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[47]今こそ「公共」の復権、範囲の拡大が必要だ

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 1980年前後以降のレーガン政権下の米国、サッチャー政権下のイギリスで主流になった市場経済万能主義とも言える思潮は、資本の利潤率を何よりも優先させ、それを抑圧、阻害する社会保障、社会経済制度を支えて来た様々な法的規制などは、『改革』の美名の下に、削減、排除するのを正当としてきた。

 その背景には、国民経済の運営は、国民共同体全体に責任を持つ政府の干渉を排して、個人・企業を前面に出して、経済・金融資本市場の自由な調整機能に任せた方が、国民経済全体の厚生は最大化されるとの思潮があった。要するに、社会保障制度、法的規制など、政府・公的部門を介した経済活動への介入を削減し、自由競争に任せた方が、国民経済は上手く機能するとの思潮である。

 問題は、誰にとって良いのか、という主語が欠落していたことである。

 米国や、米国に追随して来た日本などで現実に起きたことは、国民経済全体は成長したが、所得・富の分配は大きく偏り、膨大な相対的貧困層を生み出したことであった(ちなみに、最近の17年間近くでは、日本経済の名目GDPは低迷しているが、実質GDPは緩慢ながらも成長を続けている。すなわち、財・サービスの生産の総量、日本国民1人当たりの生産量も、緩慢ながらも成長を続け、その絶対水準も、他の経済先進国と比べ、遜色がないのが実状である)。

 米国では、5千万人近くの国民がフード・スタンプ(公的食費補助)で糊口をしのぎ、実際には、米国の総人口の2割余りに相当する7千万人が、フード・スタンプの受給資格がある極貧層という。日本でも、総人口の16%、2千万人余りが、日本政府自身の認定でも、相対的な貧困層とされている。換言すれば、2千万人余りが、生活保護の受給資格があると言えよう。しかし、実際の生活保護受給者数は、2百万人を少し超える程度に過ぎない。

 市場原理主義とも呼ばれる自由競争万能論が盛んであった時期の流行りのスローガンは、「自己責任論」だった。

 しかし、実際には、人間は、一人では生きては行けず、人間社会の何らかの助け合いの中で生きている存在である。何でも、自分の資産・所得で、必要な財・サービスは買えると自惚れている超大資産家・超高額所得者でも、カネを出せば、財・サービスが買えるという社会制度の世話になっているわけである。その社会制度は、超貧困層を含めた社会構成員全体で支えられているのを忘れるべきではない。

 家族、血縁宗族、農村共同体、企業社会(企業擬似共同体)など、人間社会の共同体は、その範囲によって様々に分類されよう。

 留意すべきは、各種の共同体の解体が進行して来た中で、その中でも最小の単位であったはずの家族共同体でさえ、その解体が顕著なことが、日本社会の現実であることである。

 2010年の国勢調査の結果を見ると、

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