからだ。

 その懸念に焦点をあてた報道もあった。朝日新聞は翌25日付朝刊で「爆破 核隠す意図か」「実態検証不能の恐れ」という見出しの記事を載せた(東京本社最終版)。北朝鮮の核開発では「核爆発に使った核物質がプルトニウムなのかウランなのか、その量はどれくらいなのか、などの詳細は明らかになっていない」と指摘、爆破によって「こうした未解明の部分や北朝鮮の主張が検証できないおそれがある」という専門家の見方を伝えている。

「完全」「不可逆」の必要条件 

 核兵器の廃棄では、過去にさかのぼって核開発の詳細が明らかにされ、その記録が開示されなくてはならない。そこがあやふやだと核物質や製造設備の一部が残存する可能性が消えず、核保有や核拡散の疑いを絶てないからだ。これは、廃棄を「完全」で「不可逆」なものにするための必要条件と言ってよい。ただ、それは言うほどにたやすくはない。そのことを教えてくれる前例がある。

拡大プレトリア郊外にある核施設の建物。かつて、ここでひそかに原爆が開発された=2005年4月、望月洋嗣撮影
  多くの方はもうお忘れかもしれないが、かつてアフリカ最南端の南アフリカ共和国が「非核化」したことがあった。1993年3月、「1980年代に核兵器を6個つくったが、すでに廃棄した」と公表したのである。白人政権が退陣してネルソン・マンデラ大統領が登場するより1年前のことだ。私はそのころロンドン駐在の科学記者で、93年と95年の2回南アを訪れ、核開発放棄の内情を取材した。

 ここで押さえておきたいのは、南アの核保有が北朝鮮のそれと異なり、世界に向けて誇示されたものではないことだ。秘密裏につくられ、秘密裏に放棄された。それには、南アならではの事情がある。

核は「うわさ」が抑止力を生む

 南アが核兵器の開発を決めたのは1974年。「ソ連(当時)の拡張主義の脅威があった」ころで、翌75年には「キューバ軍がアンゴラ内戦に参戦したことで抑止力の必要が高まった」(93年、南ア政府発表)。冷戦の緊張が近隣に迫ったため、自前の核抑止力を手にしたというのである。ただ当時、核兵器の保有を公然と宣言すれば国際社会の反発を招くのは目に見えていた。南アは、それでなくとも人種隔離(アパルトヘイト)政策が嫌われて孤立気味だったから、さらなる疎外要因を抱えたくなかったのだろう。

拡大見出しに「うわさこそ『力』を証明」とうたった1993年4月19日の朝日新聞朝刊の記事
 「開発の段階では秘密にする。侵略などを受けた段階で初めて核を示して抑止力を発揮させる」。核開発やその廃棄と密接にかかわった南ア原子力公社(AEC)の社長は、南ア流の核抑止力をこう説明した。ただ、これがすべてとは言えないだろう。むしろ、英軍事誌『週刊ジェーン・ディフェンス』のケープタウン特派員が私に語ってくれた見方のほうが、より説得力があった。「実際には断片的に情報が漏れていた。それが結局は抑止力につながった」というのである(朝日新聞1993年4月19日付朝刊「時時刻刻」欄)。

 核抑止力は核兵器そのものだけでなく、それにまつわる「うわさ」によっても ・・・続きを読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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