天文学者として生き残ったわたしの#Me Too
2018年07月06日
外国での #Me Tooの盛り上がりにくらべ、日本では自分の被害をカミングアウトする人が少ないと言われている。女性科学者は特にそうだ(WEBRONZAの粥川準二:研究者たちの「#Me Too」や樫村愛子:共感を通した支援、連帯を示した#MeToo運動、など)。私にはその気持ちがよくわかる。表沙汰にすると叩かれるからだ。心身ともに落ち込んでいる時、加害者側からの報復や組織の反撃はこたえる。一度被害を受けると心の傷はなかなか癒えない。実は私も20年前の事件をいまだに引きずっている。でも女性科学者がどんな目にあっているのか、何も言わなければ被害があること自体が隠されてしまう。そこで私もセクハラ・サバイバーとして、#Me Too することにした。
男性なら早い人で30代、多くは40代前半に教授になるのが当時の典型的なコースである。この本の女性には、助手の期間が長い人が目立ち(16年間の人もいる)、受賞時に教授だったのは20人中7人だった。人並み以上に優れた結果を出した人たちですらそうなのだ。
受賞者たちによる若手へのアドバイスでは、子育てとの両立のたいへんさや、研究時間が限られる悩み、就職の難しさや昇格の遅さが、個性に合わせた表現で語られる。国際別居を含めた別居についてはふつうに研究内容の項目に入っている。高倍鉄子さんは「たとえ軽口だとしても、男の同僚のまえで『辞めようかな』などとは絶対に言ってはいけない。そのひとことを口にしたために、実際に辞職に追い込まれた女性を何人も知っている」と書いている。
「セクハラ」や「アカハラ(アカデミック・ハラスメント)」の言葉と概念が明確に形をなしていなかった時代、本に書けなかったこともたくさんあると思う。
若桑みどりさんは著書「お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門」(ちくま新書)のあとがきで、大学の上司にあたる男性から徹底したいじめを受けたと書く。共働きは「給料の二重取り」「子どもをほったらかしにして外にいる母親の子どもはろくなものにならない」など彼女ばかりか子どもへの人格攻撃も続いた。重要な情報を伝えない、絶対に昇進させない、重要な委員につけない、上層部に悪口を言い立てる、などのいじめが死ぬほどつらかったと書いている。これが18年も続いたのだ。
だが彼女は決して例外ではない。私の友人も、年下の男性同僚から「俺の予算で買った装置は使うな」と共同実験室に置いてある機器の使用を禁じられた。彼女が自分より良い実験結果を出すことに我慢ならなかったらしい。
また別の女性は、旧姓使用を主張したために、周囲の教授たちからいじめられ、昇格も遅れた。外国語で論文を書く研究者にとって、結婚や離婚のたびに名前を変えるのはとても不利だ。名前が変わると別人と思われ、論文が少ないと誤解されて評価が低くなる。
図書館情報大学(当時。現在は筑波大に統合された)の関口礼子さんが旧姓使用を求めて裁判を起こしたのが1988年。当時国立大学では戸籍名を使うことが強要され、旧姓では外線電話も取りつがれないほどだった。博士学位記の名前を旧姓にするため、博士論文を提出する時だけ一時的に離婚した女性もいる。
日本学術会議は1994年に声明を出し、旧姓使用の保障を訴えたが、文科省が通称のみの記載を認めたのはやっと2001年である。それまでに、どれだけ多くの人が日常的に不便で不愉快な目にあい、不毛な闘いで消耗させられただろうか。
夫婦別姓選択法案がいまだに通らない日本。政府は、よほど女性に活躍して欲しくない理由があるのだろう。
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