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在英邦人から見たカズオ・イシグロ氏

英国のユーモア。徹底した「自己卑下」の精神。地に足の着いた大人の魅力

小林恭子 在英ジャーナリスト

うれしさと違和感と

BBCの取材に答えるイシグロ氏(BBCニュースのサイトから)BBCの取材に答えるイシグロ氏(BBCニュースのサイトから)

◆BBCのインタビューに答えるイシグロ氏の動画 http://www.bbc.com/japanese/41521067

 10月上旬、日系英国人カズオ・イシグロ氏にノーベル文学賞が授与されるという発表があった。在英邦人にとってはうれしいニュースではあったが、「日本」、「日本人」という枠でイシグロ氏を紹介する日本のメディア報道に違和感も覚えた。その居心地の悪さはどこから来るのか?

 英国に「カズオ・イシグロ」と言う名前の日系人作家がいることを知ったのは、1980年代の後半だったように思う。

 この頃、ある日系米国人(日系3世)の友人がいて、別の日系米国人の日本での体験をつづった本を借りたことがあった。同時期に英国にも日系の作家がいることを知り、カズオ・イシグロ氏の本を手に取った。「日の名残り」(1989年)の英語版であった。

 当時は日本に住んでいたので、なぜ翻訳本でなく英語版だったのかは覚えていないが、借りた本が英語だったのでこちらも英語で読んで見ようと思ったのかもしれない。

「日の名残り」のユーモア

 1950年代が舞台となった「日の名残り」は、あるお屋敷の年老いた執事スチーブンスが旅に出るところから始まる。今は米国人の主人に仕えているが、以前は英国人の下で働いていた。

 元主人は対ドイツ融和策を支持した人物であった。1930年代、英国の上流階級の中にはナチス、ヒトラーを好意的に受け止める人が少なからずいた。大手新聞の持ち主でヒトラーと親しい関係になった人物もいる。スチーブンスの元主人のような人物は、当時はいかにもいそうなタイプだった。

 しかし、ホロコーストを行ったナチスの記憶がある現在からすれば、飛んでもない、相当に「ずれた」人物である。そんな元主人に対する敬意を忘れずに抱くのが主人公の執事だ。主人の実像が見抜けずに敬意を抱き続けるスチーブンスの姿はある意味では滑稽だし、もの悲しくもある。

 数日間の旅の中で、スチーブンスは自分の過去を振り返る。お屋敷で開かれた、重要人物が参加した会議、世界の将来がここで決まるという自負の下で働いていたこと、父に冷たくする自分、女中頭にいだくほのかな恋心。

 ページをめくる度に、私はその華麗な文章を堪能するとともに、何度もくすくす笑った。借り物の洋服を着て大真面目に旅に繰り出す老執事の格好を想像したり、英国イングランド地方の田園光景の自画自賛の様子がいかにも古風であったり、いかにも愛国的であったりし、体のどこかをくすぐられるようなおかしみで満ちていたからだ。

 ストレートに「老執事が旅をしている」と読むこともできるのだが、古ぼけているだろう衣類や(おそらく)慎重に運転する様子が笑いを誘った。

 ノーベル文学賞の発表をしたスウェーデン学会の人も言っていたが、カズオ・イシグロ氏の小説にはユーモア小説の大家P.G.ウッドハウスを思わせるおかしみがある。

 「日の名残り」は、一見したところ、ジェーン・オースティン(「高慢と偏見」、「エマ」など)をはじめとする英文学の伝統に沿って、英国生まれの英国人が書いたようにも見える。「英国人だったら、こう書くだろうな」という感じがあった。

 しかし、1950年代のことを1980年代に書いているわけだから、「かつてのイングランド人らしさ」のパロディーにもなっているように思えた。

 ウッドハウスの流れを汲んでとぼけたユーモアをあちこちに入れながら綴(つづ)ったこの小説は、私にとって、忘れられない作品の一つだ。

 後の映画版ではこのユーモア感がすっかり消えているようで、残念な思いがした。

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