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公務員が任務を全うすることによって犯した罪

「上官の命令」を理由に「人道上の罪」は免責されない

石川智也 朝日新聞記者

衆院予算委の証人喚問で挙手する佐川宣寿・前財務省理財局長=2018年3月27日

「凡庸な悪」

 近ごろ、頭の片隅に居座り続けている言葉がある。

 アドルフ・アイヒマンはユダヤ人600万人を虐殺したホロコーストの蛮行を主導した。被告席に立たされた際、官僚答弁を駆使し「自分は命令に従っただけだ」と弁明を繰り返す。裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、陳腐で表層的で害意が見えず、無自覚であるがゆえに底無しに広がって世界を荒廃させかねない「悪」の姿を見いだし、「凡庸な悪」と呼んだ。

 凡庸な悪――。

 みずからのアタマで思考することをやめ、判断を外の権威に委ね、組織の歯車として忠実に仕事をこなす。そこにひそむ重大な落とし穴に、いまも私たちは日常的に囲まれているのではないか。そんな風に思わせるニュースが最近あまりにも続いている。

 森友学園への国有地売却をめぐる決裁文書の改ざん問題で、財務省は職員20人を処分した。佐川宣寿・前理財局長が「残っていない」「廃棄した」と繰り返してきた森友学園との交渉記録の一部は、安倍晋三首相の「私や妻が関与していたということになれば、首相も国会議員も辞める」との国会答弁後に廃棄され、改ざんされていた。民主主義の根幹を揺るがす不祥事を主導し、表では「文書はない」の一点張りで野党の質問をはぐらかし続けたその佐川氏を、安倍政権は国税庁長官に登用したのだった。

参院予算委で質問に答える柳瀬唯夫・元首相秘書官=2018年5月10日

 加計学園の獣医学部新設問題をめぐっては、柳瀬唯夫・元首相秘書官がようやく学園関係者と首相官邸で面会していたことを認めた。首相が獣医学部の新設を重視していたことを柳瀬氏は知っていた。その計画に首相の盟友が乗り出し、みずから関係省庁の担当者を同席させて学園の相談に乗ったというのに、「総理に報告したことも指示を受けたことも一切ない」と断言した。1年近くにもわたって面会じたい「記憶にない」としてきた記憶力の持ち主が、である。

  行政機関のヒエラルキーの中で能吏として振る舞ってきたエリートが次々と窮地に立たされている。官僚たちは、いったい何のため、だれのために国会と国民を欺き、問題を闇に葬り去ろうとしたのか。忠実に業務をこなした彼らは「組織の論理に従っただけの自分がなぜ批判の矢面に立たされるのか」と理不尽さを感じているだろうか。

「命令に服従しただけだ」

ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の遺品などを展示する国立の記念館「ヤド・バシェム」を訪れた小泉純一郎首相=2006年7月12日、エルサレム

 それは不条理だ、と実際に口に出して訴えた高級官僚がかつていた。

 モーリス・パポン。1942年、仏ボルドーを県庁所在地とするジロンド県で事務局長のポストに就き、知事をしのぐ権限を握っていた人物だ。戦後はパリ警視総監などの要職を歴任し、ジスカール=デスタン大統領時代には大臣にまで登りつめた。しかし80年代に入り、戦時中の対独協力政権(ビシー政府)時代にみずから指揮して1600人以上のユダヤ人を強制収容所に送ったことが暴露され、「人道に対する罪」で裁かれることになった。98年、ボルドー重罪院で禁錮10年の判決を受けた87歳のパポンは「なぜ私なのか。まるでカフカの小説の主人公のようだ」と呻いた。

 この裁判の意義は、公務員がその任務を全うすることによって犯した罪が問われたという点にある。

 そこに注目すると、(正統性はなくとも)合法性ある当時のフランス国家がホロコーストの片棒を担いだ、すなわちフランス人民が非人道的行いに関与したという歴史の暗部と向き合わぬわけにはいかないし、必然的に、組織と個人、そして人間の倫理という普遍的な問題に突き当たっていくことになる。

 パポンは「公務員として命令に服従しただけだ」という趣旨の弁明をしたが、多くの市民がユダヤ人迫害を知りながら目をつむっていたこともまた事実なのだから。

「あの時代にいたら、彼らだって同じことをしていた」

 そんな「凡庸な悪」を取り上げた映画が、折しも今月、公開される。ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの秘書を務めた女性にロングインタビューした「ゲッペルスと私」(16日から岩波ホールでロードショー)だ。

 これは、アイヒマン裁判の記録をまとめた「スペシャリスト」(1999年)や、ナチスのプロパガンダ映画を製作したレニ・リーフェンシュタールに肉薄した「レニ」(93年)、ナチス将校らの証言を集めたクロード・ランズマンの大作「ショアー」(85年)といった、「凡庸な悪」を扱った一連の作品の系譜に連なるものといってよいだろう。

ナチス幹部を前に演説するヒットラー総統。ローゼンベルグ、ゲッペルス、ヘス、ヒムラーの顔も見える=1939年11月、ドイツ・ミュンヘン

 戦後69年間の沈黙を破って独白を始めた元秘書ポムゼルは「抵抗する勇気はなかった。私は臆病だった」と吐露しつつ、「私に罪があったとは思わない。ただドイツ国民全員の罪があるとするなら話は別。あの政府が権力を握ることに加担したのは国民全員」と、みずからの罪を相対化する。そして、現代の人間が自分たちならあの体制から逃れられたと能天気に語ることに対しては「あの時代にいたら、彼らだって同じことをしていた」と断言する。

 自分だったら抵抗できた、いまの私たちならあんなことはしない――。ほんとうにそうだろうか。

 「上官の命令は天皇陛下の命令」と個を滅して機械の一部となり、おびただしい数の他者と自己の自由と尊厳と生命を損ねた時代と、私たちはどれほど隔たっているのだろうかとも思える。

 組織の利益最大化のために粉骨砕身する企業戦士と、グルの指示に盲従し無差別殺人を試みた宗教団体を生んだ戦後は、相変わらず「兵士の世紀」だったのであり、同様の心性は役所や企業の不正でいまなおしばしば見受けられる。「滅私」精神の桎梏は、私たちの中でいまだ清算されていないのではないか。

「上官の命令」

 「上官の命令」について、重要な指南を示した人物がいる。

 第2次大戦の戦犯の訴追と処罰について米英仏ソ4カ国が締結した1945年のロンドン憲章を取りまとめた米国代表のロバート・ジャクソンは、「人道に対する罪」を国際法上の重要なコンセプトとして初めて打ち出した。

 上官の命令を理由に、人道上の罪は免責されない。これは事後法との批判を受けつつも、ニュルンベルク裁判の根拠となった。

ニュルンベルク裁判が開かれた600号法廷=2010年11月20日、ドイツ南部ニュルンベルク

 ジャクソンは、その少し前の1943年、米連邦最高裁の判事として、ある有名な判決の法廷意見を書いている。学校で星条旗に対する敬礼を拒否した生徒が処分を受けたことに端を発する思想・良心の自由をめぐる事件で、この自由には、平時であれ戦時であれ、公権力は決して土足で踏み込んではならないという格調高い文章として知られる。

 個人には良心の自由と、それに従う権利がある。国旗に公然と背く自由を認めるのであれば、(たとえば)その旗の下で命じられる人道に反する行為を拒否し、義務として自己の良心に従わなければならない。これは一貫したことなのだ――ということだろう。

 ヒューマニズムという普遍的な倫理原則に従うなら、人は組織人である前に市民であり、人間であり、場合によってはみずからの職能を裏切らねばならないときがある。

 自分は国家への服従(企業への忠誠)を果たしただけだ、だから責任を問われるいわれはない、と弁解することは、組織のヒエラルキーに殉じて価値のヒエラルキーを転倒させ、自由を放棄することに他ならない。

「指示があったにしろ、やってしまったのは私」

 だが、真に自由であることは、難しい。

 人間の行動が100%自発的で、自律的で、自己原因的であることはない。自分で選んだと思っていることすら、無意識に刷り込まれた欲望に従っているだけと言うこともできる。だったら、個人の責任はついぞ問えないのだろうか。

 おそらく、みずからの行動を、自分の判断だった、選ぼうと思えばいくらでも選べた、すなわち「自分は自由な主体だった」という仮象を引き受けることからしか、「責任」は生まれないのだろう。

 自分には自由があったと見なし責任を引き受けることは、勇気が要る。だれにも簡単にできることではない。ただ、そんな弱い個人である私たちに、最近、20歳の若者が重要な示唆を与えてくれた。

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