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日本のイベルメクチン狂騒曲に見る危険性

政治が議論すべきは「公衆衛生の人材不足」という構造的問題だ

船戸真史 家庭医療専門医・公衆衛生学修士

shutterstock.com
 2021年に入り、抗寄生虫薬「イベルメクチン」がにわかに脚光を浴びている。期待のコロナ特効薬の如く位置づけ、国内での早期使用承認を求める主張が多い。筆者は日本で臨床医生活を7年送ったあとに米国・ハーバード大学公衆衛生大学院に留学し、今年3月に卒業するまで統計学や疫学を学んできた。米国から見ていて日本は「狂騒曲」とも呼べる状況になっており、大きな危惧を抱かずにはいられない。

 結論から述べる。コロナから国民を本当に守りたいのならば、イベルメクチンは今、緊急承認する状況にない。イベルメクチンのコロナに対する効果は未だ不明であり、拙速な使用は副作用による不利益を招きかねないからだ。本稿では、イベルメクチン推進の根拠とされている情報の問題点を指摘し、現在の議論に欠けている論点を提示したい。

Silver lining(一筋の希望)として登場したイベルメクチン

 イベルメクチンは、熱帯で流行している寄生虫病の薬として開発・使用されている薬である。北里大学特別栄誉教授・大村智博士の発見をもとに開発され、博士は2015年にノーベル医学生理学賞を受けた。その薬がなぜ今これ程まで騒がれているのか?

コロナワクチン接種者の人口に占める割合は国よってかなり違う。色の濃い国ほど高い(グレーの国はデータなし)。ワクチンを1回接種した人の割合は、4月2日時点でイスラエルは59%、日本は0.7%。
ニューヨークタイムズのサイト

 要因の一つに日本はワクチンの承認が遅くなり、長期的な感染状況の好転を見通せないことが挙げられると思う。執筆時点で日本の人口あたり接種回数は経済協力開発機構(OECD)加盟37カ国中最も少なく、一般国民はおろか医療従事者へのワクチン接種すら十分にできていない。そんな中、「Silver lining(一筋の希望)」として登場したのがイベルメクチンなのではないだろうか。

衆院予算委で質問する立憲民主党の中島克仁氏=2021年2月17日
 大村博士が開発した「国産の薬」であることも相まり、国会でも医療系議員を中心に期待する声があふれた。自民党富岡勉議員が「経口イベルメクチンを使えば、今問題になっているワクチンの投与も、極端に言えば、しなくていいのではないか」と述べたかと思えば、立憲民主党中島克仁議員が「一刻も早く早期に承認できるように」と田村厚労大臣に迫るというように、期待感は超党派で広がっている。東京都医師会も緊急使用を提言するなど事態はますます過熱しているように見える。

 コロナウイルスに対するイベルメクチンの効果を調べた研究は、新型コロナが登場してから世界各地で始まり、日本では北里大学が治験を開始した。これまでどのような論文が出ているのかの概要は、論座で黒川清・政策研究大学院大学名誉教授が紹介している。しかし注意すべきは、「発表された論文なら正しい」とは限らないという点である。それぞれの論文を批判的視点から吟味することが欠かせない。

「観察研究」という手法では限界がある

 一例として、推進派が根拠として引用している、ブロワード病院の集中治療医ライター医師らの論文を考えてみよう。呼吸器系で権威ある雑誌のCHEST誌に発表されたこの論文は、2020年の3月から5月にかけて、同氏が所属するフロリダ州南部の4病院に入院した新型コロナの成人患者280人のデータを集め、統計解析したものだ。イベルメクチンの治療を受けた患者は、受けなかった患者に比べ入院中の死亡率が少なかったことが報告され、一読すると効果があったように思えてしまう。

 だが、注意すべき点が2つある。1点目は患者数が少ないこと。疾患や治療内容にもよるが、治療効果の確認には通常1000人から1万人規模の集団が必要で、100人規模では結果が不正確になる可能性がある。2点目はこの論文が観察研究であること。イベルメクチンを例に、この研究手法と、エビデンス(科学的根拠)の質が高いとされる「ランダム化比較試験」の比較を表1に示した。

表1:「観察研究」と「ランダム化比較試験」の違い

 観察研究には「交絡因子」(本当の原因ではないものを原因のように見せてしまう「隠れた因子」のこと)が入る可能性が排除できない。特に患者数が少ないと、それらの因子に配慮した統計解析を十分に行うことができない。著者らもこれらの限界を認識しており、「治療効果の判断には更なる研究が必要」と結論づけるに留め、「効果がある」と明記してはいない。

 また、3月初めには世界四大医学雑誌の一角をなす米国医学界雑誌(JAMA)にイベルメクチンの効果に対する否定的な論文も投稿され、現状は益々不確かになっている。この不確実性については、国立国際医療研究センターの忽那賢志医師も過去に指摘している。

欧米は慎重な姿勢を崩していない

 世界の主だった組織の現状判断を示したのが表2である。

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